西側政府と主要メディアは、世界は自由民主主義国と権威主義・専制主義の国に分かれていると言う。これは勿論、西側の代表であるアメリカ大統領ジョー・バイデンが2021年12月に「民主主義サミット」を主催し、欧米、アフリカ、アジア、南米まで、世界中の国を招待したことと密接に関係している。それによれば、世界は、権威主義・専制主義のロシア・中国とそれに与するベラルーシや北朝鮮などの国々と、欧米、オーストラリア、日本、韓国などを筆頭に自由民主主義の国々と二つに分かれているというのである。しかし、現実にはそうではないことが、ロシアのウクライナ侵攻に対する各国の反応で示された。世界は二つでなく、三つに分かれているのである。
それがはっきりと示されたのは、ロシアへの経済制裁を明白に支持するのは、欧米、オーストラリア、日本、韓国など、いわゆるに「西側」に限られていることだ。中国、インド、ブラジル、南アフリカのBricsを始め、アフリカ、中東、南アメリカ、ASEANの多くの国など、つまり「西側」に属さない国々は、ロシアへの制裁には同調していない。このことについて、西側主要メディアは言及している。例えば、英BBCは、「ロシアの主張に耳を傾ける国々」(5月11日日本語電子版)の中で、それらの国々には「経済的、軍事的な利己主義から、植民地時代の過去についての欧州の偽善に対する非難まで、さまざまな理由がある 」と言う。「特にムスリムが大多数を占める国々では、西側諸国に対するある非難が共有されている。世界で最も力のあるアメリカに率いられている西側諸国が、偽善と二重基準(ダブルスタンダード)の罪を犯している」という認識があるからだとしている。つまり、西側自体が認めているとは限らないが、アジア・アフリカには、西側による植民地化の負の遺産があり、西側はそれを解消するどころか、負の遺産からの利益に固執してきた経緯があり、ロシアだけを責めるのには賛成できないということである。それは、ロシア非難の先頭に立つ米英がニセ情報の理由でイラクに侵攻し、暴力だけが優先する国に変え、イエメン内戦では、空爆を続けるサウジに強大な武器を供給し、国連が史上最悪な人道危機と呼んだ状況を作り出し、パレスティナ人を「屋根のない監獄」に閉じ込めたままのイスラエルを支援する、そのような西側の言うことを額面どおりには受け取ることはできないということである。侵略行為自体は容認できず、国連でのロシアのウクライナ侵攻そのものの非難決議には賛成したが、ロシアに対する対処を西側と同じようにはできないというアジア、アフリカ、南米諸国の立場がここには表れている。
西側は、「自由民主主義」を掲げ、実際には何をやってきたのか?
そもそも、英国では1918年に男子普通選挙が成立したように、世界の中で相対的に民主主義が先に発展した西側先進国は、他国へ民主主義制度を広めたわけではない。それどころか、アジア・アフリカ・南米の植民地化に乗り出し、自国以外には民主主義制度を一切認めなかかったのである。自国以外の人びとに自治権を与え、民主主義制度を輸出することは、民主主義から考えて至極当然なことと考えられるが、高邁な理想を掲げながらも、植民地化の中で、そのことがまったく考慮されなかったのは何故なのだろうか?
その答えを、政治経済学者でもある地理学者のデヴィッド・ハーヴェイは著書「コスモポリタニズム」の中で、次のように書いている。「現地住民を(民主主義制度の根幹である)自治の恩恵から排除することは、二つのやり方で正当化された。」「第一に、特定の空間と人びとが悪魔化されるか、『未開人』ないし『野蛮人』とされるか、極端な場合には、北アメリカの先住民のように」「文明世界の概念にまったく組み込むことができないとみなされた。」「第二の手法は、インドにおいてより一般的になったもので、権力と権利の自由主義的体制への包摂を正当化できるほど先住民は教育されていない、あるいは成熟していないとみなすことだった」という。要するに、他国民を「幼児扱いすること」で、「無価値な未開人とみなし、「先住民は自然の一部」であるので、「先住民を支配することは崇高かつ正当な行為」だとして、「植民地支配を法的にも正当化」したのである。要するに、同じ人間とみなさないという徹底した差別主義から正当化したのである。「人民による統治」の人民とは欧米の白人のみ、ということである。(当時、欧米の「自由民主主義国」においても女性は参政権を有していなかったが、それも女性が社会的判断能力が劣るという差別主義によって、正当化されていた。)
正当化とは、本来は不当だが、別の理由からそうせざるを得ず、色々理屈をこねて、それを正当だとすることである。では、植民地支配の別の理由とは何か? 勿論それは、経済的利益である植民地からの富の収奪である。欧米の近代資本主義の発達過程では、植民地人の過酷な労働を含む資源、土地、市場の獲得がどうしても必要だったのである。その必要性の前では、「民主主義」など何の意味もなさなかったのである。
第二次世界大戦後、植民地主義は否定されたが、それはアジア・アフリカ・南米の諸国の武力闘争による独立のためである。欧米は、力による闘争に負け、しぶしぶ植民地を放棄したのであって、「民主主義」の理屈からではない。両者とも一定の民主主義制度を有していた英国とアメリカの間ですら、独立は、英国との戦争という武力闘争によって成し遂げられたのであり、米英の「民主主義」者どうしが話し合ってなされたわけではない。
「自由民主主義」の裏に隠された新自由主義
第二次世界大戦後、英国に替わり覇権国家となったアメリカは「自由民主主義」を掲げるようになった。それまで、自由主義と民主主義は別な言葉として使われていたが、「共産圏」との対抗上、自由を強調するために、自由民主主義lineral-democracyという言葉を多用するようになったのである。そして、冷戦期はソ連への対抗から欧米以外に成立した多くの左派政権を壊滅させようと目論んだ。典型的な例は、1973年の、もう一つの「9.11」である南米チリのアジェンデ社会党政権へのピノチェットによる軍事クーデターを支援したことである。この時アメリカがやったことと言えば、あまり知られていないことだが、その後のピノチェット軍事独裁政権を新自由主義路線に導いたことである。アメリカは、アジェンデ政権成立後から、その転覆を画策していた。そしてクーデターの成功後は、当時のシカゴ大学のミルトン・フリードマンの新自由主義理論に傾倒した「シカゴ・ボーイズ」を経済顧問に、さらに多くのチリ人エコノミストを養成し、チリに送り込んだのである。それは、国営・公営企業を解体し、アメリカ資本に開放するという直接的利益のためであるが、社会主義的政策がアメリカによる政治的経済的世界支配システムを揺るがすのを防ぐためでもある。ソ連の「全体主義」から「自由世界」を守るという「お題目」を掲げて行われたのだが、守るべき「自由」とは、チリの人びとの政治的自由でもなければ、選択する政策の自由でもなく、アメリカ資本の「資本の、資本による、資本のための」自由であるのは、明らかである。
(参考文献:安藤慶一「アメリカのチリ・クーデター」、岡倉古志郎・寺本光朗『チリにおける革命と反革命』、 ハーヴェイ「新自由主義」)
アメリカが「自由民主主義」を掲げ、他国の政権を軍事力で葬った例をもう一つ挙げれば、2003年の「大量破壊兵器」という偽情報によって軍事侵攻したイラク戦争がある。その2年前の「9.11」テロ事件の1周年に際し、ジョージ・W・ブッシュはニューヨーク・タイムズ紙に、人類は今や「あらゆる宿敵に対する自由の勝利を推し進める機会をその手につかんでいる。」「アメリカ合衆国はこの偉大な使命を率いる責任を喜んで引き受ける。」と寄稿した。これは「自由のため」の戦争宣言である。それは、ブッシュが「大量破壊兵器の」の偽情報が判明した後も、イラク侵攻を「自由民主主義」を推し進めるための戦いとして正当化したことでも明らかである。そして、アメリカに追随した英国のトニー・ブレアも、偽情報を信じたのは間違いだったとしながらも、未だに「自由民主主義」の戦いとして軍事力で独裁者のフセインを打倒したことは正しかったと回想している(米CNN)。これらから分かるのは、西側の多くの「自由民主主義」者にとっては、「自由民主主義」を推し進める軍事侵攻は正しかったと認識されているということである。
その後のイラクは、行政機構を破壊され、中世に戻ったように武力だけが支配する世界となり、ISなどの台頭を招いたのは周知の事実だが、アメリカが行ったのは、それだけではない。
2003年、イラクを占領したアメリカがイラクに押し付けた政策は次のようなものである。①あらゆる国有資産と国営企業の民営化。②外国企業にイラクの事業の完全な所有権を認めること。③イラクの銀行を外国による支配に開放。④外国からの直接投資ないし利潤のイラク国外への送金に対する制限の撤廃。⑤すべての貿易障壁の根絶などである。(ハーヴェイ「コスモポリタニズム」)
このようなあからさまな新自由主義政策が、イラクの歴史と当時の状況に適さないのは明らかで、「同国の政治と経済の破滅的崩壊の一因」(同上)となったは間違いない。
これらのチリもイラクも、「自由民主主義」を掲げながら、実際には新自由主義政策を推し進めることが実行された例なのだが、それは例外的なことではない。なぜなら、西側先進国は、1970年以降、なによりも新自由主義政策の必要性に迫られていたからである。
第二次世界大戦後、悲惨な世界大戦の反省と、世界的な民族解放運動やソ連等の「社会主義国」の存在、左派政党の台頭により、国際的政治経済構造は、ブレトンウッズ体制を基調とした国際関係の安定が重視されるものだった。各々の国家では、完全雇用、経済成長、福祉制度の拡充を目指す政策が採られた。それは、1960年代までは高度成長を遂げるなど成功裡に進んでいたが、1970年頃から失業率とインフレ率の急上昇、経済成長と税収の鈍化、財政赤字の増大に苦しむようにになった。なによりも、資本の利潤率の低下は著しかったので、企業の存立も怪しくなったのである。そこで、各国の社会民主主義政党や共産党はなど左派は、市場への社会主義的コントロールと国家のさらなる規制の強化、社会福祉と市民の生活維持を主張したが、フランス社共政権に見られるように、政策的にうまく対応できず(資本増殖は不可能で)、敗退していった。それに代って登場したのが、英国サッチャー政権のような、新自由主義を強力に推し進める政権である。
この変化をヴォルフガング・シュトレークは「資本が社会民主主義の檻に我慢ができなくなった」(「時間稼ぎの資本主義」)と表現したが、資本主義社会は社会が資本主義システムで構築されている以上、国家の政策は資本を無視することはできないのである。ここでは、マルクスの資本論体系に沿って表現すれば、物である資本と人間との転倒(物心崇拝、フェティシズム)が起きているのであり、人間が資本につかえる関係が生じているのである。だから、「我慢ができなくなった」資本を解放せざるを得ない、ということである。
土台、国家の政策が、物質的な経済的利益を一切考慮せずに決定されることなどあり得ないのだ。むしろ、物質的利益の方が優先されるのである。ところが、物質的利益を前面に出すわけにはいかない。それでは、政策の正当性を主張できないからだ。イラクへの侵攻を「新自由主義のため」とは、口が裂けても言えない。フーテンの寅さんの言葉を借りれば、「それを言っちゃあ、おしまいよ」である。
掲げられた目標と、実態とはまったく別
欧米は、掲げられた目標とは別なことを繰り広げててきたが、歴史を振り返っても、掲げられた目標と実態とがかけ離れている例は、数多くある。聖地エルサレムの解放を掲げた十字軍のやったことと言えば、殺人、強盗、放火、強姦、窃盗、その他、あらゆる犯罪行為の山である。20世紀の最大の偽善と言えばソ連だが、病症にあったレーニンを政策決定から遠ざけ、その死後は、スターリンと追随する党官僚は、社会主義の名の下に、「プロレタリアートに対する独裁」とも言うべき絶対的支配体制を構築したのである。後世の歴史家は、このような歴史の一つとして、欧米が「自由民主主義」を掲げながら世界に推し進めた行為を、「掲げられた目標とは別なことを繰り広げ」た例として付け加えるだろう。
軍事力によってロシアを壊滅させるという、世界を破滅させかねない対立
アジア・アフリカ・南米の諸国は、西側の「自由民主主義国」を100%信用するわけにはいかない。現在のウクライナ侵攻をロシアが100%悪く、西側が100%正義だと理解するわけにはいかない。それは、上記のような歴史的事実があるからであるが、ロシアが100%悪いなら、そこから導き出せる答えは、軍事力によってロシアを壊滅させるという、世界を破滅させかねない対立を生む以外にはないからでもある。100%悪い相手とは、対話も外交的解決もあり得ないからである。懸命にも、アジア・アフリカ・南米の諸国は、それを理解しているのである。