「過労死をなくそう!龍基金」(中島晴香代表)が8月4日に開催した「第1回中島富雄賞授賞式」について、スポーツ・レジャー新聞『東京スポーツ』の8月24日付け紙面で、評論家の佐高信さんがコラム記事で紹介しています。
佐高さんは中島富雄賞の選考委員をつとめ、授賞式当日も「過労死を生む日本の会社」と題して記念講演してくれました。
記事は「佐高信の毒筆啓上」というコラムで、タイトルは「偏った会社への悲しい片思いが過労死をゼロにしない…ある男の遺書に思う」です。
龍基金が設立されるまでのいきさつを取り上げ、あるサラリーマンの遺書に触れながら過労死や過労自殺に追い込む日本の職場を批判しています。
★龍基金に該当する部分を以下のとおりです。
8月4日に「過労死をなくそう!龍基金」の中島富雄賞授賞式があった。「すかいらーく」グループのファミリーレストランの店長だった中島が48歳で過労死したのは2004年の8月15日。妻の晴香は自分のような悲劇を繰り返させまいと、会社から獲得した損害賠償金の中から3000万円を拠出して「龍基金」をスタートさせた。龍に憧れていた夫にちなんでの基金名である。
3年経ったいまも富雄の夢を見て、このまま眼が醒めなければいいと思うという晴香は過労死をなくすことこそが富雄の供養と信じて精一杯がんばっている。
第1回の今年は、「過労死110番全国ネットワーク」に富雄賞が贈られた。この賞の選考委員でもある私は、当日、「過労死を生む日本の会社」と題して記念講演もしたが、最初に引いたのは、2004年9月13日、過労自殺した43歳の建設関連会社の営業所長の妻宛ての遺書である。
(以下略)
中島さんの過労死があってもこの会社の労務環境は変わりません。
睡眠2時間、休みなし、長時間労働、定時になったらタイムカード押してまた仕事、上司は黙認、家に帰らず、近くの銭湯に行き帰ってまた仕事、サービス残業あたりまえ、車で仮眠、休みなしでも消化したことにする・・・・・・・まだ、当たり前に続いてます。
この会社は人を何だと思っているのか!
自分の現場のマネジメントが悪いからだと?
ふざけるな!
現場でどうにもならないから、会社全体で考えなきゃならないだろ!
すかいらーくの社長はどう思っているのですか?
何で次から次へと社員がやめていくのでしょうか?
いま、ほとんどの社員が転職考えています。
水面下で就職活動しています。
あなたたち、幹部は部下のために命がけで仕事をしましたか!わたしは、自分を犠牲にしてまで準社員のことを考えて仕事してきました。
この現状をショウガナイですませますか!
今、GT.BM.MD.YM、などの同士で過去2年間のサービス残業を請求しようかと話してます。
なる前に、社長、早急に改善実行指揮お願いいたします。
争議は、1998年2月ぐらいだと記憶しています。
その直前は、2年間で引越しを伴う転勤が、3回。
その間、職種の変更が、4回、だったと記憶しています。
たぶん会社内の担当者は、「チャンスを与えた」と考えていたと思います。
そんな状況の最中、私が、労働問題で困っていた時、組合に相談の電話を入れました。
そのときの組合の対応は、社員に何かあったときのリアクションでは、ありませんでした。
「どうしたいの?」の連呼ばかりを電話口で言うだけの専従者。
どうしていいかわからないから聞いているのに、労働組合専従者としての返答はなく、当時の上役にその人が、電話をとりあげられたような、電話口でのやりとりを覚えています。
しょうがないので、私の親友が、組合の委員長をしていたので、相談をし、
「全国一般に行ってみたら?」とのアドバイスを得ました。
そして、争議は、終わりました。
いまは、10年前の当時とは、時代が異なります。
他人の会社で働く労働者は、自分で自分を守ることが必須です。
経営者または、その周辺の連中が仕掛けた会社宗教の教義に洗脳されて、「仕事の基準」も「労働の基準」も自分で考えることもなく、生活を維持しているのは、情けないことだと思うことが大切ですね。そして、そこが出発点と思うことが必要です。
また、ユニオンショップという制度のもとに会社が自動的に組合費を徴収して成り立つ組合。
その既得権の上にあぐらをかく組合専従者は、詐欺師の集団といってもいい場合があると思います。
争議が終わって、省みて10年近く支払っていた、会社での組合費を返してもらってもいいのではないかと、本気で思いました。
戦う集団は、自分達で結成することが必要です。