NHKより
7月28日の朝日新聞「日曜に想う」に「欧米の『二重基準』がもたらす代償は」というコラムが載っている。この「二重基準」は、直接的には上のNHKの画像で分かるように、ロシアの軍事進攻とイスラエルのジェノサイドに対する西側の姿勢がまったく異なることを指している。朝日新聞は、要するに、西側の「二重基準」は民主主義国としての「説得力を欠き、正当性が失われ、ロシアや中国などの権威主義国家にとって好都合に働く」という「代償」を払うので、改めるべきだ、と書いているのだが、西側の「二重基準」は、なぜ生まれるのか、西側は、なぜ「二重基準」を行うのか、については、ひと言も触れていない。
NHKの画像は2023年10月のものだが、これら以外にも、マスメディアは度々「二重基準」を問題にし、取り上げる。しかし、朝日新聞同様に、西側の「二重基準」は、いつからあり、なぜ生まれるのか、なぜ西側政府は「二重基準」を行うのか、については、言及しているマスメディアは皆無である。
欧米の「二重基準」は遥か以前から
そもそも、欧米の「自由民主主義」は、第二次大戦後から始まったわけではなく、女性参政権がないなどの制限はあったものの、戦前から一定の民主主義制度は確立していた。自由も人権も一定程度尊重される政治制度はあったのである。英国では、17世紀には議会も政党も確立していたし、フランスでは1789年の革命以後、紆余曲折を経たが19世紀には完全な代表民主制は構築されていた。
しかし、その「民主主義」はアジア・アフリカの植民地市民にはまったく適用されていなったのである。西欧列強は、アジア・アフリカに多くの植民地を支配していたが、植民地の自治権も人権も自由も、一切認めていなかったのである。アジア・アフリカ人が抵抗すれば、徹底して弾圧する。その政策は、どの欧米諸国も植民地に対しては共通していたのである。そもそも、アメリカ自体も、「民主主義」の英国の植民地だったのであり、それは戦争という武力行使でしか、解決されなかったのである。
第二次大戦後、欧米は植民地を手放したのは、植民地側の闘争が激化し、しぶしぶ手放したに過ぎない。「自由民主主義」や人権に乗っ取って、植民地を解放したわけではないのである。
第二次大戦後も、特に「自由民主主義」のアメリカは、ソ連に対抗するために、多くの反共軍事独裁政権を支援してきたのは、歴史的事実である。韓国の朴正熙軍事独裁政権も支援したし、左派政権をクーデターで倒し、ピノチェット軍事独裁政権を支援したチリの例を始め、中南米では頻繁にその戦略を繰り返してきたのである。
第二次大戦後、アメリカは国内でも、「反共」を旗印に、多くの左派と見做す人物を弾圧したが、「ハリウッドの赤狩り」は、その最たるもので、そこには言論の自由も表現の自由もあったものではない。
これらのことは、欧米の「二重基準」を如実に表している。
政治的経済的利益が常に優先する
なぜ、欧米はこのような「二重基準」を繰り返すのだろうか? それは、実際の政策遂行にあたっては、「自由民主主義」の理念は、口先だけのは建て前となり、自国の政治的経済的利益が常に優先する政治体制が構築されているからである。
15,6世紀から強国となったヨーロッパ諸国は、主に金銀や香辛料など富の直接収奪の目的で、アジア、アフリカ、南米への植民地を拡大していった。そしてそれは、資本主義の発展とともに、植民地獲得の欲求は増していったと言える。資本は自国内での本源的蓄積と略奪による蓄積を通して巨大化するが、原材料である資源の獲得と市場の開拓、さらには資本そのものの輸出が必要となる。そこで、その対象は植民地となるのだが、資本の地理的不均等発展により、その資本間競争は、発達した資本主義国家群の中での国家間の武力衝突を通して、列強の世界分割闘争が繰り広がれる。最も典型的なのが、第一次大戦である。それは、「資本主義の最終段階」とまでは言えないが、概ね、レーニンの帝国主義論どおりである。そして、「民主主義」の西欧列強政府は、この資本の要求どおりの政策を実行してきたのが、まさに歴史的事実である。
実際、「民主主義」であれ、「権威主義」であれ、資本主義と国家の政策と切り離すのは不可能なのである。それは、近代国家の成立と同時に資本主義の根幹を成す私的所有権等が法として、国家の強制力を正当なものとして保証されてきたからである。近代国家は、生まれながらにして資本主義国家なのである。デビッドのハーヴェイの言葉を借りれば、「個人の私的所有権の『自由』とされる行使」も、「国家の強制的規制権力の集団的行使」も、「個人の私的所有権およびそれを非常に綿密に編みあわせる社会的結びつきは定義され、成文化され、法的形態を付与される。個人の法的定義と、それに由来する個人主義文化は、交換関係の増大、貨幣形態の出現、資本主義国家の発展とともの発生した」のである。(ハーヴェイ資本主義の終焉』)
人々の社会の中で生きる生活は、資本主義から切り離すことはできない。したがって、その社会的生活をどうするのかという国家の政策も、それを意識しようとしまいと、資本主義の束縛から逃れることはできないのである。生産されたモノとサービスを商品として対価と交換することを基本とする資本主義経済から、人びとの社会的生活が成り立っているのであり、国家の人びとの生活を改善させるという政策は、資本主義システムを前提として練り上げられる。資本主義の西欧列強も、資本の増大を通じて経済成長を成し遂げるという命題から離れることはできない。そして当然のように、植民地支配から資源の強制的調達、奴隷労働を含む安価な労働力による植民地での商品生産とその輸入、植民地市場の他国資本への排他的開拓、資本輸出等から、経済成長を成し遂げたのである。そして、その結果として、「先進国」となった西欧では、極度に肥え太った資本からの「おこぼれ」だったとしも、国民もまた、その富の一部を享受したのである。
そしてまた当然のように「遅れてきた資本主義国」のドイツ、日本、イタリアは、欧米だけに「甘い汁」を吸わせまいと、戦争によって富の分捕り合戦を始めたのは言うまでもない。
そこでは、フランス革命が掲げたの自由、平等、博愛の近代的価値は忘れ去られ、あるのは、強者が弱者を踏みにじる「自由」だけである。
第二次大戦後、弱者である植民地側は武力による抵抗で、世界戦争による疲弊と戦争への恐怖から相対的に弱体化した西欧から、多くの国は独立を果たし、自治権を確立した。そして西欧は、植民地側の独立ともに現れたソ連を中心とする「共産主義」と政治的経済的利益を争い、自らを強化する必要に迫られ、「共産主義国」が同盟を作り始めたのと同様に西側の同盟国を結成する。(「共産主義国」が「」つきなのは、マルクスが掲げてた共産主義と「現存した共産主義(社会主義)」の実態とは、多くの矛盾があるからである。)
イスラエルも西側同盟国
この同盟国は、アメリカ・カナダと西欧のNATO諸国、アメリカの軍事同盟国の日本、韓国、オーストラリアなのだが、イスラエルも同様の西側同盟国なのである。
千年以上にわたるヨーロッパ諸国のユダヤ人迫害から、ナショナリズムの世界的高揚とともに、19世後半にユダヤ人が彼らの故郷とするシオン(パレスチナの古名)に建国運動が起きた。それは、現に居住していたアラブ人との対立を生み、第一次世界大戦以来、委任統治していた英国が国連に解決を一任した。 国連では、1947年に、パレスチナを二分し、ユダヤ・アラブの両者の区域が混在するパレスチナ分割案勧告決議が成立した。
その後もイスラエルとアラブ世界は、多くの戦争を繰り返したが、イスラエルは財力と欧米の軍事を含む強力な支援による軍事力でアラブ世界を圧倒した。ソ連の崩壊によるユダヤ人の大量帰還もあり、イスラエルの人口は増大し、国連決議違反のパレスチナ人を居住地から追い出し植民する方策を強く打ち出し始めた。
欧米は、過去においてユダヤ人を迫害し、ドイツに至ってはホロコーストまで行ったことの贖罪があり、また、ユダヤ人は欧米に数多く居住し、ユダヤ資本という言葉があるように、欧米のユダヤ人の財力は国家の政策に影響する。
アラブ世界は、イランなどのシーア派とサウジアラビアなどのスンニー派と宗派的覇権を争っている(実際には二つの宗派に属する人びとは国家内に混在する)。君主制を採るスンニー派諸国は、欧米資本に宥和的で、欧米資本の利益に多くの場合、合致するが、逆に、シーア派諸国は、イランに見られるようにイスラム共和主義を掲げ、キリスト教の欧米との対立を鮮明に打ち出し、欧米資本はその活動に制限を余儀なくされる。それらのことから、欧米はサウジアラビアなどに米軍が駐屯するようにスンニー派諸国とは友好的だが、パレスチナ人支持が濃厚なイランなどとは、欧米は敵対している。そこでの対立軸は複雑にからみ合っているが、欧米は、ユダヤ国家とユダヤ人を擁護する以上、イスラエルは西側同盟国であり、イスラエル寄りの国策を採らざるを得ないのである。
(つづく)