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岩城見一.2001/4/25.感性論―エステティックス

2014年12月28日 15時42分32秒 | 美術/絵画原論、絵画理論、絵画技法
2014年12月28日-1
岩城見一.2001/4/25.感性論―エステティックス




↑:二個の(数年前に放置していたものを最近に曜変させた)絵画物体を重ねて、前方の切り裂き穴から、岩城見一『感性論』を覗かせた。

 岩城見一.2001/4/25.感性論―エステティックス 開かれた経験の理論のために.xi+440+xv pp.昭和堂.[円][B20141119、3,999+257=4,256円]

 岩城見一(2001/4)の31頁に、カンディンスキーの『抽象芸術論――芸術における精神的なもの』が引用されている。
  「われわれが物質と精神との間に置く区別は、単なる物質、あるいは精神のさまざまな段階的差異にすぎないのではないだろうか。」(カンディンスキー(西田秀穂 訳 1958)『抽象芸術論――芸術における精神的なもの』38頁)。

  ヘーゲルが言おうとしたことは、
 「〈「形式」と「質料〔→質量?〕」関係で対象の本質を明らかにしようとする意識が「反省的分別」(悟性)であり、この意識にとって対象が現われるとき、この対象は「物」と呼ばれる。そしてこのような思考の枠組みは、古くから力をもつ「形而上学」に支えられている〉。」
(岩城見一 2001/4: 35頁)。

  「「形式」――「質量〔→質料?〕」関係の「形而上学」は、たとえば、アートにおける「線」(輪郭)と「色」(輪郭の内部を埋める質量)との関係をめぐる論争になる。「線」派は「形式」派であり、質量を統一する眼に見えない「形相」をアートの本質とみなす。これに対して 「色」派は「質量」であり、感覚的な色の作用力をアートの本質とみなす。」
(岩城見一 2001/4: 37頁)。


  「イメージにおける形式と物質との結びつき、これがイメージの個性や生命感を左右する。アーティストが常に新たな思想以上に新たな材料に関心を抱くのは、このためだ。材料の感覚的性質自体が、物の見え方に深く関わっている。ざらざらした布に絵の具を塗るのと、滑らかな面に塗るのとでは、色の輝き、深み、透過度など、全てが異なってくる。ここでは、形式と物質とは決して分けることはできない。アートの実践の場面では、「質量」―「形式」の「形而上学」は最初から崩壊している。「形式」は「質料(材料)」に即してその性質を変えるのであり、「質量(材料)」は最初から「形式」を呼び出すものとしてアーティストに語りかけ、形式化につれていっそうはっきりとその質量性が際立ってくる。「石」という材料が、その「物質性」をはっきり示すのは、それが相応しい「形式」を与えられたとき、そのときだけである。」
(岩城見一 2001/4: 46頁)。

 質量という語のほうが数多く、質料という語は少ない。この二つを使い分けているとは思えないのだが、いずれにしろ、混在していて、どちらの意味もわからない。些細な間違いも含む正誤表がついていたが、そこにはこれについての訂正は無かった。