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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦されることのない罪とは 第7回

2015年04月04日 | 日記

  赦されることのない罪とは 第7回

 ≪世界で最も悲しい人≫

ルカによる福音書12章10節を見てみましょう。ここに、「また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない」とあります。イエス様を十字架にかけた人、イエス様に対していろいろ罵倒したり、あざ笑った人たちの中に、悔い改めた人がいるんですね。どうしてかというと、十字架上の強盗はどうだったでしょうか。彼は十字架にかけられるようなひどい罪を犯してきた者です。でもイエス様のお姿を見て、彼は悔い改めたんですね。強盗は、イエス様の中に、「何も悪いことをしたのではなく、御国の権威を持って再び来られる方、そのとき自分を救う力のある方」としての姿を見て信仰を告白しました(ルカ23:39~43参照)。

ですから、人の子に逆らうものは赦されるでしょう。これは目に見える罪なんですね。叩いたり、戦争したり、言い逆らったり、喧嘩したり、人を殺したりとか、そういう目に見える罪に関しては、肉体的なものに関しては、イエス様の教えに逆らったとしても、悔い改めるなら、赦されますが、聖霊を冒涜(ぼうとく)するものは赦されることはありません。聖霊を汚すならば、聖霊の働き、聖霊の感動を拒むならば、自分の自尊心や、高慢心であったり、利己心のゆえに、そういった聖霊の働きかけの声をサタンの声だと言うならば、聖霊を汚す罪へと陥ってしまうのです。皆さんこれは本当に気をつけなければなりません。

この世界で最も悲しい人はどういう人だと思われますか?それは刑務所に行っている人々ではありません。もう治らない病気にかかった人でもないんです。最も悲しい人は、自分が受けた光によって生きない人なんです。これが義務であり真理であり道であることを知りながら、それを否定してそのように生きない人が最も悲しい人なんです。

 正しいこと、聖書的であることを知りながらも、それを実行しない人々、そのような、良心に逆らう人たちは、やがて本当に大変なことになるんですね。知りながらも、良心の呵責(かしゃく)を感じながらも、どんどんその声を聴かなくなっている人たちですね。皆さんよーく聞いて下さい。聖霊の感動が与えられても、それを否定したり、拒否し続けていくなら、聖霊の感動をもうこれ以上受けられないようになります。イエス様が赦そうとされても、赦そうと機会を与えられたとしても、その人が拒み続けていくならば、どうなるでしょうか。