夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

学術会議問題「民主主義よりも優先するもの」(後)

2020-11-30 17:42:44 | 政治
自由民主主義のご都合主義
チリの場合
 1973年9月11日、民主的な選挙で誕生したチリのアジェンデ政権は、アメリカの情報機関の後押しによるアウグスト・ピノチェット将軍の軍事クーデタで倒され、アジェンデは殺害された。同時多発テロとは別のもうひとつの「9.11」である。その時のアメリカ大統領は共和党のリチャード・ニクソンだが、民主党もニューヨーク・タイムズはじめアメリカ主要メディアも批判的には捉えていない。アメリカ国内において、ラテンアメリカに対するアメリカの謀略的支配を批判しているのは、ノーム・チョムスキーなどごく一部の者に限られている。
 チリはクーデタ後、軍事政権により新自由主義にひた走ることになるのだが、ピノチェットに新自由主義の政策助言を与えたのが、ノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマンらである。その後ピノチェット軍事独裁政権はアメリカと政治的経済的結びつきを強めることになる。これらのことについて、アメリカ国内ではほとんど批判されていない。今では民主党にはサンダース派などの左派が存在し、ラテンアメリカ諸国にアメリカ政府は干渉するなと主張しているが、過去の民主党には左派は存在しなかったのである。2016年にバーニー・サンダースが入党する以前の民主党は、ヨーロッパの政党でいえば、英国保守党やドイツCDUより政治的に右であり、共和党はさらに右だったのである。

サウジの場合
 11月22日、サウジアラビアが議長国となったG20が閉幕した。この開幕直前には、2018年にサウジ秘密警察によって殺害された同国出身のジャーナリスト、ジャマル・カショギが惨殺されたことへの遺族からの抗議声明が出ている。また、アルゼンチンなど多くの国で、殺害を命じたことが濃厚なサウジのムハンマド皇太子がG20に参加することへの抗議デモが起きている。
 サウジでは、未だに多くの政治犯が拘束され、処刑されているのは多くの人権団体が告発している。英紙ガーディアンは英国人権団体Reprieveの「サウジでは、麻薬常習者、非行少年、政治犯が秘密裁判で処刑されている」という記事を載せている。また、拘束されている政治犯は3万人にのぼるとも書かれている。
 しかし、この事実に対してロシア・中国は当然だが、他の日頃自由民主主義を高く掲げるG20各国政府も一切問題にしていない。香港での中国政府による反北京派への弾圧を猛烈に批判した米、英、仏、独政府もこの問題は黙殺しているのである。
 サウジでは、国家レベルの議会がないどころか、政党の結成も禁止されている。政治活動の自由など論外である。このサウジにアメリカはFMS(対外有償軍事援助)で2017年に1,100億ドルを援助する合意がなされている(防衛研究所 佐藤丙午)。逆に欧米諸国から常に人権と民主主義の問題で批判されるイランには、その上に宗教的権威権力があるにせよ、選挙で選ばれた大統領が存在する。相対的な意味では、サウジよりイランの方が、民主主義的な制度がいくらかは構築されているのは明らかである。サウジに対する軍事援助は、イエメン内戦にサウジが加担していることからやめるべきだと、サンダースなど民主党左派は主張しているが、トランプ政権は意に介さない。いずれにしても、欧米がダブルスタンダード、二枚舌と言われる所以がここにある。
 これらについては、以下のように考えられる。チリの場合は、アジェンデ社会主義政権は、ソ連と敵対関係にあったアメリカにとっては、安全保障上問題があると考える。ソ連の「社会主義」から、自由民主主義を守るために、反民主主義の独裁政権を支援するという矛盾した論理が展開される。
 サウジの場合は、サウジが西側軍事同盟の中東地域での要であり、敵対するイランとの関係でサウジと友好関係を壊すことはできないと考えるからである。イランはジョージ・W・ブッシュによれば、悪の枢軸の一つである。その国と敵対しているイランが民主的であろうとなかろうと国防上の利益が優先し、支援を続けるのである。
これらのことは例外的なことではなく、例をあげれば枚挙にいとまがない。日本の近隣では、韓国でのパクチョンヒのクーデタに、アメリカは当初非難したが、半年後にはこの軍事独裁政権と友好関係を結ぶ。対中国・ソ連と敵対しているアメリカは安全保障の観点から、市民を強権で支配する独裁政権を支援するのである。日本政府がそれに追随したのは言うまでもない。

 これら二つのことが意味するのは、日頃掲げる民主主義よりも優先するものがあることを明らかに示している。それは、ほとんどの場合、国家の安全保障としての国防である。学術会議の問題も、それと同様に、根幹に軍事研究があり、国家の安全保障に関係している。国家の安全保障は、建前では、国民の生命と安全、財産を守ることが目的である。しかし、実際には国民を戦争に駆り立て、むしろ国民の生命を犠牲にする。それは、アメリカのベトナム戦争やイラク戦争を見れば、明らかである。それは、政府が守ろうとするものが、国家の統治構造であり、政府が依って立つ支配構造であるからである。アメリカで言えば、民主党主流派と共和党が依拠し、共存関係にある金融、産業資本である。それらの利益を損なうものは排撃されるのである。(中国が敵とされるのは、中国資本がアメリカ資本の利益を損なうからに他ならない。)
学術会議への政府の対応を、中道右派から極右までが「問題なし」とするのは、彼らが現状の日本の支配構造を支える役割を果たしているからである。おうおうにして、自由民主主義を掲げながら、民主主義よりも、自分たちの支配構造を守ることが優先されるのである。
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学術会議問題「民主主義よりも優先するもの」(前)

2020-11-29 16:36:44 | 政治
 学術会議の政府による任命拒否の問題は、英国の科学誌「ネイチャー」が「黙って見ているわけにはいかない」とすぐさま反応したように、民主主義を標榜する国家においては、学問に対する国家の圧力であり、やってはいけないことは明白である。しかし、菅首相は国会答弁でも明確な説明を避け、むしろ学術会議側に問題があるかのように論理をすり替えて、間違いを認めようとはしない。現時点でも追求するメディアや勢力もあるものの、菅政権は逃げの姿勢を崩さす、状況は逃げ切れるかのようにすら見える。
 それはメディアによる世論調査でも、政府の対応に「問題なし」とする意見が過半数を占めるなど、「世論」が容認する姿勢を示しているからでもある。だがしかし、学問の自由に政治的圧力をかけることは、一切許されないとするのが、通常の民主主義に対する考えであるはずだ。菅首相が任命拒否の理由を答えられないのは、彼自身が民主主義上「やってはいけないこと」だという認識があるからであり、もし容認されると考えていれば、「政治的に意見の異なる学者は任命しない」と答えればいいのである。それにもかかわらず、何故「問題なし」などという意見がこれほど広まるのだろうか?
右派は容認、中道・左派は批判
 トランプの選挙集会で、アメリカの医学責任者である国立アレルギー感染研究所のファウチ所長に対し、極右のトランプ支持者は辞めさせろという叫び声をあげた。自分たちに都合の悪いことを言う学者は辞めさせろということである。勿論、トランプ自身はさすがにそこまでは言わなかった。当然のことだが、CNNはじめアメリカ主要メディアは、そのことを批判的に報道した。これは、日本の学術会議の中で自分たちに都合の悪いことを言う学者は辞めさせろ、ということと同じである。しかし、奇妙なことに日本の場合では、メディアによって対応が分かれているのである。
 学問に対する政治権力による対応というこの問題を、政党でいえば、政権党は別にして、右派の維新は「容認」、立憲、共産、社民は「批判」の立場である。このことは、メディアでも同様なかたちで分かれており、右派のメディア、新聞で言えば読売、産経は容認し、概ね中道の朝日、毎日は批判的な記事を連日載せている。権力とカネの強い影響を受けるテレビは、一部で右派のタレントが容認論を述べるほかは、NHKも含め黙認する姿勢を見せ、ほぼこの問題を避けている。また、右派論調の雑誌等で、内閣官房参与になった高橋洋一などが、さかんに学術会議側に問題があるかのように、政府の意向を宣伝することに努めている。
 人々がこの問題をどう考えるかは、どうしてもマスメディアの情報に頼らざるを得ず、その論調に強く影響されてしまう。日本ではテレビ、新聞、ネットニュースともいずれも右派系メディア(中道右派から極右までの)が強く、その多くが問題なしとしているので、人々の意見もそのようになるのである。言わば、世論の動向はマスメディアの動向の反映なのである。
 もともとファシズムなど極右思想は民主主義を否定しているので(すべての極右がファシズムと親和性があるわけではないが)、一部の極右トランプ支持者が、都合の悪い学者を排除しろと言うのは理解できる。しかし、民主主義そのものを否定している訳ではない中道右派までが「問題なし」とするのは何故なのか? そこには民主主義とは別の問題があり、民主主義よりも優先されるものがあると彼らが考えるからである。
 このことが問題化した直後に、維新の創立者である橋下徹は、「学術会議は軍事研究反対の立場を他の研究者に強制している」という趣旨の発言で政府を擁護したが、強制しているかどうかは別にして、この問題の根幹に軍事研究があるのを見抜いている。
 学術会議は昭和24年に制定された日本学術会議法の前文の「わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し」とあるように、一貫して平和と福祉が根本的理念であり、その正反対を志向する軍事研究には反対の立場を維持してきた。自公政権の戦争ができる国づくりには、軍事研究は必須である。端的に言えば、その妨げになる学者たちは、政府にとっては、邪魔なのである。政府が任命拒否した6名に安保法制や共謀罪に反対した者が含まれるのは、それを証明している。
 軍事力よって、敵対する国家との戦争を抑止するという安全保障論がある限り、軍事力の向上は必須の要件となる。この抑止とは、相手が攻撃してきた場合、軍事的対応を行って損害を与える姿勢を示すことで、攻撃そのものを思いとどまらせる軍事力を維持するというものだが、相手方も同様な考えに立っており、双方が常に今以上の軍事力の増強を目指すことになる。相手方よりも強力な軍事力維持のためには、軍事研究は欠かせない。現実に、アメリカもヨーロッパも中国もロシアも、勿論日本も、その他ほとんどの国で、軍事力の向上が図られており、そのための軍事研究がさかんになされている。
 自分たちに都合が悪いからといって、任命拒否するのは民主主義に反する。しかし、民主主義よりも優先するものがある。政府も、それを擁護するメディア、評論家も、総じて中道右派から極右までは、そう考えているに違いない。何故ならば、そういった例は世界中で山ほどあるからだ。
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コロナ危機「店で飲み食いして大金使う客より、もっといい客は『来ず』」

2020-11-27 17:35:12 | 政治
 古今亭志ん朝の落語の枕で、飲食店(実際の話では、廓だが)で一番いい客は、飲み食いで気前よく大金を使う客かと思いきや、そうではない、というのがある。その上のもっといい客は、「来ず」だというのだ。どういうことかというと、「忙しくて行けなくて、悪いね」と、お供の者にお金を届けさせるという客が一番だというのだ。「来ず」だが、金だけは出す、ということである。
 この話の真偽は分からない。だがしかし、一番いい客は、「来ず」だというのは、現在のコロナ危機でも当てはまる。
 みんなが店に行けば感染のリスクは増大する。行かなければ、リスクはゼロである。行かないで、お金だけは届ける。つまり、飲食店に対する直接支援をすればいいのである。そしてこれは、実際に行われている。例えば、未来の食事券を先に購入するなどの支援である。確かに、国もいくらかは直接支援する救済金などの支給をしている。しかし、大規模に行っているのは、GoToキャンペーンの方である。人の動きを活発にするGoToは、一時しのぎの収入をもたらすが、客が来ない原因である感染の拡大を招く。それが、今の現状である。
 GoToは、例えれば、病人が病気が治っていないのに、カネがないから働きに行けというのに等しい。働きに行けば、病気は悪化する。そうなると、まったく働けないので、さらにカネはなくなる。病気の時の第一の選択肢は治療に専念することである。そうしなければ、さらに困難な状況になるだけである。
 飲食店のみならず、経済の回復を阻むのは、感染の拡大である。経済回復のためにやるべき第一の選択肢は感染を押さえ込むことである。しかし、国は、感染の拡大を呼び込むGoToという本末転倒策を実施している。それによって、経済回復はかえって遅くなる。堂々巡りの悪循環に陥るだけである。
 飲食店や旅行業界への支援は、「来ず」に徹するべきなのだ。国は、GoToの予算を、困窮者への直接支援や医療、PCR検査の拡充に使うべきなのである。
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