1.日本のマスメディアの報道
北朝鮮は4月29日以降、立て続けに弾道ミサイル発射実験を行なった。このことを海外のメディアは次のように報じている。
<North Korea's missile test fails CNN>
<A New North Korean Missile Test Ends in Failure The New York Times>
<North Korea has test-fired another ballistic missile BBC>
<North Korea fires medium-range missile in latest test THE GUARDIAN>
<North Korea conducted its second missile test within a week CNN>
<North Korea confirms 'successful' new ballistic missile test BBC>
<Security Council strongly condemns ballistic missile test by DPR Korea 国連のUN News Centre2017.5.17>
一方、日本の新聞もテレビもすべてのマスメディアは「北朝鮮がミサイルを発射した」と報道している。何が違うのかは一目瞭然である。海外メディアでは、missile test ,test-fireというように、必ずtest実験、試験、テストという文字が入っていることだ。日本の報道では、testという言葉は一切除かれている。アメリも4月26日にICBMの発射実験を行った。海外メディアは当然のように、<US Test-fires missile CNN> <US TEST-FIRES ICBM FOX NEWS>と書いている。日本でも、「アメリカがICBMの発射実験を行った」と、ここには実験という言葉を入れている。日本のメディアは、北朝鮮の場合だけ「実験」という単語を使わないのである。(因みに、日本共産党の赤旗も他の日本メディアに合わせて「北朝鮮のミサイル発射」と記している。)一体これはどういうことなのか? どちらの表現が、より正確なのか?
実際にミサイルを発射launchしたのだから、それで良いのではないか、という意見もある。しかし、アメリカのICBMもそれは同様である。表現を変える理由にはならない。そもそも、日本のメディアがアメリカのICBM発射実験を、単に「発射」としないのは、「発射」と報道したら、戦争の始まりを意味するからであり、実験testでしか絶対にあり得ないことを理解しているからだろう。同じ理由で、アメリカの実験と同様に、弾頭を搭載していない、他国の人や物を標的にしているのではないので、北朝鮮の場合にも海外メディアはtestという単語を必ず入れるのである。確かに、北朝鮮の実験用ミサイルが船舶等を危害を加える可能性はある。また、発射実験が国連決議違反であることは明白である。しかし、あくまでもテストはテストなのである。
では、日本のメディアがtest実験という言葉を省くのはなぜなのだろうか? それは第一に、安倍政権のミサイル迎撃態勢が、北朝鮮が何の考慮もなくやみくもに攻撃をしてくるような印象を与えるからである。「ミサイルが飛んできたら、非難しましょう」などという「呼びかけ」を行っているからである。特に読売新聞や産経新聞などの安倍政権に親密なメディアは、政府の意向に合わせて報道するのである。そして第二には、「受け狙い」と考えるのが妥当だろう。特にニュース番組でも1分毎に視聴率を計測しているテレビではそういう傾向が強い。実験であるならば、誤作動がない限り日本へはミサイルは飛んでこないのだが、それでは視聴率は稼げないのだ。あたかも、飛んでくるような印象を与えた方が視聴率は上がり、新聞は売れるのである。
ではそもそも、朝鮮半島の危機とはどういうものなのか?
2.朝鮮半島の危機の構図
「朝鮮半島危機」は過去にも何度かあったが、ここに来てさらなる重大な危機を迎えている。それは、アメリカにトランプ政権が発足し、北朝鮮に対し、先制攻撃も辞さないという態度を鮮明にしたからである。勿論、「朝鮮半島危機」は、北朝鮮の核兵器保有が問題の核心であり、周辺諸国がそれを阻止するために様々な動きを見せているというのが基本的な構図である。しかし、北朝鮮の核兵器保有の目的は、圧倒的に強力な米韓日の軍事力に対抗するためであり、その軍事力に囲まれていると北朝鮮が認識している限り、それを放棄することはあり得ない。それは、多くの朝鮮半島情勢の専門家が指摘するとおり、「体制の存続」に関わるからである。例えば、韓国人のジャーナリスト金香清(キム・ヒヤンチョン)は「北朝鮮は戦争をしたいのか?したくないのか?」(Newsweek日本版2017年04月17日)で「明らかに軍事力で太刀打ちできない米国との全面衝突を、金正恩政権が望んでいるとは考えにくい。北朝鮮が米国に望んできたことは『体制維持』に尽きる。そのために大小の軍事的挑発を起こしては、米国を交渉のテーブルに着かせようとしているのだ。」と述べている。この説明は極めて論理的であり、納得できるものだろう。アメリカとの戦争は、キム政権の崩壊を意味し、「体制の存続」は不可能であるからだ。アメリカが北朝鮮の軍事力と統治能力を破壊できるのは、イラク戦争で明らかである。だから、そのやり方は納得できるものではなく、彼らの意図どおりには進んでいないが、「大小の軍事的挑発」によって、朝鮮戦争の終結とアメリカによる武力によっての体制破壊をしないという協定を結びたがっている、というのが北朝鮮側の意図であると推論できるのである。また、軍事評論家の小川和久も「北朝鮮危機は金正恩の『怯え』が原因だった」(東洋経済オンライン2017年4月20日)で「米国のメッセージで彼が感じる『命の危険』」があり、「米韓両軍が手を出せば、こちらも撃つぞ、ということである。手を出さない限り海に向かって撃つだけであり、もっと言えば、手を出さないでほしい、ということをアピールしているのである。もちろん金正恩は自分の方から撃つという姿勢は示していない。日本人の方がよく理解できていないかもしれないが、日本に対する攻撃は、アメリカ本土防衛線への攻撃とみなされ、即時に核による反撃が予想されるからだ。金正恩はそのことをはっきり理解している」と述べている。つまり、北朝鮮側から先に攻撃してくることは、あり得ないということである。攻撃すれば、ほぼ同時に反撃され、キム政権は壊滅、キム・ジョンウンは死を覚悟しなければならないからである。これほど分かり切った予測は他にないだろう。
アメリカ側からは、韓国に在住する15万人のアメリカ人の生命を危険にさらして、また同盟国である韓国住民の生命を危険にさらして、いくらトランプでも先制攻撃を選択することはできない。一部のメディアが、シリアの空軍基地への巡航ミサイルによる攻撃のように、北朝鮮の核とミサイルの関連施設のみに絞り攻撃の可能性があるかのように報じているが、それも北朝鮮が耐え忍んで反撃してこないという確信がない限り、絶対に選択できるものではない。
では戦争の危険性はないのかと言えば、ないとは言えない。それは、相手の意図を誤解し、相手が攻撃してくると確信した時である。攻撃されると認識すれば、防衛上、当然に攻撃を開始する。北朝鮮と米韓は互いに軍事力を誇示している。そのような状況で、相手方の攻撃の端緒を誤解することがないとは言えないからだ。
3.安倍自民党政権への追い風
上記のような専門家の意見は、マスメディアでは極めて小さく扱われ、北朝鮮に対しては制裁という経済的圧力と軍事力で対抗するしかないという「空気」で満ちている。だから、ローマ法王が当事国である北朝鮮と米韓双方に軍事的な自制と外交交渉での解決を呼びかけたのは、新聞の片隅でしか報道されない。
明治以降、日本は多くの戦争をし、マスメディアはこぞって戦争を煽った。それは、政府が強制したからではない。政府が強制する以前に、メディアが自ら戦争賛成論を書き立てたのだ。(日清・日露の各新聞の論調を見れば明らかである。)「敵をやっつけろ」という言葉ほど、大衆受けするものはないだろう。自分たちは常に正しく、対峙する相手方は常に悪なのだ。悪をやっつけるというのはこの上ない快感なのである。「鬼畜米英」が、今では「鬼畜中朝」である。そういう論調が視聴率を上げ、部数を伸ばすのである。
それは政権への支持でも同様なことが言える。3月に実施されたNHKの調査では、北朝鮮を脅威だと感じると答えたのは93%に上る。それは多分にメディアの影響によるものだとしても、そう考える人が圧倒的に多いという事実を変えることはできない。軍事的脅威への方策で最も支持されやすいのは、(権力の強大化を基礎に、)軍事力で対抗するという手段であるのは数多く見られることだ。トルコのエルドアンが、憲法「改正」により強権を手に入れることができたのは、シリアという近隣の内戦と国内のクルド人勢力、欧米での反イスラム心理などの多くの「敵」が背景にあるからである。戦争の勝利が、政府への圧倒的な支持をもたらすのは、歴史的事実でもある。自民党が民進党や共産党、社民党より遥かに、党の方針として軍事力の増強を目指しているのは誰も目にもはっきりしている。安倍政権の支持率が安定している理由は、おそらくこの影響が最も大きいだろう。安倍政権は、2020年までに憲法を改変したいと言う。改変のひとつが戦争をやりやすい国にするというものである。今のところ、憲法9条の改変への世論の賛否は拮抗しているが、徐々に賛成派が増えている。朝鮮半島の危機は、過ぎ去る気配がない。それは、完全に安倍政権への追い風である。危機が長続きすればするほど、危機が深まれば深まるほど、軍事力を増強するのはやむを得ないと考える人が増えるは避けられない。2020年、オリンピックと同時に憲法は改変される。この悪夢のようなシナリオは現実味を帯びてきたと考えざるを得ない。
朝鮮半島の危機が必ず戦争になるとは限らない。トランプもキム・ジョンウンもムン・ジェインも戦争を望んでいるわけではないだろう。そして、日本の安倍政権も「やむを得ない選択としての戦争」でもない限り、戦争を望んでいるとは考えられない。戦争は人的にも経済的にも甚大な被害が発生するのは分かり切っているからである。しかし、強権と軍事力の強化を方針として掲げる政権にとっては、「危機」が好都合であるのは間違いない。「危機」によって、強硬な姿勢が好まれるからである。戦争が起こるとは限らない。しかし、周辺諸国の軍事費の増加は避けられない。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の「2016年世界軍事費支出報告書」によれば、全世界の軍備は1兆6860億ドルで前年より0.4%増加したという。特に、アジア地域での増加が増えているという。莫大な軍事費は、福祉予算を削る。世界の軍事費の半分弱を使うアメリカが福祉後進国であり、軍事費の増大が著しい中国も貧弱な福祉システムしかないことを見ればそれは明らかだ。また、「危機」よって出現する強権体制が(「共謀罪」法案もそのひとつである)、民主主義を弱体化するのは目に見えている。「朝鮮半島の危機」がもたらすものは、実際の戦争そのものの可能性は低い。しかし、確実に進行するのは軍拡と民主主義の危機、この二つなのである。