NPT核不拡散条約再検討会議が開催されている。NPTとは、核兵器保有国の増ぎ、 核兵器保有国に対しては、核軍縮のための交渉を義務付けているものである。それを定期的に検討する必要があるため、5年毎にNPT再検討会議が開かれている。 2020年に開催予定だったが、コロナ危機のため延期され、今年なって開催されているのである。
今年は、ロシアの軍事侵攻に伴う核戦争の危機が否応なく高まり、これまでの再検討会議での確認事項、「自国核兵器の完全廃絶を達成するという全核保有国の明確な約束」(2000年)、および「核兵器のない世界を実現、維持する上で必要な枠組みを確立すべく、全ての加盟国が特別な努力を払うことの必要性」(2010年)を再確認し、具体化、実行することが喫緊の課題である。
岸田文雄演説の馬鹿馬鹿しさ
日本の首相の岸田文雄は、8月2日に再検討会議で演説し、「核兵器を国際社会が協力して現実的になくしていかなくてはいけない」と述べて、曖昧な言いまわしで、核兵器はない方がいい、と言ったに過ぎない。勿論、「核兵器禁止条約」の批准や、核保有国へNPT第6条の履行を迫ることなどなかったのは言うまでもない。
NPT第6条とは「各締約国は、核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する」。現核保有国手国は、この約束など、顧みることはない。
しかし問題は、それだけではない。岸田は「核兵器を国際社会が協力して現実的になくしていかなくてはいけない」と言いながら、軍事力の拡大を目指しているのである。これは、核兵器は良くないが、通常兵器はいくら増やしてもいい、ということである。核で人を殺すのは良くないが、通常兵器の人殺しはかまわない、と言っているのと同じなのである。広島・長崎の原爆で人が殺されたのは悲惨だが、東京大空襲で一晩に10万人が殺されたのは、大したことではない、と言っているようなものなのである。
核兵器は、通常兵器の延長線にある
そもそも、核兵器は、通常兵器の延長線にあるのである。上のグラフで、軍事費上位10か国のうち、7か国は核保有国である。7か国は、強力な通常兵器を持ちながら、核も保有しているのである。2022年6月時点で、核弾頭保有数は、ロシア5975個、アメリカ5425個、中国350個(「ながさきの平和」による)の順であり、これらの国の通常兵器の軍事力が、その他の国よりとてつもなく強大であることを疑う者はいないだろう。
なぜこのようなことになるかと言えば、核保有は、相手国からの核攻撃を抑止できるという核抑止論も、通常兵器の抑止論も同じ構造だからである。相手国の脅威があり、その攻撃を思いとどまらせようとして、通常兵器の軍事力を強化する抑止も、相手国も核保有国であれば、自国の核兵器で核攻撃を思いとどまらせようとする核抑止論も、あるいは、通常兵器の攻撃に核兵器の使用も辞さないとする「核先制使用を宣言しない」ことも、自らの強力な軍事力で、相手国の攻撃を抑止するという同じ論理だからである。核兵器を使用しようとした場合,自国も相手国から核兵器による破滅的な被害を覚悟しなければならず,そのため最終的には核兵器の使用を思いとどまるという論理は、通常兵器の攻撃した場合でも、強力な通常兵器を持てば、相手国もかなりの被害を覚悟しなければならず、攻撃を思いとどまるという論理と同じものなのである。
日本の場合で言えば、中国・北朝鮮が攻撃してくるかもしれず、それを思いとどまらせる強力な軍事力が必要だというものである。日本の平和を守るために、強力な軍事力が必要だという理屈である。しかし、この強力な軍事力には、いつでも軍事力を使用できる体制をつくるということと、軍事力を使用するという意思を示すことも含まれる。だから、常に軍事演習と相手国への警戒を緩めないことが欠かせないのである。無論、この理屈と相手国も同じで、軍事的対応は同様の措置をとることになる。当然のことながら、武力衝突の危険性は高まることになる。
さらに、特にロシアによる軍事侵攻以後は、相手国の侵攻を思いとどまらせることは極めて困難で、ほぼ確実に侵攻してくると想定し、その攻撃力を無力化する軍事力が必要だ、というところまで進んでいる。アメリカ主導のNATOが軍事侵攻に瞬時に対処する即応部隊に力を入れているのは、その理由による。
日本の場合には、「台湾有事論」がそれである。「台湾有事論」は、中国は「ほぼ確実に」台湾に軍事侵攻するとみなし、台湾防衛のためにアメリカが軍事介入せざるを得ない。その場合、米軍は⽇本の基地から部隊を出動させるだろうし、 台湾周辺海域には日本の領海・領土があり、中国の軍事行動には、安保条約第5条から日米は共同軍事行動をとることになる。いずれにして、日本も参戦せざるを得ない、というものである。そして、今までの「専守防衛」の縛りをかなぐり捨て、中国の攻撃力を無力化するためには、「敵地攻撃能力」も必須だという論理に結びつく。当然のことながら、それは、際限のない軍事費の増大・軍事力の強化を伴い、それを岸田政権は実行しているのである。
そのイデオロギー的支柱となっているのが、自分たちは、絶対的正義であり、すべてロシア・中国が悪い、というロシア・中国「悪玉論」である。それは、ロシアの軍事侵攻選択の理由を、NATOの東方拡大やウクライナ右派政権による少数派のロシア系住民弾圧などは、一切議論からはずし、すべてロシア自身の、あるいはプーチン個人の問題であり、ロシアを「絶対的悪」と決めつけている。そこからは、外交交渉などは意味のないものとされ、軍事的対応以外の手段は封印される。「絶対的悪」と交渉など不可能だからである。バイデンが、ウクライナの戦闘に関しロシアとの交渉を議論の外に置いているのもそのためである。それは勿論、西側が「自由・民主主義」とは相容れないとみなす中国にも援用される。
「平和共存」は遠い昔
かつての冷戦期には、核兵器を中心に多くの軍縮条約が成立した。主要なものでも以下のとおりである。
1968年 核不拡散条約(NPT)
1971年 海底核兵器禁止条約、生物兵器禁止条約
1972年 米ソ、SALTⅠ諸条約
1978年 第1回国連軍縮特別総会
1979年 米ソ、SALTⅡ条約
1985年 南太平洋非核地帯条約
1987年 米ソ、中距離核戦力全廃(INF)条約
1991年 米ソ、STARTⅠ条約
1993年 米露、STARTⅡ条約
これには、1956年にソ連のフルシチョフが唱え、西側も概ね同意した「平和共存」という思考があった。それは、米ソという超大国間の戦争は、核戦争を引き起こしかねず、共倒れどころか、人類の生存をも脅かす危険性があるという認識からである。それが今は、共倒れと人類への危険性をそのまま残しながら、「平和共存」は忘れ去られている。確かに、現実に「平和共存」を破ったのはロシア側であるし、西側から見れば、中国の軍事力増強は脅威と映る。
しかし、2018年にINFから離脱したのは、トランプであり、アメリカ側である。そこには、外交問題の解決法を、交渉より武力行使に見出すポンペオ国務長官やボルトン補佐官らのネオコン流の思考があった。それは今でも、対話による外交交渉を軽視し、武力行使もやむを得ないと考えがちなアメリカや日本の世論に多大な影響を与えている。
常に、通常兵器による戦争が核戦争に繋がる
アメリカは広島・長崎に原爆を投下し、35万人の生命を奪ったが、何の戦闘もなく、突然、核攻撃を行ったわけではない。それ以前に、日本軍との通常兵器による血みどろの死闘があったのだ。プーチンは、「核の脅し」をしたが、その前にウクライナには通常兵器による軍事侵攻をしているのだ。通常兵器による攻撃なしで、突然核兵器を使用することなどあり得ない。常に、通常兵器による戦争があり、その延長に核兵器が使用される危険性が生まれるのである。核軍縮は、通常兵器の軍縮が同時に行われなければ、何ら実効性を持たないのは明らかだ。
西側と中・ロによる軍拡競争があり、その軍事力重視の状況で、それと無関係に、核軍縮などあり得ない。日本政府も軍事力を重視しながら、岸田文雄は核軍縮を叫んでいるのである。それは、馬鹿馬鹿しいだけでなく、極めて空虚なものと言うしかない。