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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦されることのない罪とは 第11回

2015年04月08日 | 日記

   赦されることのない罪とは 第11回

私たちは産まれてから現在まで、いろんな好みや、いろんな習慣を身につけてきました。何かが習慣化すると、それが間違っていたとしても、何十回何百回と繰り返すとそれは真理のようになってしまいます。それは本当に恐ろしいことです。もう、良心の声と、サタンの思いを区別することが出来なくなってしまいます。そうすると、その人が正しい、善だと判断したことも、間違ってしまっているということがあるのです。本当に気をつけなければなりません。

私たちは、自分の長年の習慣的な考え、習慣的なものの見方によって何かを判断します。

ヨハネの福音書9章39節。「そこでイエスは言われた、『わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである』」。

イエス様は見えない人たちに光を与え、見えるようにしてあげられました。ところが自分たちは見えると思っていた人たちは、高慢心、自尊心、そういったものによって、イエス様について間違った判断をしたために、見えなくなってしまったんですね。

そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、『それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか』。イエスは彼らに言われた、『もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある』」(ヨハネ9:40、41)。私の考えは正しい、私の感覚、判断は間違っていないというところに罪があるんですね。

この世界で、最も光を持っていた人、最も聖なる人、この人類の中で最も愛を実践された方は誰でしょうか。イエス様なんですね。人間の中でこの方ほど聖い方、正しい方、神様の霊を持っておられた方はいなかったのですが、パリサイ人たちは、その方を罪人、悪の霊だと言ったのですね。それが聖霊を汚す罪でなければ何でしょうか。パリサイ人たちは、この最も恐ろしい罪を犯していたんですね。自分たちは何でも知っている,自分体の考えは正しいと言い張るから、そこにあなた方の罪がある、と言われたんですね。