2011年6月28日-1
絵画と記号、グッドマン『世界制作の方法』
Nelson Goodman ネルソン・グッドマン(1906-1998)の妻は画家であるらしい。
グッドマン『世界制作の方法』 【その名前のもとに同一視されているもの(それはいったい何だろう?)の或る複製物が積ん読状態のまま16年が経過した】 のはじめのほうに、
「多くの世界があるというのは正確にはどういう意味でなのか。本物の世界をいつわりの世界から区別するものは何なのか。世界は何から作られているのか。世界はどのようにして作られるのか。その制作にさいして記号はどのような役割をはたしているのか。さらに、世界制作は知識とどのように関連しているのか。これらの問いを正面から取り上げなくてはならない。」(グッドマン『世界制作の方法』、2頁)。
とある。
とりわけ、製作のときに記号がどのような役割をするのか、とは興味深い。
なお、菅野盾樹『恣意性の神話』の第七章では、
「藝術を記号機能の面から考察するにあたり、〔略〕理論枠組の一つの重要な柱として、グッドマンの記号理論を採り上げた。」
http://www33.ocn.ne.jp/~homosignificans/symbolnoumi/content/works/papers/semioticism.html
とのことである。
「彼〔グッドマン〕によれば、唯名論とは何物でも個体として受け入れるが、何物をも集合とは見なさない学説、つまり、集合を個体と見なすことを拒否する主張である。たとえばごく常識的に、レンガ造りの家はレンガの壁から成り、壁は個々のレンガから成っている、とわれわれは言う。ところで、集合を存在者に数える実念論者は、ここに三つの別々の存在者、レンガ、レンガの集合としての壁、壁の集合としての家、すなわちレンガの集合の集合としての家を認めるのだ(ちなみに実念論者は、このやり方を続けてすきなだけ存在者を殖やすことができる)。これにひきかえ、唯名論者の眼には、その場にただひとつの同じ個体しか見えない。というのも彼にとり、どんな存在者も、いやしくも同じ要素へ分割されるならたがいに同一だからである*。唯名論とはグッドマンが額に汗しながら世界を構築するのに使用するクレーン、体系を構成する論理的装置にほかならない。それを形式化してとりだせば、いわゆる「個体計算」になる。」(菅野盾樹「グッドマンの記号主義」、『恣意性の神話』)
http://www33.ocn.ne.jp/~homosignificans/symbolnoumi/content/works/papers/semioticism.html
壁は、レンガの集合なのか? 「壁は個々のレンガから成っている」とは、壁を構成する要素、あるいはなんらかの単位または個体は、レンガである、ということであろう。
構成(壁)={レンガ1, レンガ2, ...} (「{}」は数学的集合であることを表わす)
種類(構成(壁))=レンガ
「唯名論者の眼には、その場にただひとつの同じ個体しか見えない」という、その個体とは何なのか? レンガだけなのか、壁だけなのか、家だけなのか? 壁の集合としてではない家は(個体として)在るのか?
「レンガの集合としての壁」とは、レンガ間の結合関係は何も無いとするということなのか。それとも、何らかの結合素関係がレンガ間にあっても、構成あるいは成分だけを問題にするということなのか。
1. レンガを重力だけによって結合させて壁を作った場合
2. レンガ面を水を使って(この場合の結合力は何?)壁を作った場合
3. レンガをセメントを使って(この場合の結合力は何?)壁を作った場合
「同じ要素へ分割される」とはどういう事態を指しているのか?
生物体の場合には、(人体の)一つの細胞、細胞を構成要素とする心臓、臓器や組織などを構成要素とする人体、これらもひとつの同じ個体なのか?
唯名論、あるいはグッドマンの「集合を個体と見なすことを拒否する」唯名論は、システム主義とは相容れないのか?
[G]
グッドマン,N.1978.(菅野盾樹・中村雅之訳,1987)世界制作の方法.xii+274+ixpp.みすず書房.[B950404, y2575]
[T]
菅野盾樹.1999.恣意性の神話.xii+278+13pp.勁草書房.[B990805, y3,200]
絵画と記号、グッドマン『世界制作の方法』
Nelson Goodman ネルソン・グッドマン(1906-1998)の妻は画家であるらしい。
グッドマン『世界制作の方法』 【その名前のもとに同一視されているもの(それはいったい何だろう?)の或る複製物が積ん読状態のまま16年が経過した】 のはじめのほうに、
「多くの世界があるというのは正確にはどういう意味でなのか。本物の世界をいつわりの世界から区別するものは何なのか。世界は何から作られているのか。世界はどのようにして作られるのか。その制作にさいして記号はどのような役割をはたしているのか。さらに、世界制作は知識とどのように関連しているのか。これらの問いを正面から取り上げなくてはならない。」(グッドマン『世界制作の方法』、2頁)。
とある。
とりわけ、製作のときに記号がどのような役割をするのか、とは興味深い。
なお、菅野盾樹『恣意性の神話』の第七章では、
「藝術を記号機能の面から考察するにあたり、〔略〕理論枠組の一つの重要な柱として、グッドマンの記号理論を採り上げた。」
http://www33.ocn.ne.jp/~homosignificans/symbolnoumi/content/works/papers/semioticism.html
とのことである。
「彼〔グッドマン〕によれば、唯名論とは何物でも個体として受け入れるが、何物をも集合とは見なさない学説、つまり、集合を個体と見なすことを拒否する主張である。たとえばごく常識的に、レンガ造りの家はレンガの壁から成り、壁は個々のレンガから成っている、とわれわれは言う。ところで、集合を存在者に数える実念論者は、ここに三つの別々の存在者、レンガ、レンガの集合としての壁、壁の集合としての家、すなわちレンガの集合の集合としての家を認めるのだ(ちなみに実念論者は、このやり方を続けてすきなだけ存在者を殖やすことができる)。これにひきかえ、唯名論者の眼には、その場にただひとつの同じ個体しか見えない。というのも彼にとり、どんな存在者も、いやしくも同じ要素へ分割されるならたがいに同一だからである*。唯名論とはグッドマンが額に汗しながら世界を構築するのに使用するクレーン、体系を構成する論理的装置にほかならない。それを形式化してとりだせば、いわゆる「個体計算」になる。」(菅野盾樹「グッドマンの記号主義」、『恣意性の神話』)
http://www33.ocn.ne.jp/~homosignificans/symbolnoumi/content/works/papers/semioticism.html
壁は、レンガの集合なのか? 「壁は個々のレンガから成っている」とは、壁を構成する要素、あるいはなんらかの単位または個体は、レンガである、ということであろう。
構成(壁)={レンガ1, レンガ2, ...} (「{}」は数学的集合であることを表わす)
種類(構成(壁))=レンガ
「唯名論者の眼には、その場にただひとつの同じ個体しか見えない」という、その個体とは何なのか? レンガだけなのか、壁だけなのか、家だけなのか? 壁の集合としてではない家は(個体として)在るのか?
「レンガの集合としての壁」とは、レンガ間の結合関係は何も無いとするということなのか。それとも、何らかの結合素関係がレンガ間にあっても、構成あるいは成分だけを問題にするということなのか。
1. レンガを重力だけによって結合させて壁を作った場合
2. レンガ面を水を使って(この場合の結合力は何?)壁を作った場合
3. レンガをセメントを使って(この場合の結合力は何?)壁を作った場合
「同じ要素へ分割される」とはどういう事態を指しているのか?
生物体の場合には、(人体の)一つの細胞、細胞を構成要素とする心臓、臓器や組織などを構成要素とする人体、これらもひとつの同じ個体なのか?
唯名論、あるいはグッドマンの「集合を個体と見なすことを拒否する」唯名論は、システム主義とは相容れないのか?
[G]
グッドマン,N.1978.(菅野盾樹・中村雅之訳,1987)世界制作の方法.xii+274+ixpp.みすず書房.[B950404, y2575]
[T]
菅野盾樹.1999.恣意性の神話.xii+278+13pp.勁草書房.[B990805, y3,200]