生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

ニッチと生活史段階

2010年05月30日 11時51分11秒 | 生態学
2010年5月30日-3
ニッチと生活史段階

 蝶と呼んでもよい仮想的昆虫を考える。その種に属する雌の成虫個体は、わたしがテキトーに耕して植えたキャベツ1個に卵を7つ産みつけた。卵は、孵化して1齢幼虫と(分類される成長段階の幼虫に)なり、キャベツを食って、また近年にない温暖な気候のおかげで健やかに大きくなった。最終段階の7齢幼虫にまで成長した5個体は、大きくなったので、_Homo sapiens_に属する生物体の眼に止まり(正しくは脳の認識活動的状態が変化して)、排除されるかに見えたが、その人体は可愛らしいと思ったからか、そのままにしていた。もうキャベツはほとんど食われて、こいつらは共倒れするだろう、親は卵を産み過ぎや、と思っていたら、あら不思議、まもなく、幼虫たちはすべて蛹になり、そして羽化して成体になった(7齢幼虫以降の死亡率はゼロ)。そして、それらは、天高く飛んでいって、見失いそうになる、という手前で、ヒヨドリのような大きさの鳥にすべて食べられてしまった。おしまい。

 では、これらの発生段階について、ニッチはいくつあるのか? 卵、幼虫、蛹、成体の4つのニッチをその種はもつのか。卵と幼虫、幼虫と蛹、そして蛹と成体、そしてこれらのどれか二つは、形態も行動もかなり異なる(いや、卵と蛹は動かない点や食べない点などでよく似ている。しかし次の発生段階に進むときの積算温度値は異なっているだろう)。食う物もまったく異なる(共通するのは暖かいという環境要因である温度を「食っている」ことかもしれない)。1生物体はいくつかのニッチを渡り歩くのか? ニッチを資源利用と概念として同一視するのか、資源利用はニッチの一つの指標とするのか。

 ニッチの、種にもとづく(実は生物体(の性質)にもとづく)定義も、生物体にもとづく定義も、、、。