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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦されることのない罪とは 第14回

2015年04月11日 | 日記

 赦されることのない罪とは 第14回

聖霊を汚し侮る罪、許されない罪とはどのようなものですか。たくさんの罪を犯したことですか?長い間罪を犯してきたことですか?大きな罪を犯したからですか?そのような罪の量や、長さや、種類ではありません。それは、心に神様が与えられた感動や、明らかな聖霊様の働きを侮ったり否定すること、神様の御業を見ても自分の考えを変えようとしないこと、神様のご計画よりも自分の考えが正しいとすること、それらが聖霊を侮る罪になるんですね。本当に気をつけなければなりません。

 

問題は、聖霊を侮る人、聖霊を否定している人たちは、結果的にステパノを殺したユダヤ人のように、自分たちは正義のために行っているとして、自分たちに従わない人たちを、激しく怒り、歯ぎしりしながら迫害するようになるということです。

私たちは、このような聖霊を侮る、汚す罪を犯したくないですね。ですから、聖霊が罪を指摘するとき、その罪を悔いて、もう涙を流して、床にひれ伏して、お赦し下さいと祈らなければなりません。私たちは、神様の憐みがなければ一瞬たりとも生きられないような、本当に死ぬばかりの者なのです。ですから、聖霊を侮るような罪を犯したくないと、そのように私は祈るのですね。    

皆さん、この御言葉を聞いておられる方々、真理の光を受けられた方、「ああこれは聖書的だ、これが真理だ、これが光だ」、そのような聖霊の感動を受けた人にも、色んな問題が起きてきたり、苦難が襲ってきたり、人から笑われたり迫害されたりしますね。そのとき、これ以上神様に従うのは大変だ、余りのめり込まないようにしようなどと思ったり、疑ったり、つぶやいたりしていくなら、神様の御言葉の光が次第に薄れていき、聖霊の深い感動が失われていくのです。それは本当に恐ろしいことになります。

ですから皆さん、光を受け続けて、正しい道を知ったならばすぐ屈服して、神様の真理の道を進んで行って下さい。聖霊を汚す罪というのは、心に働く神様の声を否定し続け、自分の考えを正しいと言い切る、本当に恐ろしいことです。

次にテモテ第1の手紙4章をよみます。

しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて」、これは間違った教え、異教の教えが入ってきて「信仰から離れ去るであろう。それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである」(2節)。

指導者たちが、神学を知っている人々が、何が真理であるかを知っている人々、何が光か何が誤謬かそういったものを知っている人、光と暗闇を分別する感覚を持っている人々が、お金や、自分の名声、自分の地位、プライド、高慢を消したくないために、真理を否定し続けるならば、恐ろしい結果になります。また真理を否定するだけでなく、偽りの教えを示し、間違った教理を教、暗いものを光と言い、光を暗いというような、そういった指導者たちに神様の怒りがあるでしょう。

昔の律法学者、パリサイ人のように、彼らがイエス様を受け入れず、人びとにもそのように教えたために,多くの人々が偽りを信じて悲惨なほろびへと陥ってしましました。偽りの指導者はより重い刑罰が臨むでしょうが、偽りを受け入れた人も無知のゆえに滅びるのです。自分で聖書を調べ、何が真理であり、何が神様の道であるかをはっきりと識別し、聖霊の感化を受けられるようにしていく必要があります