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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されないのか 第4回

2015年04月17日 | 日記

4、拒まない者はみな救われる!

 

神様は、私たちを救う力を持っておられるだけではなく、救いたいと望んでおられます。あらゆる人が悔い改めて救われることこそが、神様の真のみ心なのです。使徒パウロは私たちに保証して言いました。「神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか」(ローマ2:4)。神様は、どれほど多くの人々を悔い改めへと導こうとされますか?もちろんあらゆる人を導いておられます。あらゆる人を救うことが、神様のみ心なのです。「そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」(ヨハネ12:32)。

 

神様の愛は、少数の選ばれた人だけに注がれているのではなく、すべての人々に注がれ、救いを得るようにと訴えかけておられます。善意に満ちておられる神様は、あらゆる魂を悔い改めへと導き、そのお方の愛は、あらゆる者を十字架に引き寄せます。このような神様の善意と愛があるので、人が救われないことが不思議なほどなのです。それでも救われないで滅びる人がいるのは、彼らが、頑固に救いを拒み、救われないように熱心に努力するからなのです。どんな人でも、聖霊の優しい導きと訴えに抵抗しなければ、滅びることはありません。「とげのあるむちをければ、傷を負うだけである」と言われたように、真理に逆らわないことが大切なのです。

 

驚くべき事実は、救われることが難しいのではなく、神様の救いのみ業を受け入れないで抵抗して戦うことの方が難しいということです!私たちが抵抗しなければ、神様はご自分の摂理のままに導き、私たちをご自分のところに引き寄せて下さいます。「すべての人を救う神の恵みが現れ」(テトス2:11)ました。神様の恵みは、どのぐらい多くの人々に現れましたか?「すべての人」に現れました。へブル人への手紙2章9節には、「すべての人のために死を味わわれるためであった」と言われています。同じく「神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである」(Ⅱコリント5:19)と言われています。世界中のすべての人が全員救われるわけではないたった一つの理由は、多くの人が、人を義に創り変え、聖くして下さる神様の摂理に抵抗するためです。

 

聖書は、「このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである」(ローマ5:18英語訳)と教えています。「義がすべての人に及ぶ」という言葉には非常に重要な意味があります。キリストによって、この世に生まれてきたすべての人を義とするための秘策が設けられました。それがキリストの十字架です。キリストの十字架の死は、全世界のすべての人を救うのに十分なものでした。十字架を通して、人は合法的に神様の前に義と認められ、聖なる神様の律法の前に、恥じるところなく立つことが出来る者とされます。キリストの十字架の死は、私の罪の身代わりであったことを信仰によって捕らえる時に、義は豊かにその人に適用されるのです。

全ての人は、変わる必要性を持っている罪人です。あらゆる人は、律法の前で何かの恵みや赦しを得ることが出来るような存在ではなく、犯罪者として、罪に定められた存在です。律法の前に立つ者は、自分の中にどんな義も見つけ出すことができません。また律法を行うどんな力も得ることができません。罪人は律法の呪いの下で、罪に定められた状態で無力にいることしかできません。しかし十字架を通して、このすべての呪いと罪の定めから逃れる道が開かれたのです。