現金な集団に都構想の資格なし
永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)
大阪維新の会はまたも「都構想」を企て11月1日に住民投票を実施することになった。 「大阪都構想」法案は橋下徹前大阪市長のもと2015年に住民投票が実施されたが、僅差で否決された。弁護士の“話術”で住民を誘導し選挙に勝てると思っていた橋本氏はその後、政界から引退した。今回、維新はその雪辱を目指している。
が、私は大阪維新の会がすすめようとしている“都構想”には賛成できない。なぜなら、この集団は大阪弁で言うなら「現金なやっちゃ(現金な奴や)」であるからだ。府立と市立の病院の統廃合をすすめ、「住吉市民病院」を廃止したため、地域の母子医療に大きな弊害をもたらしたことがテレビでも取り上げられた。橋本氏は今回のコロナ危機に際し、病院のベッド数の不足が心配される中、「(自分の市長時代に)病院の“効率化”を進めすぎたかもしれない」と非難の矛先が自分に向けられた時に備えて予防線を張っていていたのを記憶している。
“金(経済)”の面だけを考えると、非効率的に見えることは世の中にいくつもあるが、余裕をもたせておかなければならない部門もある。医療関係(病院など)はとくにそうであるし、教育もそのような傾向が強い。
維新は“現金な集団”であり、IR(統合型リゾート、カジノ)の日本導入に腐心してきた。が、維新議員関係者がカジノ誘致に関して中国企業からの賄賂受け取りに深く関与していたことが分かり、この点でも維新は“金”で動く集団であると思われても仕方がない。
金も大切だが、大都市・大阪として大切なものはいくつもある。それを破壊してはならない。以下の文章は2017年12月に書いたものである。 (2020年9月13日記)
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大都市の誇り、矜持、プライド
大阪府大と大阪市大の統合は正しいか
※※なぜ大阪女子大を廃止したのか※※
永井津記夫
私は大阪人である。先祖代々(江戸時代から)、大阪に住んでおり、“大都市”大阪に住んでいるという誇りを持っている。この“誇り”は他に対する優越感とはすこしちがう。「武士は食わねど高楊枝」式の「痩せ我慢(見栄)」ととってもらってかまわない。
大阪には、かつて、7つの国公立大学が存在した。大阪市立大学、大阪府立大学、大阪女子大学、大阪府立看護大学、国立では、大阪教育大学、大阪大学、大阪外国語大学である。
大阪府立女子大学と大阪府立看護大学は、大阪府立大学に2005年に吸収されてひとつになった。国立の大阪外国語大学は2007年に国立の大阪大学に吸収、統合された。私は大阪女子大が廃止されたとき、なぜ、こんな恥ずかしいことをするのかという思いを心に強くいだいたのである。
いま大阪には、国公立の大学としては、大阪市立大学と大阪府立大学と大阪大学と大阪教育大学の4つしかないことになってしまった。都道府県単位で見たとき、国公立大学の数、とくに公立大学の数は“大都市”であるかどうかの一つのバロメータである。
現在、大阪市も大阪府も大阪維新の会が議会で大きな勢力を占め、自分たちの政策を推し進めている。大阪市長も大阪府知事も維新の会を基盤としており、大阪府立大学と大阪市立大学の統合は維新の会が押し進める規定の路線となっている。
が、いったい、何のために大阪市立大学(大阪市大)と大阪府立大学(大阪府大)を統合するのか。これはこれまでの維新の政策から判断して、統合すれば“経済的に安上がり”になるということであろう。しかし、教育を経済、つまり、金の面だけで考えてよいのか、ということである。
金の面だけでいうなら、教育はすべて親の責任、自己責任として市や府や国が金を出さないようにすればよい。学校設備は要らず、教員も要らず、安上がりになることは確実である(つまり、教育は親任せ、私学任せにして市町村、県や国は一切教育に関与せず、金も出さない、当然、私学補助など廃止するということである)。しかし、発展途上国を含めて、公的に学校もつくらず、教師もいない国は世界にはないだろう。日本は、明治以降、江戸時代からの寺子屋教育などを経てかなり国民の教育熱もあり、識字率もたかかったところに、すべての子供に教育が行き渡るように学校制度をととのえて発展してきたのだ。教育は国民と国家の進歩、発展の根幹であり不可欠の要素である。経済の効率だけで判断すべきではない。
東京都を除けば、7つの国公立大学のあるところは京都府だけである。そして、京都は今も7つの国公立大学を維持している。京都人には“府としての誇り”、“千年の都を有するプライド”があるのだろう。私は大阪人として京都の現在の大学のあり方がうらやましい。そして、“大阪の(正確には、大阪を牛耳っている政治家集団の)プライドの無さが恥ずかしい。“大阪都構想”など、いったい、どの口をして言えるのか。“都(と同格)”にしたいのなら、“大都市としての大阪のプライド”を持て、東京都にはいったいいくつの国公立大学があるのか知っているのか、と叫びたい。
大阪に、大阪市大と大阪府大と大阪女子大という三つの公立大学があったのは、大阪人としての“大阪の誇り”であり“大阪の矜持”であり“大阪のプライド”であったのだ。それを、大阪人の“誇り”を捨てた(もともと、無いのかもしれない) 現金な政治屋集団が市大と府大の統合をしようとしているとしか私には思えない。
大阪に本社をおいている松下電器(パナソニック) の社長であった松下幸之助(出身は和歌山)は昭和4年の大不況の時(=1929年世界大恐慌)、他社が社員の首切りをしているなか、全社員の雇用と給料を保証して苦境を乗り切った。松下幸之助は“大阪商人”としての意気とプライドを持った経済人であった。大阪商人としての“品格”もそなえた人物であった。
大阪の政治家も世の中は“経済効率”だけで回っているのではない(経済効率も大切であることは百も承知で述べている) ことをよく認識して、市大と府大の統合を再考してほしいものである。
(2017年12月13日記)
※大阪は商都であり、豊臣秀吉の時代から数えると450年の歴史がある。大阪の堺市の大古墳、仁徳天皇陵で有名な仁徳天皇は、難波の高津の宮で政治を行なった。仁徳天皇は『宋書』倭国伝に登場する倭の五王の一人とされ、対中国(宋)、対朝鮮との交易を重視して、それまでの奈良ではなく大阪の難波の高津に都を置いたと考えられる。つまり、商都大阪の始まりは仁徳天皇の大阪の難波重視の政策にあると考えられる。仁徳天皇の時代から数えると商都大阪は1600年ほどの歴史を持っている。東京などくらべてもいかに古いかが分かる。桓武天皇が京都の平安京に都を遷したのが794年であるから、商都大阪の始まりは京都より400年近く古いことになる。仁徳天皇の時代は奈良と大阪は大和川を通じて一体と見てよい。明治時代初頭に制定された“堺県”は大和川以南の大阪の地と奈良を含んだ地域で大阪と古都・奈良が一体であることを示している。つまり、“古都奈良”という表現は“古都大阪”という意味でもある。(12月14日追記)
※どのような国にも安価で良質の教育を提供する国公立の学校が必要である。最貧国の一つとされるキューバは意欲と能力のある全ての生徒に学費は無料で良質の公教育を提供している。私が大学生であったとき(1965~1969年)、国立大学の授業料は年間1万2千円、つまり、月千円であった。私が大阪府立高校から国立の大阪外国語大学に入学したとき、母は「大学の授業料の方が高校より安い」と言って驚いていた。高校は授業料以外に、修学旅行代の積立金なども集めていて、母の実際の出費額は大学より多かったのである。つまり、当時の国立大学(公立大学も含めて)の学費はキューバのように無料ではなかったが非常に少額ですんだのである。が、現在、高い学費を無料にしようとする動きはあるが、国公立の大学等の授業料を高くし(私には理解できない発想であるが)、私学に補助金を出し、ある程度の金の余裕がなければ大学に行けないような国に日本はなっているのだ。
金のかからない(親と子に負担をかけない)良質の公教育を提供しない国に未来はないのではないかと思う。私学教育の重要性を私は十分理解しているつもりであるが、金のかからない良質の公教育が、資源の乏しい(というより何らかの圧力を受けて資源を開発しようとしないのかもしれないが)人材が資源である日本には不可欠である。(12月14日追記、12月23日再追記)