得さんのページ

喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・あじさい寺花の見頃です。

2010-07-11 17:26:34 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

どんよりと曇った一日です。先ほどパラパラと少し雨が降りました。
日中は雨も降らずまずまずのお天気ですが、まちなかはどうだったのでしょうか?

本日は、まちなかを巡っていません、昼前は喜多方市街地地域づくり懇談会の勉強会に参加しました。

予定が変更になり今回は、喜多方と近隣宿場町とのかかわり~塩川宿について~
講師は 佐藤 一男 氏

以下は本日の佐藤氏の講演からです。

塩川町と言えばやはり、川とのかかわりです、街道では会津の城下から米沢へ、金川通りから、塩川通りに改められて宿場が設けられ宿場町として栄えて行きます。
そして水運のまちとしても栄えて行きます、その一因が慶長の会津西縁大地震であったそうです。日橋川が喜多方市の慶徳、山崎で堰き止められて、桧原湖の2倍もある山崎新湖が出現して湖に漕ぎ出す文化が開花します、湖は24年渡り存在しました。
水運は阿賀川を下り、会津の米や産品を日本海経由で大阪まで運ばれ、帰りに塩や海産物などが運ばれてきました。

現在の塩川町は屋号とのれんの街として知られていますが、屋号をみると往時の塩川の屋号には遠来の屋号が多く在ることがわかります。
大津屋・奈良屋・大阪屋・出羽屋・佐渡屋・美濃屋・松阪屋・伊勢屋等々です。

塩川町にも白虎隊に係わる話が沢山あるそうです、当時の記録などが数多く発見されて、戊辰戦争の逸話のうち全く新しい記録により、書き換えなければならないような話も在ると言う事でした。

当然、塩川町は御城下に近い街ですから、いろんな係わりが有ったと思います。

タイトルと記事が合わなくなりましたが、塩川町の話を少し記しました。
長くなるので又の機会にします。

画像は例によって、上三宮町の願成寺のあじさいです、


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