検証・電力システムに関する改革方針

「自然エネルギーですべての電力をまかなう町」の第2部です。

天下り官僚の経営戦略1―連載小説17

2012年06月06日 | 第2部-小説
「人員整理が出た!」
「発表はまだですが、今月中には出るともっぱらの話です」
「そうか、金子たちはどうするつもりだ」
「早期退職に応じる積もりのようですよ」
「残るも地獄、去るも地獄か。大平さんあなたはどうするの」
「どうするか、考えているんですよ。今回、帰った目的は妻とも相談しょうと」
「そうですか」
「ベトナムに家族で行けと内々いわれています」
「ふーん、難しいでしょ」
「難しいことを分かっていってるんです会社は」
「あいつのやり方だなあ」
  それは退職するほぼ1年前のことだった。会社の業績は右肩下がりで下降していた。原因は超円高だった。1990年1ドル150円台だった円があれよあれよと90円になり1995年4月に79円と80円を切った。この時、総合機械メーカーだった会社は事業部門をそれぞれ分社化した。
 その一つが将太の会社で特化した特殊機械工作を製造販売していた。国内マーケットのほぼ9割のシェアを占める企業で、十分利益を上げていた。圧倒するシェアで当時の円高を吸収して経営はゆるがなかった。円は日米介入で円安に向かい、翌年には130円台を回復して危機を脱したかに見えた。ところがバブル経済がはじけ、金融機関の破たんなどがいつきに表面化すると円は100台まで値を上げ、会社の先行きは不透明になった。

  将太が58歳になった2010年、ギリシア金融危機が発覚して欧州の信用不安が一気に表面化して、円買い、ドル・ユーロ売りが加速して対ドル・ユーロの円は1ドル83円になり、会社は大打撃を受け、輸出がほぼ止まった。それでも会社が持ちこたえたのはこれまでに販売してきた機械の消耗品補充とメンテナンスがあるからだ。しかしそれは財産の食いつぶしで、会社の将来は目に見えている。
 将太は技術開発の担当役員として中国、韓国の技術開発はわが社と肩を並べる水準に達している。これを上回る高効率と省エネ製品開発の必要性と展望を役員会で展開したが強調したのは風力発電に着目した新事業展開だった。(グラフ:日銀資料より作成)