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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約 31

2013年04月08日 | 日記

 ひまわりさんより(4月8日)                     きばなルピナス(デイの職員が飾ってくれたものです。いい香りがします)

デビット・カン先生の『見よ、神の子羊』より引用させていただきます。「聖所の儀式においては、祭司が聖所に入り、彼のために執り成しの祈りをささげる前に、罪人は無垢の子羊を外庭につれてきて、それをいけにえとしなければならなかった。つまり、真に回心し、罪を捨て去らなければ、どれほど真理を理解し、真理に同意していたとしても、どれほど忠実に安息日を守って教会に出席していようと、誰もキリストの義によって罪を覆ってもらい、とりなしの祈りをささげてもらうことはないであろう。外庭の経験を通ることなく、信仰によって聖所に入ってもいない人のために、キリストは、とりなしの祈りをささげることがおできにならない。その人は悔い改めておらず、罪を捨て去っていないので、キリストは彼のために、天父の御前で執り成すことがおできにならないのである」65p

 

これは全く私の状態でした。ただ真理に同意し、安息日を守っていれば信仰があるような思いで40年以上過ごしてきましたが、心の清めの恵みを受けられなかったのは、真の外庭の経験がなかったからでした。

カン先生の著書『見よ、神の子羊』 無料で進呈いたします。下記メール、ファックスまでご連絡ください。なお在庫が少なくなったため、発送に時間がかかる場合がありますのでご了承ください。

 hideki-1844@hotmail.co.jp

        Fax 0470-62-5265

 

少年時代の思い出 3 デイビット・カン講演31

本当に面白そうだったんですね。見ているうちに、自分の意思がどんどん弱まっていったわけです。誘惑されたときに、別の方を向いて走っていくべきでした。いつまでも見続けるべきでありません。誘惑されるのを見ていれば、見ているほどうまくいかなくなるのです。自分で選びをしなくてはいけません。逆方向を向いて走っていって、それから「助けてください」と祈るべきです。神様があなたのために選んではくれないからです。自分で選びをしなくてはいけません。

ダビデ王がやったことを、皆さん覚えていますか。屋根の上からある光景を見続けたんです。心で祈っていたかもしれません。「誘惑から守ってください」と祈っていたかもしれません。でも見続けていたのです。そして誘惑に負けてしまったのです。私にもそのことが起こりました。その友達が遊んでいるのを見続けているうちに、弱くなってしまったのです。「わかった」と、上着を脱いでそのゲームに加わりました。今までよりも、もっと楽しかったんです。どういうわけか、約束を破って遊んだのですけれど、楽しかったんですね。約束を破ったということ自体が、契約を破ったということが、もっと遊びを面白くしたわけです。

 

 

 


二つの契約 30

2013年04月07日 | 日記

    

      ひまわりさんより(4月7日)           フラワー&ガーデンショウより

私はこれまで、いろいろな方や本に影響を受けて現在まで歩んできたのだと思います。その時その時に、必要な人と出会わせてくださり、信仰の導きを頂いてきました。今私が、心から信頼し、私に必要なメッセージを伝えて下さるのはデビット・カン先生です。聖書と証の書の教えに忠実で、魂に対する重荷だけで行動しておられると思います。特に先生のメッセージで一貫しているのは、人は罪に勝利できる、神様の戒めを守ることができるようにつくり変えられる、ということです。罪は、赦されるばかりでなく、二度と罪を犯さない生き方を与えてくださるのが神様の恵みであり、天地を創造されたみ言葉の力です。それをカン先生は、ご自分の体験を通して語って下さいます。このようなメッセージこそ真の福音、現代に必要なメッセージだと思います。

カン先生の著書『見よ、神の子羊』 無料で進呈いたします。下記メール、ファックスまでご連絡ください。

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     少年時代の思い出 2

ある日の朝、母に、学校に行く前に呼ばれまして、このように言われました。「あなたは約束しなさい。あのゲームは絶対にやらないように。自分がけがをするかもしれないし、他の子にけがをさせるかもしれないから・・・」。私はその日、母に約束しました。指切りげんまんしました。「はい、わかりました。あの遊びはしません」と、約束しました。そして学校へ行きました。学校が終わって家に帰ろうとしていたとき、友人たちがすでに大声で遊びに興じている声が聞こえました。母と、もうやらないと約束してから、さらにその遊びが魅力的に思えたのです。どういうわけか、やらないと決めた時に、そのことが魅力的に見えることがあるでしょう。その場所を過ぎ去ろうとしてたんですけど、友達に呼び止められて、「デビット、一緒にやろうぜ」と言われたわけです。「できないんだ。お母さんと約束したから、できないんだ」。「何を言ってるんだ。弱虫め。そんなこと、ばれるもんか。1回だけでいいからやろうよ。1人足りないんだよ」


二つの契約 29

2013年04月06日 | 日記

   

    ひまわりさんより(4月6日)                パンジー(画像イメージより)

このたび、ブログで毎日紹介しているデイビット・カン先生の新しい本、『見よ、神の子羊』が出版されました。聖所の儀式や器具の意味について、私たちの霊的成長とのかかわりの中で書かれたとても素晴らしい本です。聖所のことについてもっと知りたいと思っていた私には、とてもタイムリーな本でした。その中で、私がとても感銘を受けたのは、「聖所の儀式は、罪人が神のシカイナの栄光に近づき、至聖所における聖なる神に会えるようになるための道備えをした。またそれは、罪の赦しを受ける方法と、罪なしに生きる方法と、ついには罪の問題そのものを解決する方法を罪人に教えた」(15P)という箇所でした。この経験こそ、イエス様の再臨を待ち望む私たちにとって必要なメッセージだと思いました。そこで、この本をご希望の方に贈呈したいと思います。送料無料です。下記メールまたはファックスにてご連絡下さい。 

                    hideki-1844@hotmail.co.jp

              Fax 0470-62-5265

      デイビット・カン講演 29  少年時代の思い出 2

ある日の朝、母に、学校に行く前に呼ばれまして、このように言われました。「あなたは約束しなさい。あのゲームは絶対にやらないように。自分がけがをするかもしれないし、他の子にけがをさせるかもしれないから・・・」。私はその日、母に約束しました。指切りげんまんしました。「はい、わかりました。あの遊びはしません」と、約束しました。そして学校へ行きました。学校が終わって家に帰ろうとしていたとき、友人たちがすでに大声で遊びに興じている声が聞こえました。母と、もうやらないと約束してから、さらにその遊びが魅力的に思えたのです。どういうわけか、やらないと決めた時に、そのことが魅力的に見えることがあるでしょう。その場所を過ぎ去ろうとしてたんですけど、友達に呼び止められて、「デビット、一緒にやろうぜ」と言われたわけです。「できないんだ。お母さんと約束したから、できないんだ」。「何を言ってるんだ。弱虫め。そんなこと、ばれるもんか。1回だけでいいからやろうよ。1人足りないんだよ」


二つの契約 28

2013年04月05日 | 日記

  

     ひまわりさんより(4月5日)          フラワー&ガーデンショウにて

今日は久しぶりにジョイを、ドッグランへ連れて行きました。終了直前の5時ちょっと前に着いたので、お願いして10分だけ延長してもらい、裏口からこっそり利用することになりました。ジョイは最初いつものように全速力で走ったのですが、すぐに走るのをやめ、あたりを嗅ぎだして、運動しようとしません。「もう時間がない、時間がない」と思って、「もっと走りなさい」とけしかけるのですが、なかなか動きません。終了時間ぎりぎりになってやっと走り出したのですが、もう時間切れでした。私は、ジョイのそんな姿を見て、天の神様は、私たちに、「もう時がないのだから、もっと行動し、やるべきことをやるように」と呼び掛けておられるのに、私たちは自分のやりたいことを、やりたいようにやっているのではないかと思いました。自分たちにとっては、時は、明日も明後日もあるように思えても、実は、神様の時はもう、残り少ないのではないか、「もう時がない」(黙示録10:6)という神様の声を聞いたような思いがしました。

     少年時代の思い出 その1

最後に一つ物語をお話ししたいと思います。私が11才ぐらいの時のことです。興味深い経験をしました。その頃、男の子たちが集まって、よく戦争ごっこをしました。朝鮮戦争のすぐ後の頃でした。戦争ごっこを好んでやったわけです。砂で城を作りまして、竹で、弓とか矢を作りまして、矢の先には危なくないように、綿とかをつけまして、丸い石を大砲の弾として集めまして、二つのチームにわかれて、本物の戦争のつもりで真剣にやるわけです。危険な遊びでした。毎朝両親に言われました。「あの遊びはしてはいけない」と。でも、とても楽しい遊びだったので、両親の命令を無視してそのゲームを続けていたわけです。

 

 


二つの契約 27

2013年04月04日 | 日記

    

    ひまわりさんより(4月4日)               フラワー&ガーデンショウにて

3日間家を留守にして、環境が変わったら、食事の嗜好が変わって、今まで夜は野菜スープで十分だったのに、夜になるとお腹がすき、パンやせんべい、おそばを食べたりして、翌朝何となく体調が悪くなったりしていました。それで、デビット・カン先生のメッセージの中に、再創造の恵みは毎日のことで、一度祈ったからいいというものではないということを思い出し、もう一度、「食欲をもとに戻してください。」と祈ったら、空腹感がなくなり、我慢するのではなく野菜スープで満足できるようになりました。神様は、このようなことにもすぐ力を表してくださることを感謝しました。ところで、食欲の問題は、アダムとエバの堕落の原因であり、荒野のイエス様の誘惑であり、エサウの失敗の原因となったことなどをみると、決して小さいことではなく、信仰にとってとても重要な要素ではないかと思っています。「飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」(1コリント10:31)とあるように、飲むこと、食べることで神様の栄光があらわされるかどうかが分かれるのだと思いました。

     新しい霊を受けよ (デビット・カン講演27)

エゼキエル書36章を読みますと、もうすでに、旧約聖書において、神様は新しい契約について説明しておられます。「私があなたの心を変えてあげよう。わたしの霊を、あなたに与えよう、そして、私の戒めのうちに、あなたが歩むことができるようにしてあげよう」と。これが新しい契約です。これを私たちは持たなくてはいけないのです。

聖書においては、神の指というのは、神の力を表しています。また、神の指というのは、聖霊を表しています。二枚の石の板に、神様はご自分の指でもって十戒を書かれました。これは聖霊が私たちの心に、一人ひとりの心に、律法を書きつけることを表していたんです。時間がないので先を急ぎますけども、皆さんは創造の力を信じていらっしゃいますか。これは聖霊の力なのです。聖霊が私たちのうちに、新しい動機、新しい思いを植えつけてくださるのです。これこそ聖霊の神秘的な働き、奇跡であります。