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福島原発と東北地方太平洋沖地震93

2011年04月20日 01時09分25秒 | 生命生物生活哲学
2011年4月20日-1
福島原発と東北地方太平洋沖地震93

 村上陽一郎『安全と安心の科学』の帯(腰巻き)に、

  「いくら「安全」と言われても「安心できない理由[わけ]がある」

とある。
 その第三章(99-129頁)は、「原子力と安全?過ちに学ぶ「安全文化」の確立」となっている。

 1999年9月30日に起きたJCO事故については「初心忘るべからず」という教訓を、2001年11月7日に起きた浜岡原発での小さな水素爆発による余熱除去系統の配管破損事故では技術の継承という問題点を指摘している。
 確率論的安全評価 Probabilistic Safety Assessment (PSA) という手法は、「アメリカの原子力関連の業界で誕生した」(125頁)らしい。
 原子炉という巨大なシステムは、人間ー機械系であり、また「多様な要素の累積体」(127頁)だが、

  「すべての要素は(人工物)は故障したり損傷したりする可能性があり、かつすべての要素(人間)は過ちを犯す可能性がある」という前提を立てます。
   そして一つ一つの要素に〔略〕何らかの不都合が発生する確率を算定します。その算出には、それぞれの要素についての過去の実績が基礎となります。そしてその不都合の一つ一つが実現したと仮定したとき、どのような連鎖を構成して、炉心溶融という原子炉施設にとって最悪の危険に辿りつくか、そのシナリオ(「事象の木」と呼ぶようですが)を想定します。〔略〕その想定から、そのシステムが炉心溶融という最悪の事態を惹〔→引?〕き起こす確率も算出できることになります。」(村上 2005: 127頁)。

とのことである。『確率』とは何だろうか?
 それはさておき、

  「事故が起こる確率は計算してみると、一千万年に一回だ、と言われれば、私たちは、相当安全だと考えていいんだな、と思いますね。〔略〕困ったことには、こうした数字を「合理的」に算出されても、私たちは「安心した!」と言ってしまえないところがあります。
 落とし話に、亀を買ってきたら翌日死んでしまった、亀は一万年生きると聞いていたのに、こんなに直ぐ死んでしまうとは、と嘆いたら、きっと今日が、一万年目だったんだろう、と言われたといものですが、一千万年に一回のその事象が、私の生きている間、あるいは今日絶対に起こらないという保証は、少なくとも心理的にはない、ということです。」(村上 2005: 128-129頁)。

 ここでは、確率という考え方と、或る事象が起こる時機 timingの問題があると思う。亀の場合には、買ったときに何歳だったのかを、その亀生物体(の性質)を観測して(方法があればだが)推定することができる。同様に、原子炉の場合にも、『寿命』があるし、その後に設計の誤りが見つかるかもしれない。それらを考慮に入れれば良いだろう。寿命を変更するのは、危険が増すことになるだろう。いけません。
 
 メキシコ湾でのブリティッシュ・ペトロリアムの原油流出事故では、或る作業をすれば、6割か7割の確率で流出防止に成功すると予想されていた。しかし、失敗した。この確率の値とはなんだったのだろうか。
 ところで、ロイターによれば、

  「NOAAのジョースト・デゴウ氏らによると、原油の中に含まれていた最も軽い化学物質は科学者が予想していた通りに数時間で蒸発したが、予想外だったのは、分子構造でより多くの炭素原子を持つ重い化学物質(有機エアロゾル)は蒸発にもっと時間がかかり、より広範囲に拡散、大気汚染粒子の形成に大きな役割を果たしたことだという。
 同氏は大気汚染粒子の大部分が、あまり測定されず、かつて科学者が被害をもたらすほど多くはないと想定していた化学物質で形成されているとの理論が確認された形だ、と述べた。」
http://jp.reuters.com/article/3rd_jp_jiji_EnvNews/idJPjiji2011031100353

とのこと。

 予測が外れたり、想定外の事故が起こったりして、科学理論やと科学技術の改良は進む。
 想定外のことが起きて、燃料棒溶融とか炉心溶融(どれだけの燃料棒が溶ければ炉心溶融[メルトダウン]と呼ぶのか?)といった過酷事故が起きたときの(不安も含めて)被害は甚大なので、抑制的に制御しなければ暴走する核分裂型の原子炉は、そもそもの設計思想が悪いと言えよう。

 自然におけるウランには、ウラン235は0.27%弱で、安定している(117頁)。原子力の平和利用といいつつ、潜在的には原爆を作れるので、多くの国で原発が作られたという一面があるだろう。そして、30年とか数百年とかの半減期の汚染の可能性があれば、とても心穏やかにはなれない。

 幸い日本には高標高の土地が各地にある。エネルギー消費少なくして可能な人は、冬は温かい所へ、夏は涼しい所へ(できるだけ自転車や乗り合い電気自動車で)移動するのは、どうだろうか。あるいは、夏は冷房を止めて熱島(ヒートアイランド)現象への寄与を少なくしつつ水撒きしてなんとかしのげないだろうか? 熱中症で死なないように気をつけなければならないが。
 すでに、首都圏での夏の停電防止のために使用電力量を減らすために、事業所で冷房温度設定を30度とかいう話も出ているらしい。働き過ぎも止めて、二週間とか一か月の休暇を設定することを義務づけるのはどうだろうか。残業廃止方向も実践してほしい。

 
[M]
村上陽一郎.2005.1.安全と安心の科学.206pp.集英社[新書].