デッサンという語の元はデザインである。(→分析の視点のためのメモ)
さて、吉田敦彦1999『市民のための美術入門 I デッサンのすすめ』の145頁に、彫刻家ムーアの裸婦のデッサンが掲載されている。画家と彫刻家の対象のつかみ方したがって表現の仕方が異なることを説明している。「彫刻家は、ものを輪郭で見ないで、手で摑める塊として感じる訓練を積んでいます。ですから平面的な形としてよりも、奥行きのある深みの中でこちらに迫り出してくるものとして量感を表現する傾向があります。その場合光の方向にかかわらず、凸部は明るく凹部は暗く描かれる傾向になります。」(吉田敦彦 1999: 144)。立体作品をつくるための制作仕様書だからであろう。
立体作品を作る際、素材を削っていって作品を作るという場合(たとえば木彫)と、ペタペタと粘土を張りつけていって作品を作るという場合とでは、作り方の方向性が反対という関係にある。実際は、付加したり(素材の加算)削ったり(素材の減算)を繰り返して作品を作っていくこともあるだろうが、基本的な作り方の違い、それによる発想の違いがあるように思う。
たとえば、平面的に白いガーゼを2枚、少しずらして張り重ねた作品があるとする。ふつうは、それは平面作品であり、色を塗っていなくても(すでに白い色をしていることだし)、絵画と見なされよう。しかし、彫刻家あるいは立体作品を作る人からは、それは立体作品であるらしい。
版画と絵画の違いは、複製的か否かではなく、型があるかどうかであろう。モノタイプは、型があるから、版画である。しかし、印鑑を押すだけで画面を作ったキャンバスは絵画であろう。ここでも境界を引くことはできない。筆で描いたのか、型を使って押したのか刷ったのか、できあがった作品を見ているだけでは、区別ができない。筆もまた、型の一種だとも言える。要するに、どのような形態の要素を画面に固定するかというやり方の様々な様式があり、具体的に実現するために用いる道具が伝統的に継承されて、分野となっている。
では、平面作品と立体作品の仕分けはどうする? 壁に掛けるか張り付けるか、あるいは床に置くかの違いによればよい。たとえば川村記念美術館にあるフランク・ステラの壁掛け作品は、前方の空間に最大で70cm突出していても平面作品であることになる。1km突出していても、作品を支えているのが壁であれば、平面作品であることになる。(では、地球表面から45度に出ている平面に釘でうちつけた作品は、壁掛け作品か床置き作品かとたずねたいね。結局、境界はどちらかに入れるか、どちらにもいれないで中間作品という部門をもうけるかである。→排他的分類とカテゴリー精度の問題)
てなわけで、もう一つ天井から吊るす方式というカテゴリーをもうけなければならない。したがって、天井吊るし、壁掛け、そして床置き、の3つである。これは展示方式による分類であり、ほとんどのすべての作品が(作ろうと思えば中間的なものを作れるが)これらの分類カテゴリーで排他的に分類できる。
むろん、、〔「、、」は意図的〕これらとは異なる(超える?)展示方式がある。つまり、《天井吊るし、壁掛け、床置き》という分類項目は、作品(もしくは作品の支持体)をどこかに結びつけることに方向に着目した分類である。そこで、これらとは異なることを考えたい(これまでに存在した事物とは異なることを考えたり作るのが創造であり、新奇性の創出である)ならば、どこにも結びつけず、空中に置くか浮遊させる、あるいは空中を巡回するといった展示方式が考えられる。
という具合に、思考が関係的に発散してしまい、次の文が空中に投げ出されてしまった(という主張による表現作品)。
ついでに言えば、立体作品の表面(むろん、穴が開いていたり、複雑に入り組んでいてもよい)を塗れば、立体絵画とみなし得る。
記事の拡張(追加の記事、ポッドキャスト)とはなんだろう? 実際にやってみて理解することにする。
ガーゼ2枚という作品は見たことがなくて、或る人から聞いた話である。
先日、たまたま北海道新聞を見て、楢原武正展が札幌のギャラリー大通美術館で開催されていることを知り、90点ほどの平面作品が展示されているのを見に行った。そのとき、Mさんが話してくれたことである。発想の違いがあることを知った。感謝。
さて、楢原武正の特に最近の作品は、彫刻絵画の範例(渡辺慧の用法でのparadigma)である。筆ではなく、釘や平たくした空き缶やトタン板で描いている(と見なし得る)。つるつるに磨いた場合の金属表面(の美しさ)をどう配置するか。
ところで、美術史はどう書かれるのか。→Authur Dantoアーサー・ダント(ダントウ?)。歴史記述の不可能性。勝てば官軍。
ダナ・アーノルド『美術史』(7頁付近)。美術の様式を主題とするのか、作家または傑作を主題とするのか。様式の進歩なるものはあるのか。
なるほど、さきほど誤字を訂正したが、簡単にできて便利。
さて、吉田敦彦1999『市民のための美術入門 I デッサンのすすめ』の145頁に、彫刻家ムーアの裸婦のデッサンが掲載されている。画家と彫刻家の対象のつかみ方したがって表現の仕方が異なることを説明している。「彫刻家は、ものを輪郭で見ないで、手で摑める塊として感じる訓練を積んでいます。ですから平面的な形としてよりも、奥行きのある深みの中でこちらに迫り出してくるものとして量感を表現する傾向があります。その場合光の方向にかかわらず、凸部は明るく凹部は暗く描かれる傾向になります。」(吉田敦彦 1999: 144)。立体作品をつくるための制作仕様書だからであろう。
立体作品を作る際、素材を削っていって作品を作るという場合(たとえば木彫)と、ペタペタと粘土を張りつけていって作品を作るという場合とでは、作り方の方向性が反対という関係にある。実際は、付加したり(素材の加算)削ったり(素材の減算)を繰り返して作品を作っていくこともあるだろうが、基本的な作り方の違い、それによる発想の違いがあるように思う。
たとえば、平面的に白いガーゼを2枚、少しずらして張り重ねた作品があるとする。ふつうは、それは平面作品であり、色を塗っていなくても(すでに白い色をしていることだし)、絵画と見なされよう。しかし、彫刻家あるいは立体作品を作る人からは、それは立体作品であるらしい。
版画と絵画の違いは、複製的か否かではなく、型があるかどうかであろう。モノタイプは、型があるから、版画である。しかし、印鑑を押すだけで画面を作ったキャンバスは絵画であろう。ここでも境界を引くことはできない。筆で描いたのか、型を使って押したのか刷ったのか、できあがった作品を見ているだけでは、区別ができない。筆もまた、型の一種だとも言える。要するに、どのような形態の要素を画面に固定するかというやり方の様々な様式があり、具体的に実現するために用いる道具が伝統的に継承されて、分野となっている。
では、平面作品と立体作品の仕分けはどうする? 壁に掛けるか張り付けるか、あるいは床に置くかの違いによればよい。たとえば川村記念美術館にあるフランク・ステラの壁掛け作品は、前方の空間に最大で70cm突出していても平面作品であることになる。1km突出していても、作品を支えているのが壁であれば、平面作品であることになる。(では、地球表面から45度に出ている平面に釘でうちつけた作品は、壁掛け作品か床置き作品かとたずねたいね。結局、境界はどちらかに入れるか、どちらにもいれないで中間作品という部門をもうけるかである。→排他的分類とカテゴリー精度の問題)
てなわけで、もう一つ天井から吊るす方式というカテゴリーをもうけなければならない。したがって、天井吊るし、壁掛け、そして床置き、の3つである。これは展示方式による分類であり、ほとんどのすべての作品が(作ろうと思えば中間的なものを作れるが)これらの分類カテゴリーで排他的に分類できる。
むろん、、〔「、、」は意図的〕これらとは異なる(超える?)展示方式がある。つまり、《天井吊るし、壁掛け、床置き》という分類項目は、作品(もしくは作品の支持体)をどこかに結びつけることに方向に着目した分類である。そこで、これらとは異なることを考えたい(これまでに存在した事物とは異なることを考えたり作るのが創造であり、新奇性の創出である)ならば、どこにも結びつけず、空中に置くか浮遊させる、あるいは空中を巡回するといった展示方式が考えられる。
という具合に、思考が関係的に発散してしまい、次の文が空中に投げ出されてしまった(という主張による表現作品)。
ついでに言えば、立体作品の表面(むろん、穴が開いていたり、複雑に入り組んでいてもよい)を塗れば、立体絵画とみなし得る。
記事の拡張(追加の記事、ポッドキャスト)とはなんだろう? 実際にやってみて理解することにする。
ガーゼ2枚という作品は見たことがなくて、或る人から聞いた話である。
先日、たまたま北海道新聞を見て、楢原武正展が札幌のギャラリー大通美術館で開催されていることを知り、90点ほどの平面作品が展示されているのを見に行った。そのとき、Mさんが話してくれたことである。発想の違いがあることを知った。感謝。
さて、楢原武正の特に最近の作品は、彫刻絵画の範例(渡辺慧の用法でのparadigma)である。筆ではなく、釘や平たくした空き缶やトタン板で描いている(と見なし得る)。つるつるに磨いた場合の金属表面(の美しさ)をどう配置するか。
ところで、美術史はどう書かれるのか。→Authur Dantoアーサー・ダント(ダントウ?)。歴史記述の不可能性。勝てば官軍。
ダナ・アーノルド『美術史』(7頁付近)。美術の様式を主題とするのか、作家または傑作を主題とするのか。様式の進歩なるものはあるのか。
なるほど、さきほど誤字を訂正したが、簡単にできて便利。