夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

民主主義によって選ばれた議員ではないことを素直に認めた甘利明

2016-02-01 07:42:00 | 政治

「まず政治家の事務所って、いい人とだけ付き合っているだけでは選挙落ちちゃうんですね。小選挙区だから、かなり間口を広げて、来るものは拒まずってしないと、当選しないんです、残念ながら。」

 これは、甘利前経済再生担当大臣が辞任の釈明会見で述べた言葉だ。要するに、自らの利益のために政治家に何らかの行為を要求する様々な人間と会い、その要求どおりの行為をしたかは別にして、要求者の機嫌を損なうようなことをしていたら、選挙には当選できないという意味である。当選できないとは、甘利にとっての見返りが選挙の票であり、それがないと当選できないということである。勿論これは、甘利だけが特殊でそういう事情があるということではなく、与党の一定の権限を持つ政治家は多かれ少なかれそういうものだと解釈できる。

 この「疑惑」について、元東京地検特捜部の堀田力氏は、TBS「報道特集」(2016.1.30)で「東京地検特捜部が捜査に踏み切らなければ、何のためにあっせん利得罪があるか分からない」と述べている。つまり、あっせん利得罪の嫌疑が濃厚だという意味である。実際に甘利の行ったことが、犯罪の嫌疑があるということだ。しかし、問題は、甘利があっせん利得罪に問われるかどうかということだけではない。重要なことは、あっせん利得罪が問われかねない行為によって、選挙に当選しているという、甘利本人が認めている事実の方なのだ。そしてこれが、多くの議員が行っているのではないかと考えられることの方なのだ。「来るもは拒まず」が、口利きによる政治につながり、その行為によって、選挙に当選するなどということが、誰が考えても民主主義である筈はない。つまり驚くことに、甘利は民主主義によって当選したのではない、と本人が認めているのだ。甘利の場合、あっせん利得罪の恐れがあるというものだが、不正であるが事実上法違反に問われない所謂「口利き」は、朝日新聞2016.1.30電子版によれば、交通違反もみ消し、裏口入学斡旋等は日常茶飯事だという。記事には、「見返りに選挙時、人を動員してもらい、票につなげるのが一般的」と「自民党のベテラン秘書は語る」とある。また、民主党にも同様なことはある記事は書いている。これは上記の釈明会見にも符号している内容だ。数ははっきりしないが、ある程度の議員が「口利き」(だけではないが)によって、当選しているということだ。

 「報道特集」での街頭インタビューで、「江戸時代から賄賂を渡す習慣があったから、文化みたいなものでなかなか無くならない」と初老の男が言っていたが、初老の男は重要な問題のヒントを与えてくれている。江戸時代には民主主義はなかったのであり、越後谷から賄賂を受け取る代官は選挙で選ばれたのではない。だからこそ、この悪徳代官よりも、現代の政治家の方が問題は大きいのだ。賄賂は受け取った個人の問題である。しかし、それによって選挙に影響を与えているとなれば、民主主義の問題であるからだ。

 甘利は「小選挙区」だからと言っている。ということは、甘利がこのような行為をしなければ、落選し、野党候補が当選するという意味になる。ことは重大である。このような行為がなければ、与野党逆転にもつながりかねないということだからだ。「口利き」政治が選挙結果に影響を与えている。これが民主主義の問題でなければ、一体何の問題なのか。

 マスメディアも一部の野党も、甘利個人の責任を追及するだけで、民主主義の問題とは捉えない。恐らくそれは、彼らの民主主義観からくるものだろう。民主主義を形式的に、普通選挙があれば民主主義と考えているからだ。インドが最大の民主主義国家とアメリカの大統領が称賛するのと同じ民主主義観である。確かに、普通選挙があることは一定の民主主義な制度で統治されていると言える。しかし、「一定の民主主義」を超えた、それ以上の民主主義がないのではない。世界には様々な代議制があり、それを補完する様々な制度があり、常に模索を繰り返している。重要なことは形式的な民主主義があるかないかではない。その民主主義が、誰のための、どのような民主主義かなのだ。

 

 

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