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Bechtel (2006) 機構と表示 MechanismとRepresentation の訳[改訂と追加]

2016年08月20日 12時41分38秒 | システム学の基礎
2016年8月20日-2
Bechtel (2006) 機構と表示 MechanismとRepresentation の訳[改訂と追加]

2016年8月20日-1
Bechtel (2006) 機構と表示 MechanismとRepresentation の訳(改訂増補)
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William Bechtel (2006) "細胞の諸機構を発見する Discovering Cell Mechanisms"

2.3. 機構の現代的捉え方 Current Conceptions of Mechanism [p.26]

 最近の20年間に生物諸科学への注目がますます増すにつれて、数多くの科学哲学者たちが機構的〔機械論的〕説明 mechanistic explanation 〔訳註1〕に関心を向け始めた。彼らは適当な枠組みが存在しないことを、初期の提案で述べた。その提案は、いくつかの重要な事項で、また用語、〔論議の〕範囲 scope〔視界〕、そして強調点において、重複していた。(たとえば、Bechtel & Richardson, 1993; Glennan, 1996; Machamer, Darden, & Craver, 2000)[〔原註〕^2]。まず、自然界に見られる機構の基本的特徴づけを与え、次にそれを機構的説明のための枠組みへと仕上げよう。すなわち、
 
  一つの機構とは、その構成部分 component parts、構成要素の働き component operations、そしてそれらの編制〔組織化〕 organization によって、一つの機能を遂行する一つの構造である。その機構が調整されて機能すること orchaesrated functioning が、一つ以上の現象を招く responsible for one or more phenomena。

 さらに、

・ 機構の構成部分とは、注目した現象を生じること producing に関わりのある構成部分である。【p.26/p.27】
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  訳註1。mechanistic explanation は機械論的考えを引き継いでいるので、機械論的説明と訳した方が良いだろうと思う。マーナとブーンゲ(2008: ??)が主張する「mechanismic」という語に、機構的と訳して、機械論的な文脈での「mechanism」を「機関」と訳すのも選択肢の一つだろう。機械論的機構は、「machinery」という語を用いて、「からくり」または「機関」と訳す手もあるだろう。しかし残念ながら、「mechanism」という語では区別できないので、とりあえずは「mechanistic」も「機構的」としておく。きちんと論じて訳語を定めるには、機械類比論 などとの区別点を踏まえる必要がある。
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・ 各々の構成要素の働きは、少なくとも一つの構成部分と関与する。典型的には、その働きを開始するか維持する一つの活動的部分があり、その働きによって変化する少なくとも一つの受動的部分がある。その変化は、一つの部分の場所または他の諸性質へ向けられるかもしれないし、あるいはそれを別の種類の部分へと変形するかもしれない。
・ 機構は編制〔組織化〕の多数の水準に関与するかもしれない。
・ 働きは、単純に時間的順序によって編制されることができる。しかし、生物学的機構での働きは、もっと複雑な形態の編制を示す傾向がある。
・ 機構は、動力学的 dynamic であり得るし、個体発生的と系統発生的の両方に変化し得る。

 機構のこのような特徴づけのいくつかの特徴は、洗練が必要である。

   _機構は現象を説明する_ _Mechanisms Explain Phenomena_ [p.27]

 機構の捉え方は最初は、説明の文脈と結ばれている。すなわち、機構は、説明が探し求められる現象によって同定される。論理経験主義的な科学哲学においては、説明を、観察〔観測〕言明を説明するものとして説明を解釈する傾向があった。観察言明は、事象を理論中立的に特徴づけるものと取られたのである。この見解は、Hanson (1948) とKuhn (1962/1970)に由来する論争、観察は理論負荷的であり、科学者たちが観察するものはかれらが従う理論によって影響されるという論争とともに疑わしいものとなった。これは、理論が、試験されるべき理論によってすでに形づくられた観察によって試験される、という循環性を招く恐れがあると思われた。この循環性は不公理だと示す、より簡単なやり方があるけれども[^3]、BogenとWoodward は、観察は科学者たちが説明するものであるという考えそのものに挑戦した。彼らは、観察と現象を対比させた。観察はデータ〔資料〕を提供するが(ただしデータが期待されるものと判明せず、調査者がなぜかを求める場合を除いて)、科学者たちが説明するのはデータではない。むしろ、彼らは_現象_を説明するのである。現象とはつまり、この世界における出来事 occurences であり、その出来事についてデータを入手することができるのである。特異的な〔唯一無二の singular〕現象(ビッグバンや特定の有機体の誕生)はあり得るけれども【p.27/p.28】、科学で注目する現象は、一般化において捕えられるものである。一般化とは、たとえば、変数間の関数関係とか、あるいは一定の種類の事象が他の一定の型の事象が生起したときにだけ規則的に生起するという事実とかに、関与するものである。データは、現象を同定し証拠を提供する際に重要な役割を演じるが、説明の対象であると同定されるのは現象である。
 BogenとWoodward は、現象の事例として、「弱い中性電流、陽子の崩壊、そして人の記憶における新近性効果」(1988, p.306)を提示した。生物学では、DNA〔デオキシリボ核酸〕の複製、またはアルコール発酵は、この事例に相当するだろう。現象を定量的に特徴づけることはしばしば可能である。BogenとWoodward は、鉛が摂氏327度で溶けるという事例を考察している。ガレリオは、地球表面の近くで自由落下する物体が動く距離は、それが落下するときの秒数の二乗〔平方〕の16倍だということを確立した。定量的現象の生物学的事例は、正常の細胞で形成されるアデノシン三燐酸(ATP)の分子の最大数は、費やされる一酸素分子当たりの酸化的燐酸化反応によって、3であるというものである。現象はまた、様々な程度の特異性 specificity によって特徴づけることができる。個々の科学者は、彼女の研究にとっての現象とは、たとえば特定の諸条件下で生きる特定種に存在する特異的な型の細胞における特定の蛋白の合成なのだと同定するかもしれない。或る総説論文の著者は、様々な細胞型と種におけるその蛋白の合成という現象を扱うかもしれない。最も一般的な水準では、教科書の著者は、単に「蛋白合成」について少しばかりの頁を書くかもしれない。
 現象を同定し特徴づけることは挑戦的な科学的活動であり、それは時間、金銭、そして創意工夫のかなりの資源を消費する。主張される現象は、本物であると示されなければならないし、その一般性が同定されなければならない。主張される現象のうち、精査されると成立せず、捨てられなければならないものもある。機構的説明の発展のためには、現象を特定化することの重要性をわたしは強調するであろうが、その現象を招くと取られる機構の研究の過程で、科学者が現象の特徴づけをしばしば改訂することを、最初から注意しておくことは重要である。『複雑性を発見する Discovering Complexity』においてRichardsonとわたしは、このような改訂を現象の再構成_reconstituting the phenomenon_と呼び、事例を提供した。それは、研究者たちは、遺伝子発現の機構を研究する途上で、何に対して遺伝子は符号化するのかという捉え方を繰り返し改訂したという事例である。1860年代にグレゴール メンデルは、 特徴 traitsに対する因子 factorsについて語った。1910年代にトーマス ハント モルガンと彼の恊働者たちは、眼の色といった特徴に対する遺伝子の場所を突き止めようと探し求めた。しかし1940年代に Beadle とTatum のアカパンカビにおける突然変異の探求は、彼ら自身をして、遺伝子を特徴ではなく個々の酵素へと結びつけることとなった。【p.28/p.29】
 もし現象の捉え方の改訂がそんなにも大きいのならば、その機構が何を行なっているかが、いまだに存在すると認められるものは少ししかない。当初に特徴づけられた現象に対する機構を分節するように向かってなされた仕事は、無駄に終わったと証明されたと言えるかもしれない。もっとも、きわめてしばしば、現象の特徴づけにおける変化は、旧来の捉え方の大規模な置換ではなくて、改訂という形態を取り、したがって機構の説明における変化は、より限定されたものである。たとえば、初期の研究者は発酵を、糖を分解して(熱を副産物とするとともに)アルコールを産する異化活動として解釈した。解放されたエネルギーが、他の細胞活動のためのエネルギー資源として使われる高エネルギーの燐酸結合に捕えられると、研究者たちはひとたび認識すると、説明されるべき現象の捉え方は改訂されたのである。それは今や、食料のエネルギーを細胞分裂といった他の活動に役立つ形態へと転換する機構なのである。しかし、糖のアルコールへの異化的分解は、この過程の一部として留まっている。ゆえに、発酵の機構について知られたことの多くは、その現象が再概念化された後もなお、応用されたのである。
 そのことから生じたのは、機構的〔機械論的〕説明を含めて、説明を提供するという企画は、現象を同定することから始まることを強調することである。ここが、機能する構造が決定され、関連する部分と働きとそれらの組織化として何が同定されれば成功であると認めるのかを制約するところである(Kauffman, 1971)〔訳し方がよくわからん〕。もしなんらかの存在者が働きが、当該の現象の生産に寄与していないのならば、それはその現象を招く機構の一部ではない。この解釈にもとづけば、異なる機構は、同一の時空的領域での同一の実体 substance において例示されるかもしれないし、多くの構成部分と働きを共有するかもしれない。一組の部分と働きを当該の機構へと統一するものは、特定の現象を産むにあたっての、それらの編制〔組織化〕とそれらの恊働的な機能である。
 現象についてのこの議論を、機構を様々に特徴づけることに使い続けるであろう、一つの実例を紹介して締めくくろう。ハーヴェイ Harveyの研究の後、循環系を通じた血液の汲み上げは、うまく述べられた現象であった。今ではその現象は明白だと受け取られているが、ハーヴェイが血液の循環についてもっと一般的な現象を確立するまでは、血液汲み上げの現象は認められなかった。研究者たちは、循環のことを考慮するよりも、動脈と静脈の両方が物質を体組織へ運んだと、またこの現象はより新しい物質が古い物質を押し出すことの結果としてたやすく説明されたと思ったのである。ひとたびハーヴェイが血液は循環することを確立すると、血液を動かす汲み上げ器の必要が認識されたし、機能する心臓はこの現象を招くものとして同定された。説明されるべき現象を特定することの重要性は、この例で示されている。心臓が血液汲み上げの機能を遂行するものとして認識されるまでは、これが生じる方法を理解することに興味は持たれなかった。そのうえ、心臓は他のことも行なっていた。心臓は音を作ったし、この現象を説明したいという人もいたかもしれない。しかしながらそれは異なる機構に関与する異なる現象である。いくつかの構成要素を、血液を汲み上げるための機構と共有する、音を立てるという諸部分と諸々の働きからなる一つのシステムは、しかしそれ〔=血液汲み上げ機構〕とは同一ではない。


    _構成部分と構成要素の働き_ _Component Parts and Component Operations_ [p.30]

 機構についての強調すべき次の側面は、機構は構成部分と構成要素の働きから成るということである[^6]。図2.2は、血液を送り出す〔汲み上げる〕ための機構として見たときの心臓の鍵となる構成要素を解説するものである。

図2.2 機構の一例。心臓は血液を送り出す。名称をつけた部分は、RA:右心房、LA:左心房、RV:右心室、LV:左心室、T:三尖弁、M:僧帽弁、P:肺動脈弁、A:大動脈弁。
〔図2.2では、心臓の断面図と心臓外部の部位に、各部位の名称の略語が記入され、血液の進行方向を示す矢印が記入されている。大動脈→組織→大静脈→心臓[右心房→三尖弁→右心室→肺動脈弁]→肺動脈→肺→肺静脈→心臓[左心房→僧帽弁→左心室→大動脈弁]→大動脈。管や器官を移動するのは血液で、肺は、血液中の血色素に結合した二酸化炭素を酸素に交換する。弁は、血液が流れる方向を、その形態によって制御する装置である。血液が流れるようにしているのは、心臓部位の収縮と弛緩が時間的に制御された運動である。この図は血液循環の経路を示しているだけである。収縮と弛緩といった物理的運動、さらにはそのような物理的運動を引き起こす力または作用を書き込まないことには、機構を表示したとは言えない。〕

心臓の構成部分として、心房と心室、心房と心室の間の弁、心室と動脈の間の弁、そして血液自体を含んでいる。構成要素の働きとしては、心房と心室の収縮と弛緩、そして弁の開閉である。心房と心室が収縮すると血液はそれらから追い出され、その後に弁が閉じることで血液の逆流が防がれる[^7]。ここでの血液は機構の一部であるが、それ自身が(この現象の文脈において)働きを遂行するというよりも、働きかけられる部分である。この事例では、働きを遂行する部分は働きかけられる部分と分離しているけれども、他の事例では、働きを遂行する部分は、働きかけられる部分にも影響されるかもしれない(第6節で論じるように、このようなフィードバックは、機構が自己制御できる主要なやり方を提供している)。
 一つの機構を構成する部分と働きは、科学者がすっきりと識別して教科書にあるように名称がつけられているようには、存在していない。研究が機構を理解する結果となるには、それを物理的にではないにしても概念的に_分解し decomposing_(それをばらばらにする)必要がある。部分と働きという分割に対応して、二つの型の分解がある。_構造的分解 structural decomposition_とわたしが呼ぶものは、一つの構造を諸構成部分へと分解する。他方、_機能的分解 functional decoposition_は、その機能を構成要素の働きへと分解する。ときには調整されることはあるが、これらの二つの型の分解が、異なる分野にいて異なる道具を用いる科学者たちによって互いに独立に追求されることは、稀ではない。しばしば一つの分解が他の分解よりも速くにまた成功裡に進む。遅い方の探求が追いつくまでには、かなりの時間が経過しているのである。
 構造的分解の一事例は、解剖的分割による発見である。すなわち、(1)身体は一つの心臓を持つ、そして(2)心臓は4つの部屋〔小室〕(RA、LA、RV、そしてLV)を持ち、少なくとも4つの弁(T、M、P、そしてA)を持つという発見である。もう一つの事例は、顕微鏡使用による発見で、それは、(1)組織は細胞から成る、(2)細胞は、原形質膜、核、そして細胞質を含む、(3)細胞質は、細胞内可溶質 cytosolとミトコンドリアやゴルジ装置といった様々な細胞小器官を含む、(4)各々の細胞小器官は、内的構造を持っている(その記述とさらなる水準は、細胞小器官によって異なる)、である。機能的分解の一つの事例は、生理学的研究による発見で、血液の送り出しの全体的機能は、(様々な時刻と様々な小室での)収縮と弛緩、そして(弁の)開閉の、多数の構成要素の働きを含む。括弧中のものは、関与する部分のなんらかの指摘〔指示〕がなければ、働きを特定することは一般的に難しいことを示している。しかし、機能的分解という分離した概念を持つことは、有用である。なぜなら、働きを同定するうえでの進歩は、関与する部分のいくつかまたはすべてについての最小限の知識があるときに、しばしば前進できるからである。たとえば、20世紀初期の生化学者たちは、細胞呼吸の全体的機能を、数多くの生化学的反応(働き)へと分解した。他方、構造的には、彼らは基質と産物(受動的部分)についての基本的知識を持っていたが、諸反応を触媒すると想定される酵素(活動的部分)に対して名称を発明する程度のことしかしなかったのである。
 究極のところ、機構の完全な特徴づけは、その構造が分解される諸部分のうえに、その機構の全体的機能が分解される諸働きへと、写像することを必要とする。わたしは、_局在化 localization_という用語を、このような写像に対して使う。これについては、もっと後で議論する。或る水準での部分と働きを同定するだけではなく、部分と働きの編制を暴露することもまた、きわめて重要である。機構がその振る舞いをいかにして生み出すのかを十分に理解するには、このような組み合わされた観点がしばしば必要とされる。なぜなら、諸部分の空間的配置が、それらの働きの時間的編制を可能にするか容易にしているのが頻繁だからである。そのうえ実践的問題として、構造と機能は他方への重要な洞察を、しばしばもたらす。或る部分の構造的特徴を知ることは、それがどのようにその働きを成し遂げるのかへと洞察を提供できるのである。遂行されている働きを理解することは、どの種類の部分が招いているのかについての手懸かりをしばしば提供する。生細胞のなかで見られる現象を招く機構を理解するための、近代細胞生物学の主要な貢献は、後に見るように、様々な細胞小器官をそれらが遂行する生理的働きと、特定の生化学的働きを持つ細胞小器官のより下位の水準での一定の構成要素とに、関係づける能力を必要としたのである。


   _編制と調整Organization and Orchestration_ [p.32]




   2.4. Representing and Reasoning about Mechanisms p.33