テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

功罪(写真機雑感 その8)

2012-10-29 23:22:16 | 写真機 画像
普段、ケータイ以外になにがしかのカメラを必ず持っています。
豊かになったのか、手軽になったのか、別段珍しいことではなくて、それと共に様々なマイナスイメージもつきまといます。いま、写真が趣味です、と言って、そのあとに、撮る対象とか、なんらかの言い訳めいたことを云わずに済ませられる状況はさほどありません。街中のスナップショットを撮るにも、幾許かの気遣いに加えて、勇気が必要な時代です。
オートフォーカス機構は、写真機、特に一眼レフを身近にしましたが、逆に厳密に撮る対象にピンポイントで合焦するわけではないのはご存じの通りで、合焦センサーの少ない入門機では、ピントを合わせてフォーカスロックするのにかまけてフレーミングがおろそかになりがちです。昔ながらの流儀で云うと、ピンボケ、手ブレをしないことが最低条件、次にシャッターチャンスとフレーミング、アングルの妙、そして光(光線)と陰影を露出で調整し、画角による強調と省略などなど、写真をアーティスティックに捉える上ではいろんな要素を瞬時に判断することが必要になりますが、昨今のISO感度さえ勝手に変えてくれるカメラ、タイムラグのある液晶モニタでは、不自由さがかえって増してしまっているように感じます。昔なら36枚撮りフィルムをあっという間に費やしてしまう連射も自在になったというのに、基本的なところがまだるっこしいのがイマドキのカメラなのかもしれません。
写真教室をやっているような熱心なカメラやさんを覗いてみると、RAW現像の追い込み方などをパソコンでやっていて、あり得ない陰影のついた色彩鮮やかな写真などが創れるようですが、6x6のモノクロネガに、極細エアブラシでコラージュしていた時代からあまり進歩してないような気がして、萎えます。


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