夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「どんなにロシアを非難しても、ウクライナと世界は破壊される。戦争が続く限り……」

2022-11-19 11:46:04 | 社会
ウクライナは全土で電気と水不足で、日常生活と生命の危機を迎えている

ロシア軍のインフラ壊滅作戦
 11月15日、ロシア軍はウクライナ全土に100発ほどのミサイル攻撃を行った。攻撃対象は、電力施設などのインフラである。そのため、ウクライナ人は全土で停電による被害を余儀なくされている。それ以前からも、南東部の地上戦で劣勢にあるロシア軍は、発電施設、電力網、燃料貯蔵庫、水資源・供給施設などのエネルギー関連施設を度々攻撃し、ウクライナ人の生活を支える社会的基盤を破壊し始めている。これは、ウクライナ側の戦意を喪失するためと考えられるが、むしろ、ロシア兵の大量死とウクライナ軍の領土奪還への報意を意図していると思われる。
 そして、それと同時に起きたことは、ロシア製ミサイルがNATO加盟国のポーランド領に着弾し、ポーランドのドゥダ大統領 はNATO条約第4条 、「いずれかのNATO加盟国の『領土保全、政治的独立、安全保障』が危険にさらされた場合、協議を要請できる」という規定 を16日のNATO加盟国大使級会合で緊急協議を要請する可能性が「非常に高い」と述べた。(AFP11/16)
 その直後に、ミサイルの着弾は、ウクライナの迎撃ミサイルS300(旧ソ連=ロシア製)がポーランド領に落下した事実が判明し、ポーランド政府は、第4条の発動を見送った(CNN11/17)のだが、このことは、戦争が続く限り、NATOとロシアとの直接衝突が起こりうる可能性があることを示している。

私たちは戦争を終わらせなければならない」
  この状況の中で、11月15日にG20が開催された。議長国インドネシアのジョコ大統領は「私たちは戦争を終わらせなければならない。もう一つの冷戦に向かわせてはいけない」とスピーチし、インドのモディ首相も「私たち停戦して外交の道に戻らなければならない」と述べた。(朝日新聞11/16)
 これらの発言は、ロシア政府とウクライナ政府、それに西側政府以外の意見を代表していると言えるだろう。とにかく、戦争を終わらせろ、という意見である。
 そして首脳宣言では「ほとんどのG20メンバーは、ウクライナにおける戦争を強く非難し、この 戦争が計り知れない人的被害をもたらし、また、成長の抑制、インフレの増大、サプライチェー ンの混乱、エネルギー及び食料不安の増大、金融安定性に対するリスクの上昇といった世界経済 における既存の脆弱性を悪化させていることを強調した。(外務省公式日本語訳)」となっている。
 首脳宣言の中でも、西側は「同国(ロシア)のウクライナ領土からの完全かつ無条件での撤退を 要求している国連総会(141ヶ国賛成、5ヶ国反対、35ヶ国棄権、12ヶ国が欠席) や、国連安全保障理事会を含む他のフォーラムで表明してきた自国の立場 を改めて表明した。(同)」 西側以外の意見が「とにかく、戦争を終わらせろ」なのだが、西側は「とにかく、ロシアは撤退しろ」なのである。

 では、当事者のロシア、ウクライナ、軍事支援を続ける西側、特に最も大きな影響力を持つアメリカは、戦争を終わらせる意図はあるのだろうか?
 
 ロシアは、プーチンが9月17日に「早く停戦できるよう最善尽くす」と言ったが、ラブロフ外相が11月16日に「すべての問題は交渉を拒否するウクライナ側にある」と言ったように、自ら進んで停戦交渉に入る意図は見られない。
 ウクライナのゼレンスキーは、「クリミア半島の奪還まで戦う」が基本姿勢で、11月9日に発言した停戦交渉の条件の中でも、分かっていながらロシアが同意することはあり得ない「領土奪還」を挙げており(NHK11/9)、事実上、交渉する意図はないことを示している。
 
 バイデンに停戦交渉を薦める意思はない
 ウクライナ軍は、多くをアメリカ製の兵器で戦闘を続けており、アメリカが軍事支援をやめれば、戦闘続行は不可能である。その意味で、この戦争はアメリカとロシアの代理戦争であり、戦争が継続されるのかどうかは、アメリカ政府の意思が極めて重要な意味をもつ。
 11月16日、アメリカ軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長は 、「『軍事力によるロシア軍のウクライナ国外への物理的な駆逐は、極めて困難な任務』であり、『近いうちに』達成される公算は小さいとの見方を示した。(CNN11/17)」 という。アメリカ軍も、軍事力でロシア軍をウクライナ領土から駆逐するのは「極めて困難」と認めているのである。だからミリーは、「ロシア軍は非常に痛手を被っている。交渉というものは自分たちが強く、相手が弱い立場にあるタイミングで行うのが望ましい。そうすれば恐らく、政治的な解決策が見つかるだろう。今言えるのは、その可能性があるということだ(CNN同)。」 と、外交交渉をすべきと言っているのだが、バイデンは、「ウクライナ側にロシアとの交渉を直ちに迫ることはないと安心させるための対応に追われ、(CNN同)」外交交渉はしないという意思を明確にしている。
 では、なぜバイデンは戦争継続に固執するのだろうか? それには、軍事的には、Newsweek11月11日の記事、「停戦は、プーチンに有益」というアメリカ戦争研究所ISWの見解が大いに参考になる。「冬季停戦はロシア軍にとってのみ利益となるだろう。ロシア軍はその機会を利用して、脆弱な防衛を強化」すると言うのである。そしてこの見解を補足して、アメリカン エンタープライズ研究所の重大脅威プロジェクトCTP フレデリック・ケーガン所長 なる者は、プーチンとその同調者はウクライナ征服を諦めず、「キエフを征服するまで休まない」 と言うのである(Newsweek11/18)。
 恐らく、この見方が、バイデンやアメリカリベラルを支配しているものと思われ、民主党左派一部議員の大統領への外交交渉を促す書簡を葬ったのである。
 この見解は、プーチンとその同調者がクレムリンを支配している限り、ロシア軍を撃退させる戦争は継続すべきというものである。ところが、プーチンを打倒できるような大きな勢力はロシアには、今のところどころか、近い将来にも現れそうもない。ロシア国民には厭戦気分と劣勢のロシア軍にウクライナをやっつけろと鼓舞する気運があるだけで、プーチンを打倒する政治的勢力を支援する大きな流れは起きてはいないのである。

何年続くか分からない戦争
 そのことと「ロシア軍のウクライナ国外への物理的な駆逐は、極めて困難」というミリー統合参謀本部議長の分析を合わせれば、何年かかるか分からないが、ひたすら、対ロシアとの戦争を継続するという方針しか出てこない。しかし、これがバイデンの「方針」なのである。そして、日本も含め、これが西側全体の「方針」になっているのである。
 実際には「何年かかるか分からない」のだが、西側メディアは、旧日本軍の大本営発表のように、ウクライナの攻勢だけを伝え、あたかも、近いうちにロシア軍を駆逐できる幻想を与えている。それがまた、西側全体の戦争継続熱を加熱する。
 その間に、世界経済は破綻状態に近づき、気候危機対策は先送りにされ、世界中の人間は危機に落とされ、何より、ウクライナ人は日常生活の危機を迎え、生命を失われる。悲運にも、そのことに、バイデンや西側エリートは気づきそうもないのである。
 
 
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「死んでお詫び」と「仇討」としての日本の死刑制度

2022-11-15 10:26:56 | 社会


世界的には死刑制度廃止に向かっている
国際アムネスティによれば、2020年12月現在で、
すべての犯罪で死刑を廃止した国、108
通常犯罪のみ廃止の国、8
(軍法下の犯罪や特異な状況における犯罪のような例外的な犯罪にのみ、法律で死刑を規定) 
事実上廃止の国、28  
(殺人のような通常犯罪に対して死刑制度を存置しているが、過去10 年間に執行がなされておらず、 死刑執行をしない政策または確立した慣例を持っていると思われる国。死刑を適用しないという国際的な公約をしている国も含まれる。)
 存置国、55  
となっている。
 死刑制度の存置国は、イスラム圏、アフリカ、中国などアジア地域の国が多いが、OECD加盟国では、アメリカと日本のみである。そして世界の方向性は、明らかに死刑廃止に向かっている。死刑廃止国の推移は、1977年16ヶ国、2001年76ヶ国、2011年97ヶ国、2020年108ヶ国と年々増加し、確認された死刑執行数も2015年が1634件に対し、2020年は483件と大幅に減少している。(国際アムネスティによる)

死刑制度に合理的な理由はない
 上記のように世界的には死刑制度廃止に向かっているのは、死刑制度に合理的な理由はないからである。死刑制度が凶悪犯罪の抑止に繋がらないことは、研究者からかなり以前から指摘されており、逆にそれが、人命軽視を助長するのは、国家による殺人を容認している制度に過ぎないことを考えれば、明らかである。

「死刑はんこ」発言での日本のメディアの愚かな論調
 このような世界の趨勢の中で、死刑執行の命令書のはんこを押すことを「地味な役職」と発言した法務大臣が更迭されたが、それに対する日本の主要メディア、新聞・テレビは、死刑の重大性を軽んじていると批判するだけで、制度そのものに対する是非を論じるものは、極めて少ないと言っていい。
 そもそも、日本のメディアは、概ね、死刑制度存続の論調で貫かれているのである。新聞に限れば、死刑廃止方向の論調を載せているのは、東京新聞と琉球新報など一部地方紙、赤旗ぐらいで、極右の産経新聞などは、『「死刑廃止」は被害者の人権侵害』などという福井義高青学大教授の馬鹿げた意見を載せる始末である。
 
 日本のメディアが死刑制度存続の論調を変えないのは、内閣府の世論調査で「死刑もやむを得ない」が8割を超えているので、営利的観点から、世論に合わせるという編集方針で臨んでいるためだと考えられる。
 しかし、内閣府の世論調査は、常に政権の意向に沿うような答えが多く出るように仕組まれている。内閣府の世論調査は、単に「死刑に賛成」と聞いているのではなく、「死刑もやむを得ない」に、わざわざ、「場合によっては」と付け加え、この回答が多くなるように仕向けた質問をしているのである。「場合によっては」とは、通常は反対だが、「よく分からないが、そんな場合もあるかもしれない」と日本人特有の曖昧さに付け込んで、答えさせているのである。その逆の死刑廃止には、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」 と問い、死刑廃止への強い意思を持つ者だけが答えるような質問になっている。これを単に、あなたは死刑制度に反対か賛成かと聞けば、反対する者が多くなるのは、当然予想できる。それは、「死刑もやむを得ない」 と答えた者の内、「将来的には,死刑を廃止してもよい」が、2019年でも34.2%もおり、「絶対に死刑制度は維持すべき」という者(内閣府は、そのような質問は、答えが低く出るのが想定されるので、選択肢にしない。)は、半数に満たないと思われる。
 このような内閣府の世論調査に対する疑問も、メディアは載せることはない。例えば、朝日新聞は「『死刑制度やむを得ない』8割超 内閣府調査、4回連続」という記事を2020年1月17日に載せたが、「8割超」が強調されているだけで、質問項目を疑問視する姿勢など微塵もない。
 
「死んでお詫び」と「仇討」の日本文化は理由になるのか?
 メディアの論調もさることながら、日本政府は死刑制度存続の方針を変えようとはしない。それは戦後永続的な自民党政権が、国家による人民統制を強固にするという意味での右派であり、伝統的文化を尊重し、それに基ずく従来の方針を変えないという意味での「保守」であるからである。
 国家による統制という意味では、犯罪者の動機に結びつく社会的状況やその改善などは考慮せず、ひたすら厳罰主義で臨むというものである。そこからは、死刑制度廃止などは論外である。
 死刑と伝統的文化に関連して、2002年5月司法人権セミナー「欧州評議会オブザーバー国における司法と人権」で来賓であった森山真弓法務大臣(当時)は,「保守」を象徴する分かりやすいを発言をした。「わが国では大きな過ちを犯した人がたいへん申し訳ないという強い謝罪の気持ちを表す時に、死んでお詫びをするという表現をよく使うのですが、この慣用句にはわが国独特の罪悪に対する感覚が現われているのではないかと思われます」と、「文化」的理由をもって死刑制度を正当化したのである(Webサイト「死刑廃止フォーラム」より)。
 要するに、「死んでお詫び」をする文化が日本にはあり、死刑は「死んでお詫び」の文化に沿っている、だから、死刑制度存続させる、ということである。
 確かに、上記の世論調査でも、「死刑もやむを得ない」派の中で、その理由に「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」を挙げた者の割合が52.9% となっているのは、「死んでお詫び」をすべきという「文化」が色濃く残っている証左だとも言える。
 しかし、「死刑もやむを得ない」派の中でその理由では、「死刑を廃止すれば,被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」を挙げた者の割合が 53.4% と最も多いのである。この「気持ちがおさまらない」とは、死刑で殺害すれば、「その家族の気持ちがおさ」まる、ということの裏返しであり、これは明らかに「復讐」であり、「かたき討ち、仇討」である。
 日本では、明治6年1873年2月7日に、太政官布告第37号として「敵討(かたきうち)禁止令」が布告され、そこには「復讐厳禁 」と記されている。また、「古来より父兄のために讐(あだ)を復(ふく)するをもって、子弟の義務となすの風習あり。」(原文は漢文)とも記されている。つまり、日本には仇討の「文化」がある、ということである。さらに、「人を殺す者を罰するは、政府の公権に候処(そうろうところ) 」とある。つまり、個人が「罰する」ことは禁止するが、その代わり国家が「罰する」ということである。とどのつまり、個人の仇討はダメだから、国家が仇討をしてやる、とも解釈できるのである。
 森山は「文化」を盾に死刑制度を正当化するのなら、「仇討文化」も挙げるべきだったのである。「その家族の気持ちがおさまらない」とする者が多いのだから、また、「忠臣蔵」など復讐劇が好まれるのだから、日本には「仇討文化」が残っているので、死刑制度は廃止できない、と言えば良かったのである。しかしさすがに、それは言えなかった。
 このような「文化」は、時代によって変化することは自明の理であり、森山は、それを勿論分かっていた。かつて日本だけでなく世界中で、特殊な職業を除き、女性が働く「文化」はなかったが、それを理由に、「女性は働くべきでない」とは言えない。その「文化」自体も大きく変化し、現代では「女性が働く」ことは、極めて自然なことと受け止められている。同様に、「仇討文化」も過去のものとしなければならないのを、森山は理解していたのである。

 このことは、死刑制度に関し、たとえ「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」や「家族の気持ちがおさまらない」と考える者が多くとも、それを「文化」として存続の理由に挙げることはできないことを意味している。「死んでお詫び」も「仇討」同様、過去のものとしなければならないのでる。
 
刑罰は報復ではない
「命をもって償うべき」には、犯罪行為をした者は相応の報いを受けるべきだという「応報刑論」に近いと思われるが、この考えは、ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」 のように、歴史的に古く、倫理的意味を強く含む。しかし現代では、刑罰は犯罪に対する応報ではなく、社会秩序を維持して犯罪を予防することを目的として科せられるべきという「目的刑論」も併せて考えることが主流である。いずれにしても、刑罰は報復ではない、のである。

 そもそも、「死刑もやむを得ない」派が多いのは、マスメディアの報道が大きく影響している。戦後凶悪犯罪は減少しいるにもかかわらず、報道では、「受け狙い」から凶暴な殺人事件は、何度も繰り返し、大きく扱われる。また、被害者家族の感情も、あたかもそれが最も重要なことのように報道される。そのような報道に多く接していれば、誰しも、凶悪犯罪が多発していると思い込み、被害者家族の「極刑を望む」思いが刷り込まれてしまう。

 死刑を執行する刑務官は、そのほとんどが精神的苦悩を抱えると度々報道される。それは、人を殺してはならないという、人間としての最低限守るべき倫理観に反した行為を行わなければならないからである。この人間としての最低限守るべき倫理を国家が破るのが死刑制度である。こんなことが許されていい合理的な理由はまったくないのである。


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ガーディアン紙に、「戦争を終わらせろ」という珍しい意見が載った。

2022-11-06 11:17:33 | 社会


 11月6日、英紙ガーディアンに、「我々は、この戦争を終わらせなくてはならない」という意見opinionが載った。「この戦争をすぐに終わらせなければならない緊急の理由はたくさんある」というものである。恐らく、この意見は、アメリカ民主党内左派が、ウクライナへの軍事支援には反対しないが、和平への外交交渉も模索すべき、というバイデンへの書簡が、民主党主流派から、ロシアを利するものとみなされ、反撃されて撤回したことを受けてのものだろう。この意見の主旨は、撤回された書簡の意見をさらに進めたものと思われる。

 しかし、このような「すぐに終わらせるべき」という意見は、西側の主要メディアでは、非常に珍しく、ほとんど見られないものだった。
 西側の主要メディアの論調は、西側政府、特にアメリカバイデン政権の主張とほぼ同じで、すべきことは、「ロシア軍をウクライナから排撃することで、ここで停戦するのは、ロシアの侵略を認めることに繋がり、そのためにウクライナへの軍事支援をやめてはならない」、つまり、戦争を継続すべき、というものだからである。言い換えれば、今の段階での和平交渉は、ウクライナ領内のロシアの一方的な支配地域を認めることになり、ロシア軍が撤退しないのなら、それを軍事力で排除するのが何よりも優先されるべきだ。そのためには、何人ウクライナ人が死のうと国土が破壊されようと、世界的食糧不足やエネルギー不足で貧国地域の人びとや庶民階層が餓死しようと困窮しようと、ロシアが悪いだから、我慢しろ、というものである。
 
 この意見の中で、ウクライナを「脆弱な民主主義国家 」としており、2020年に、「ジャーナリストに対する 171 件の身体的攻撃を含む、229 件の言論の自由 」抑圧があり、NGOフリーダムハウスが2021年2022年に「民主化率」を極めて低く評価したこと、ゼレンスキー政権は政府方針に反する「テレビ局を禁止し、11の野党政党を禁止している」とことに言及し、このまま戦争が長引けば、戦争のために言論封殺が正当化され、「ウクライナの脆弱な民主主義は、最終的な結果に関係なく生き残ることはできない」と主張している。それが、「この戦争をすぐに終わらせなければならない緊急の理由」の一つだというのである。
 さらに、この「戦争は世界経済にとって災難であり、石油価格の上昇に伴い各国政府がより多くの化石燃料を求めて環境を危険にさらし、穀物輸出が枯渇するにつれて数百万人が飢饉に直面する脅威となっている。軍事強化は、ワシントン DC、ヨーロッパ全体、そして世界中で増加しています 」とし、これらの理由は「この戦争を終わらせるのに十分なはず 」だと主張している。これらの主張は、西側メディアの論調に完全に反しており、ガーディアンでも極めて稀なものと言える。

西側メディアの論調
 こういった意見が西村主要メディアに載ることが珍しいのは、それだけではない。この中で「NATO が挑発的な東方拡大 」をしたことや、「米国は、ロシアの影響力に挑戦し、ネオナチ組織に関連する強力な極右勢力を含む、ウクライナの一連の政治的プレーヤーを支援して」きたことにも言及していることにも言及していることだ。
 西村メディアは、2月のロシアの侵攻以来、NATOの東方拡大、ウクライナに現存するネオナチ勢力、ゼレンシキー政権の言論弾圧については、一切記事にはしなかった。少なくとも、大きく取り上げることはなっかた。これらの指摘はすべて、ロシアの利益になることで、あたかも言ってはならないこととして扱ったきたのだ。さらには、ウクライナでの戦争が2022年2月に、突然始まったことのように書いている。これは、過去の日本の戦争が真珠湾攻撃から始まったとするようなもので、それ以前の日本のアジア侵攻にはなかったとするようなものである。現実には、ウクライナでは2014年から、親ロシア武装勢力と政府軍との内戦があり、国連の報告でも14,000人が殺害されているのである。
 ガーディアンも含め西側メディアは、ロシアの侵攻以前は、2014年からの内戦やウクライナの極右勢力の危険性に関する記事を数多く載せていた。それが、2月の軍事侵攻から一斉に記事にしなくなったのである。

 ガーディアンにこのような、今までと異なる論調の記事が載るのは、終わる気配がまったくないこの戦争の事実を直視する姿勢が表れてきたのかもしれない。西側メディアは、戦争の継続が、核戦争の危険性を増大させ、世界を破滅的状況に陥れることへの危惧に、やっと気づいた証なのかもしれない。
 
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