2017年5月30日-1
美術修行2017年5月30日(水):佐藤方彦2011『感性を科学する』読感
[さ]
佐藤方彦.2011/8/31.感性を科学する.xiii+185pp.丸善出版.[本体2,900円+税][大市中図701.1][Rh20170530][さとう まさひこ]
誤植が少なくとも10箇所あった。たとえば、45頁の図3-1の、艦隊→桿体。
何の誤植か見当のつかない誤植もあった。114頁の意識のモデル図8-1 での、「源氏の知覚カテゴリー化」の「源氏」、と、「意味の独力回路」の「独力」。
鍵となる概念と思う、創発、縮重性、メカニズムなどについての説明が、無いか、あってもわからなかった。
そして、全体構成が有機的ではないし、いろいろと参照しているが、個々の論理展開と結論が無いか不明瞭であることが大部分である。
1. 参照および検討対象とした構成部分が、適切ではない。
2. したがって、分析不十分である。
3. あちこちと散策しているが、それらを繋げる筋道または論理展開が、不明である。
4. 総合や統合は、無い。
「バウムガルテン〔略〕の〔略〕著作『エスティテカ』〔略〕では、エスティテカは、感覚的認識の学であり、美しく思惟することの技術であると説かれている。そして、「美」とはエスティテクスによる認識の完全性であると定義している。〔略〕
「エスティテカ」は、言葉の経緯からは「感性学」ということになる。しかし、バウムガルテンの「エスティテカ」を日本に紹介した〔略〕中江兆民は中国の易経の文言を吟味して「美学」という用語を創り出した。〔略〕井上哲次郎の「形而上学」も易経に由来する。欧米では、「エスティテカ」は、芸術の美の理論を扱う哲学の一分野「芸術哲学」を意味する用語となり、語義は「感性学」と理解されている。〔略〕日本でも「美学」は〔略〕「芸術哲学」で、〔略〕しかし、「感性学」ではない。日本語では、美学と感性学は同義ではない。」
(佐藤方彦 2011/8: 34頁)。
「脳は独自の論理回路で、感知し、思惟し、吟味するシステムをそなえており、それぞれの回路は縮重性に満ちているとともに、相互に大きく重複していると考えるべきなのであろう。このシステムの活動をある視点からとらえて感性と呼び、別の視点からの活動を悟性、さらにまた別な視点からの特徴を理性と呼んでいるのに過ぎないのであろう。感性に特化したモジュール構造が存在しないだけではなく、ミラーニューロンやミラーシステムに類するような感性ニューロンや感性システムも存在しないのであろう。ないものを見つけ受けることはできまい。」(佐藤方彦 2011/8: 173頁)。
「外界の印象を受け入れる能力という意味では類似しているが、感性はカントのジンリッヒカイトに、感受性はジャン・ジャック・ルソーのサンシビリテに始まるという説明に要約できそうである。〔略〕サンシビリテもある時代の人々の生活観の考究から生まれた言葉で、簡単に説明することは難しいらしい。「感受性」は、英語には「センシビリティ」、また、ドイツ語には「センシビリタート」や「エンフェングリッヒカイト」という単語があるにもかかわらず、ドイツでもイギリスでも、真に感受性を意味するときには、フランス語の「サンシビリテ」を使うことになるというのである。」(佐藤方彦 2011/8: 173頁)。
あとがきで、
「感性と感受性の区別〔略〕には生物科学は答えようがない。感性は〔略〕定義できる段階にはなく、感受性の方は仮説の試みさえないからである。」(佐藤方彦 2011/8: 181頁)。
結局のところ、感性とは何かは、対応する神経細胞群が見つからないとして、ある観点からの脳システムの活動だという。ならば、その観点を説明してもらいたい。
79頁に図4-2として、ベッツィと名づけられた一歳雌のチンパンジーに絵具を指につけて作らせた「指塗り絵 finger painting」の白黒画像が載せてある。なかなか面白い。上下をひっくり返して少し手を加えれば、もっと面白いものになるだろう。
面白いものになるように修正するのは、わたしの感性または美的評価基準によっている。
指の幅で繰り返される図柄が、或る効果を産んでいる。ただし、そのチンパンジーはその行為を楽しんだにしても、美的鑑賞を楽しんだでわけではないだろう。そのチンパンジーにとっては、それは絵画ではない。
或る人々にとっては、絵画とはなる。絵画とは、絵画的感性を投じるシステム体(たとえばヒト有機体)にとってのみ、絵画となるものである。
感じ feeling そのものを分析すべきである。
もう一点。抽象絵画を問題にするのなら、表象 representation として捉えることを避けるか、representation 再現前を、再現ではない意味を含む広い意味で定義しなおすべきである。いまだに、「表象」という、わたしにはわけのわからない言葉が使われているので、やはりrepresentation 再現前を使わせないのがよい。そうして、明瞭な思考をしよう。
ベッツィの「指塗り絵」の画像を検索してみたら、下記の記事があった。
人間の描画の起源をチンパンジーとの比較研究から解明しました -人間に固有なシンボルの生成や言語の習得について描画から検証-
Aya Saito, Misato Hayashi, Hideko Takeshita, Tetsuro Matsuzawa
The Origin of Representational Drawing: A Comparison of Human Children and Chimpanzees.
チンパンジーと人間の子どもの描画の比較
http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/publication/AyaSaito/Saito2014-CD.html
上記記事で言及されている。「齋藤亜矢の日本語の著書『ヒトはなぜ絵を描くのか』(2014」は、イマイチだった。
文献
[い]
*岩田誠.1997/10/1?.見る脳・描く脳 絵画のニューロサイエンス.196pp.東京大学出版会.[2,800円+税]
[こ]
*小泉英明(編著).2008/11.恋う・癒す・究める 脳科学と芸術.工作舎.[3,990円]
[さ]
齋藤亜矢.2014/2/5.ヒトはなぜ絵を描くのか──芸術認知科学への招待[岩波科学ライブラリー].岩波書店.[B20140410、1,404円][Rh20140413]
佐藤方彦.2011/8/31.感性を科学する.xiii+185pp.丸善出版.[本体2,900円+税][大市中図701.1][Rh20170530][さとう まさひこ]
[な]
*中原佑介.2001/7/17?.ヒトはなぜ絵を描くのか.
美術修行2017年5月30日(水):佐藤方彦2011『感性を科学する』読感
[さ]
佐藤方彦.2011/8/31.感性を科学する.xiii+185pp.丸善出版.[本体2,900円+税][大市中図701.1][Rh20170530][さとう まさひこ]
誤植が少なくとも10箇所あった。たとえば、45頁の図3-1の、艦隊→桿体。
何の誤植か見当のつかない誤植もあった。114頁の意識のモデル図8-1 での、「源氏の知覚カテゴリー化」の「源氏」、と、「意味の独力回路」の「独力」。
鍵となる概念と思う、創発、縮重性、メカニズムなどについての説明が、無いか、あってもわからなかった。
そして、全体構成が有機的ではないし、いろいろと参照しているが、個々の論理展開と結論が無いか不明瞭であることが大部分である。
1. 参照および検討対象とした構成部分が、適切ではない。
2. したがって、分析不十分である。
3. あちこちと散策しているが、それらを繋げる筋道または論理展開が、不明である。
4. 総合や統合は、無い。
「バウムガルテン〔略〕の〔略〕著作『エスティテカ』〔略〕では、エスティテカは、感覚的認識の学であり、美しく思惟することの技術であると説かれている。そして、「美」とはエスティテクスによる認識の完全性であると定義している。〔略〕
「エスティテカ」は、言葉の経緯からは「感性学」ということになる。しかし、バウムガルテンの「エスティテカ」を日本に紹介した〔略〕中江兆民は中国の易経の文言を吟味して「美学」という用語を創り出した。〔略〕井上哲次郎の「形而上学」も易経に由来する。欧米では、「エスティテカ」は、芸術の美の理論を扱う哲学の一分野「芸術哲学」を意味する用語となり、語義は「感性学」と理解されている。〔略〕日本でも「美学」は〔略〕「芸術哲学」で、〔略〕しかし、「感性学」ではない。日本語では、美学と感性学は同義ではない。」
(佐藤方彦 2011/8: 34頁)。
「脳は独自の論理回路で、感知し、思惟し、吟味するシステムをそなえており、それぞれの回路は縮重性に満ちているとともに、相互に大きく重複していると考えるべきなのであろう。このシステムの活動をある視点からとらえて感性と呼び、別の視点からの活動を悟性、さらにまた別な視点からの特徴を理性と呼んでいるのに過ぎないのであろう。感性に特化したモジュール構造が存在しないだけではなく、ミラーニューロンやミラーシステムに類するような感性ニューロンや感性システムも存在しないのであろう。ないものを見つけ受けることはできまい。」(佐藤方彦 2011/8: 173頁)。
「外界の印象を受け入れる能力という意味では類似しているが、感性はカントのジンリッヒカイトに、感受性はジャン・ジャック・ルソーのサンシビリテに始まるという説明に要約できそうである。〔略〕サンシビリテもある時代の人々の生活観の考究から生まれた言葉で、簡単に説明することは難しいらしい。「感受性」は、英語には「センシビリティ」、また、ドイツ語には「センシビリタート」や「エンフェングリッヒカイト」という単語があるにもかかわらず、ドイツでもイギリスでも、真に感受性を意味するときには、フランス語の「サンシビリテ」を使うことになるというのである。」(佐藤方彦 2011/8: 173頁)。
あとがきで、
「感性と感受性の区別〔略〕には生物科学は答えようがない。感性は〔略〕定義できる段階にはなく、感受性の方は仮説の試みさえないからである。」(佐藤方彦 2011/8: 181頁)。
結局のところ、感性とは何かは、対応する神経細胞群が見つからないとして、ある観点からの脳システムの活動だという。ならば、その観点を説明してもらいたい。
79頁に図4-2として、ベッツィと名づけられた一歳雌のチンパンジーに絵具を指につけて作らせた「指塗り絵 finger painting」の白黒画像が載せてある。なかなか面白い。上下をひっくり返して少し手を加えれば、もっと面白いものになるだろう。
面白いものになるように修正するのは、わたしの感性または美的評価基準によっている。
指の幅で繰り返される図柄が、或る効果を産んでいる。ただし、そのチンパンジーはその行為を楽しんだにしても、美的鑑賞を楽しんだでわけではないだろう。そのチンパンジーにとっては、それは絵画ではない。
或る人々にとっては、絵画とはなる。絵画とは、絵画的感性を投じるシステム体(たとえばヒト有機体)にとってのみ、絵画となるものである。
感じ feeling そのものを分析すべきである。
もう一点。抽象絵画を問題にするのなら、表象 representation として捉えることを避けるか、representation 再現前を、再現ではない意味を含む広い意味で定義しなおすべきである。いまだに、「表象」という、わたしにはわけのわからない言葉が使われているので、やはりrepresentation 再現前を使わせないのがよい。そうして、明瞭な思考をしよう。
ベッツィの「指塗り絵」の画像を検索してみたら、下記の記事があった。
人間の描画の起源をチンパンジーとの比較研究から解明しました -人間に固有なシンボルの生成や言語の習得について描画から検証-
Aya Saito, Misato Hayashi, Hideko Takeshita, Tetsuro Matsuzawa
The Origin of Representational Drawing: A Comparison of Human Children and Chimpanzees.
チンパンジーと人間の子どもの描画の比較
http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/publication/AyaSaito/Saito2014-CD.html
上記記事で言及されている。「齋藤亜矢の日本語の著書『ヒトはなぜ絵を描くのか』(2014」は、イマイチだった。
文献
[い]
*岩田誠.1997/10/1?.見る脳・描く脳 絵画のニューロサイエンス.196pp.東京大学出版会.[2,800円+税]
[こ]
*小泉英明(編著).2008/11.恋う・癒す・究める 脳科学と芸術.工作舎.[3,990円]
[さ]
齋藤亜矢.2014/2/5.ヒトはなぜ絵を描くのか──芸術認知科学への招待[岩波科学ライブラリー].岩波書店.[B20140410、1,404円][Rh20140413]
佐藤方彦.2011/8/31.感性を科学する.xiii+185pp.丸善出版.[本体2,900円+税][大市中図701.1][Rh20170530][さとう まさひこ]
[な]
*中原佑介.2001/7/17?.ヒトはなぜ絵を描くのか.