中野系

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サミュエル・ウルマン

2005年07月08日 | 日常
サミュエル・ウルマンという名は知らなくても「青春」という詩の一節、一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

 青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ

たぶん、自分でその詩集を読んだのではなく、誰かが引用するのを聞いたから、という人の方が多いと思う。その誰かというのはたぶん、学校の校長先生であったり、会社の社長であったり。ある程度年配の人だろう。

とにかくこのサミュエル・ウルマンという詩人、なぜか日本の年配男性に「妙に」人気があるようで、これまで自分の人生で少なくとも5回くらい、彼の詩が引用されるスピーチを「拝聴」した覚えがある。以前所属した会社では、(ある企業の子会社だったので社長が時折変わった)、二代続けて社長のスピーチに「青春」を使っていたし。

通常、引用されるのは冒頭だけなので、続きについて少し調べてみた。最初一節ですべてをうまく要約している感じ。読み進めると、年配の方がこの詩に熱狂するのもわかる気がする。たとえ以下のような一節

ときには、20歳の成年より60歳の人に青春がある。

60歳も過ぎれば、肉体的な衰えも顕著になるだろ。そういう状況でこれを見たら、そりゃ飛びつくのも無理はない。

気の持ち方が重要、というこの詩の主題については悪くないと思うけれど、「青春」という言葉にこだわるところに、少し違和感を感じる。青春時代を懐かしむ気持ちは否定はしないけれど、いい年して「青春」という言葉を連呼する人ってなにか別の胡散臭さを感じてしまう。「生涯青春」を謳う某俳優の悪影響だろうか。

60歳といえば還暦だが、個人的には同時に「ウルマン」の詩に共感を持ち始める(可能性のある)歳と定めることにした。少し先のことなので、もしもその歳までブログをつけていたら、60歳の自分にこの詩がどう響くかについて、記したいと思う。絶対覚えているわけないと思うけど。

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