夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

安保法反対勢力に立ちはだかる「抑止」という巨大な壁

2016-06-27 01:04:00 | 政治

  1.野党共闘は成功するのか?

 7月の参院選に向け、安倍政権に対抗する野党、民進、共産、社民、生活などと市民団体は、参院選一人区32の選挙区ですべて統一候補をほぼ確立した。この野党の共闘に掲げられた目標は、主に「安保法の廃止と立憲主義の回復」である。しかし他方で、安倍政権の方も内閣支持率は下がる気配はなく、マスメディアの選挙予想では、自公は改選議数を上回るという。内閣支持率が下がらない理由は様々なものがあると考えられるが、反自公の野党が「安保法の廃止と立憲主義の回復」を掲げているのだから、それに対する支持が広がっていないことが、内閣支持率が下がらない理由の重要なもののひとつと考えるのが自然だろう。反自公の野党側は、経済政策を前面に出す自民党に対し争点隠しと主張しているが、野党の政党支持率も低迷を続けていることは、「安保法の廃止と立憲主義の回復」が有権者に浸透していないことを裏付けている。

 この「安保法の廃止と立憲主義の回復」とは、安保法を含む安倍政権の政策が憲法に違反しているのだから、民主主義の基本である立憲主義に反するものだという論理に貫かれている。なるほど、これ自体は整合性を持つ。しかし、これは憲法さえ変えれば、安倍政権の政策は正しいという論理の裏返しでもある。そもそも、第二次大戦後,最も多くの戦争をしているアメリカは、立憲主義に反しているのだろうか? 自民党が長年そうありたいと主張してきた戦争ができる普通の国(世界のほとんどの国)が、立憲主義に反しているのだろうか? そうではないだろう。アメリカがイラクに侵攻したのも、フランスや英国が北アフリカを空爆するのも、それはその国の憲法に照らして正当であるからである。そう考えれば、立憲主義をいくら叫んでみても、日本の憲法の方が世界から見ればおかしいのだから、替えればいいという主張にかき消されてしまうのは当然だろう。むしろ、そういう主張を反対の側から援護していると言えなくもない。

 確かに、「立憲主義の回復」という主張は一定の支持を得ることはできる。だから、学者や法曹の多くが安倍政権の危険性を指摘し、政権批判に回っている。多くの市民団体も同様に安倍政権を批判している。しかし、それは限定的であり、大多数の大衆の支持の獲得は期待することは難しい。大衆の疑念の最大のものは「立憲主義だ、へちまだと偉そうなことを言っているが、中国は南シナ海で軍備を増強し、日本の領海にまで軍艦を侵入させている。北朝鮮はミサイルを発射している。そういう中国や北朝鮮が攻めてきたらどうするの?」というものだ。にもかかわらず、立憲主義を掲げる野党は、その疑念にまったく答えてはいない。これは、専守防衛や、個別的自衛権、集団的自衛権などという問題で答えられる問題ではない。軍事的に対応するという答えを出せば、法的な解釈はどうあれ、現に日米安保がある以上、軍事同盟の強化は必然的に導き出されるものだからだ。軍事同盟の強化にアメリカが双務的義務を希望しているを考えれば、安保法を肯定せざるを得ないのは理の当然である。 立憲主義は民主主義の基本のひとつには違いないが、立憲主義そのものが戦争を防いでいるのではない。そのことを安保法反対勢力は忘れているのだ。守るべきものは、立憲主義ではなく、現日本国憲法の平和主義なのである。必要なことは、憲法の平和主義が、(安倍政権の「積極的平和主義」より)なぜ戦争の抑制につながるのかを直接かつ具体的な論理で示すことなのだ。そうでない限り、改憲派の論理を打ち破り、平和主義を大衆に浸透させるのは困難である。

 結果としては、野党共闘はある程度の成果を挙げるだろう。しかし、それはやはり限定的と言う他はない。

 

2.立ちはだかる「抑止」という巨大な壁

 現代の国際関係論では、国家の防衛には軍事力によって相手の軍事力行使を事前に抑え込むという「抑止戦略」という思考によってなされているという。ここでいう「抑止」とは、相手を怯えさせることで、こちらの意に添わぬことをさせないことという意味である。したがって、その「戦略」とは、仮想敵国から侵略された場合には、大規模な反撃を加える準備を整え、さらに反撃する意思を相手に対して明確に示すことによって、相手による侵略を未然に防止するというものである。国際関係論では、基本的にはこの「抑止戦略」に基づいて、世界中の国が軍事力を擁していると考えられている。実際に各国の軍事力は、1位は突出してアメリカで、ロシア、中国、インド、フランス、英国と続き、日本は7位であり、8位以降はトルコ、ドイツ、イタリアとなっている(Global Firepowertによる 2016年)。これらの巨大な軍事力を擁する国家は、当然のことだが、その軍事力を擁しているがゆえに、立憲主義に反しているという訳ではなく、巨大な軍事力を基本的には「抑止戦略」として正当化しているのである。その意味で、安倍政権による安保法や日米同盟の軍事力強化も、中国や北朝鮮からの侵略を未然に防止するための「抑止戦略」に基づくと正当化することは可能なのだ。だからこそ、大衆の「中国や北朝鮮が攻めてきたらどうするの?」という問いに、「抑止戦略」に基づき、軍事力を強化することで「相手の侵略を(攻めてこないように)未然に防止する」と答えるのは、それなりの説得力を持つのである。最近の中国海軍の日本の領海侵入に対して、安倍政権に近い産経新聞の正論「中国と戦争すればこうなる…尖閣守る日米同盟と核の傘」(東京国際大学村井友秀2016.6.17)の結びで、「東シナ海の現状を維持するためには、平時の防衛力を強化して日本に不利な既成事実をつくらせないことが肝要である」と書いているのも、まさしくこの「抑止戦略」に沿っていると考えられる。

 このように「抑止戦略」に基づく軍事力は、立憲主義とは別の問題として考えなくてはならない。言い方をかえれば、反安保法勢力は、安倍政権は立憲主義に反しているという批判はそれ自体成り立つとしても、安全保障の問題をどうするのかという別の問題にも正面から答えなくてはならないのだ。それに対し、民進党は内部での安全保障政策の不一致で答えられる訳もなく、共産党も「北東アジア平和協力構想」を提唱するなどしているが、中身は十分とは言えない。市民団体に至っては、護憲を主張するのみであり、安全保障については一言も触れようとしない。

 自民党稲田朋美政調会長の、「昨日、北朝鮮がミサイルを発射した。どんどんどんどん技術が発達し、いつでもどこでも日本近海に撃ち込めるようになってきている。こんな国がすぐそばにある状況の中で、(中略)どうやってこの国を守るのか」(街頭演説 2016.6.24朝日新聞)という言葉に真っ向から答えなければ、選挙に勝てる筈はないのである。

 どんなに安倍政権が現憲法を踏みにじろうとも、それはそれとして批判するにしても、その問題とは別に安全保障の問題は存在するのである。

 では、なぜ反安保勢力は真っ向からそれに言及しないのか? それには、民進党で明らかように、考えがまとまらないというのが最大の理由だろう。安全保障の問題に考えの隔たりが大きすぎて統一できないというものだ。しかし、もうひとつ理由が考えられる。それは反安保勢力が、憲法学者のほとんどが安保法を違憲だとしているしていることや、「反対する学者の会」にみられるように、特に学者・知識人に頼っているからである。そして、この学者・知識人はほとんどが安全保障の専門家以外であり、むしろ、安全保障を軍事力を前提にしているものと捉え、この問題を考えること自体を避けている者が多いからである。安全保障とは、national securityの訳語であり、必ずしも軍事力を前提としているものではない。仮に、軍事力を前提にした安全保障論だとしても、それを覆す論理を展開すれば良いのである。

 

3.「抑止戦略」は、本当に戦争を「抑止」するのか?

 国際関係論で「抑止戦略」の問題として第一に挙げられるのは、「安全保障のジレンマ」というものである。お互いが相手を「抑止」するために、軍拡競争に陥り、さらにそれを原因として軍事的緊張が発生するという「ジレンマ」のことである。戦争を避けるための「抑止」が、かえって軍事的危険性を高めることになりかねないというものだ。さらに、「抑止」が相手の攻撃を未然に防止することを目的としていること、現実に反撃する意思を示すことを前提にしている以上、自然に拡大解釈され、相手からの攻撃の前に相手の攻撃能力を破壊するという軍事行動に道を開くことになる。「抑止戦略」を正当化する理論では、軍事攻撃の意思と能力を示すことで「抑止」するのであり、先制攻撃は含まないとしている。しかし現にその拡大解釈は、アメリカのイラク戦争を正当化する論理として使われた。イラクが大量破壊兵器を所有しており、それが使用される前に攻撃するのだから、相手による攻撃を未然に防止するという目的にかなっているからである。この場合、イラクの大量破壊兵器所有の真偽は無関係である。アメリカ政府がそう確信(と主張している)したから、先制攻撃したに過ぎないのだ。「抑止戦略」では侵略された場合の反撃というが、相手の攻撃を確信した時に、先制攻撃をしない軍隊など存在するのだろうか? 相手がミサイルを発射し、自国に多くの死者が出たことを確認してから、さあ反撃だなどという軍隊はどこにもないだろう。つまるところ、「抑止戦略」が結果的に先制攻撃への準備の道を開くのである。

 「抑止」には限界があり、「『抑止戦略』に頼っても平和と安定を期待することはできない」という意見がある(藤原帰一 朝日新聞時事小言2016.4.20)。当然のことである。しかしそれは、藤原の言説が正しいからではない。

 そもそも「抑止」とは、deterrenceの訳語であり、deterとはdiscourage (someone) from doing something by instilling doubt or fear of the consequences(Oxford dictionary)である。日本語に直せば、「(その)結果の疑念や恐怖を浸透させることによって思いとどませること」である。それは相手を何らかの方法で怯えさせることを手段としており、日本語の単なる防止するというような意味での「抑止」ではない。ではなぜ、相手を力によって抑え込まなけらばならないのだろうか? 

 「抑止」という理論は一見、学問的な客観性を装っている。米ソの核戦争は「核抑止」により防ぐことができたというように、米ソの双方を同列に扱っているように見える。また、「安全保障のジレンマ」も双方を客観的な視座で見ていることで成立する。しかし、北朝鮮が、アメリカの「侵略を未然に防止するために、大規模な反撃を加える準備を整え、さらに反撃する意思を相手に対して明確に示す」ためにミサイルを開発したと主張しても、日本政府はそれを「抑止戦略」とは絶対に認めることはない。米韓が最大規模の軍事演習をしたにもかかわらず、である。中国やロシアのアメリカの軍事力の強化に対抗するための対抗措置という主張は、アメリカが政府は「抑止戦略」として正当であるとは決して言わない。なぜなのだろうか? それは「抑止」という理論が、それだけが完全に独立して使われることはないからなのだ。そこに実際には、アメリカでも日本でも相手は「自由民主主義」と相容れないものという前提が暗黙に隠されているからだ。この「自由民主主義」とはアメリカとその同盟国が掲げる看板である。(看板に過ぎないから、そのすべての国が「自由民主主義」国とは限らない。八百屋という看板を掲げても、野菜以外も売っているのと同じである。)中国海軍が日本の領海に侵入したのは、「米軍による『航行の自由』作戦の対日版」であり、「中国は米国と同じ解釈をとったともいえる」(大阪大学大学院真山全 朝日新聞2016.6.20)という意見があるが、中国の行動のみ、非難される。それと同じことだ。煎じ詰めれば、アメリカとその同盟国及び中立国以外が、「抑止戦略」という趣旨で軍事力を展開したとしても、それを「抑止戦略」とは呼ばないのだ。藤原が、「抑止戦略」は「現代の国際関係において世界各国の多くが採用する軍事戦略である」と言ったところで、「世界各国の多く」には初めからアメリカとその同盟国に敵対していると見做される国は含まれないのだ。それが暗黙の前提なのである。

 実際には、「抑止戦略」は敵対する国に対しての軍事力の強化を正当化する論理として使われるものでしかないのだ。日米韓にとって、「信用できない国」が中国・北朝鮮ならば、中国・北朝鮮にとっては、日米韓が「信用できない」のである。NATOにとってロシアが「信用できない」のであれば、ロシアにとってもNATOは「信用できない」のである。「信用」できない国に対して戦争の「抑止力」としての軍事力が必要だとするなら、これは完全に相互に必要だということになる。それは、相手の先制核攻撃に対し相手を殲滅できるほどの反撃ができる核攻撃能力を相互に持つという「相互確証破壊」ならば論理的には成立する。そこには、軍事的優劣も政治的優劣もないからだ。しかし、例えば実際に日本が「抑止力」として軍事力が必要だと主張した時、そこには必ず政治的優劣、即ち相手は「自由民主主義」国ではない独裁国家だという主張が付け足される。同じ軍事力が独裁国家の軍事力として扱われるのだ。そこには相互性というものはない。日本の軍事力は「自由民主主義」国の正義のものであり、中国・北朝鮮の軍事力は独裁国家の悪の軍事力なのである。だから、核の不拡散という意味だけでなく、アメリカのミサイルは許され、北朝鮮のミサイルは許されないものとして扱われるのだ。悪の軍事力なのだから、例えどんなに小さなものでも誇張され、大々的に喧伝されるのだ。それが中国・北朝鮮脅威論を後押しする心理的側面なのである。

 確かに、「抑止」は国家の政策責任者の心理を読み解いている。先制攻撃すれば、相手の反撃が確実に予想され、自国民のみならず自らの命も危険にさらされる。したがって、攻撃を思いとどまる。これは、中国・北朝鮮の国家政策責任者にも言えることだ。日米韓に本格的に先制攻撃すれば、自国民のみならず習近平も金正恩も反撃によって殺される危険性は高い。だから、通常は先制攻撃を思いとどまる。しかし、日本が攻撃してくると何らかの理由で確信した時は、別だ。それは、日本側も同様だろう。相手が攻撃してくると確信した時は、相手の攻撃を待っている暇はない。

 「中国・北朝鮮攻めてきたらどうすんの?」という質問に最も適した答えは、「それは中国・北朝鮮が日本が先制攻撃をしてくると何らかの理由で確信した時が、可能性として最も高い。何らかの理由としては、日本の軍事力の強大化が最も考えられることだ。したがって、中国・北朝鮮が攻めてこないようにするためには、日本の軍事力を強大化させないことだ」である。これは、皮肉にも「抑止」の考え方からも説明できるのだ。

 国際関係論で言うとおり、「抑止戦略」は欧米も含め世界中の多くの国が採用しているのは事実だろう。それが、多くの国が対外的な問題の解決に軍事力を使用したがる理由のひとつでもある。だからこそ、現日本国憲法の平和主義を高く掲げ、説得力のある具体的な分析と整合性のある論理によって、「力による解決」に傾きつつある人びとに説明しなければならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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