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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦されることのない罪とは 第13回

2015年04月10日 | 日記

   赦されることのない罪とは 第13回

 ≪回復が不可能な罪≫

エペソ人への手紙6章4節から6節を見てみます。

「いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である」

皆さん、サウル王はどういう人だったでしょうか。彼は王として選ばれ、聖霊に満たされた人でした。しかしそのサウル王がダビデに対して嫉妬に狂い、何度もダビデを殺そうとし、ついには神様に対する僭越の罪を犯して自ら命を絶ってしまいました。彼はそのように堕ちてしまいました。

マタイによる福音書25章には10人のおとめのたとえ話があります。そのうちの愚かな5人のおとめたちは予備の油を持っていませんでした。この油というのは、霊的経験を意味しています。彼女たちは市場に行って足りなくなった油を買って来ましたが、帰ってきた時には婚宴の門は閉められていました。そこで門をたたいたのですが、家の主人に「あなたがたを知らない」と言われてしまうのです。

このような話を見ていく時に、私たちは、聖霊を汚す罪を犯していながら、自分では全く気付かない状態にいることがあるのです。だから恐ろしいんですね。ですから私たちは、このような聖書の記事を通して悟らなければなりません。皆さん、本当に私たちの心に湧いてくる思い、考え、意図を、気をつけなければなりません。

エペソ人への手紙で、光を受けてまた堕落した人はもう回復することは不可能だと言われているのは、これは御言葉を通して与えられる聖霊の声に逆らい続けた人は、逆らって堕落したならば、悔い改めることが不可能な罪に陥ると警告しているんですね。

ヘブル書の10章28節から読んでみましょう。「モーセの律法を無視する者が、あわれみを受けることなしに、二、三の人の証言に基いて死刑に処せられるとすれば、神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう」(10:28-29)。

ここでは非常に強い言葉で書かれていますね。「神の子を踏みつけ、自分が清められた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価する」か考えてみなさいとあります。考えてみなさい、気をつけなさいと、これは皆さんと私たちが本当に心しなければならない御言葉ですね。