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教育勅語と現代語訳 The Imperial Rescript on Education Translated into Modern Japanese

2017-04-13 14:48:03 | 教育勅語の現代語訳と関連資料

 教育勅語の原文と現代語訳
                                                                     by 永井津記夫

 大阪の森友学園で、幼稚園児に教育勅語を暗唱させているとのことで問題となっています。「教育勅語」は戦後すぐに、主権在民の日本国憲法の下ではふさわしくないとして、衆参両議院で廃止することが議決されました。しかし、教育勅語の内容はすばらしいものだとする人たちもあって、この教育勅語の内容を精査する必要があると思います。
 ここに原文と私自身の現代語訳等を示し、どこに問題点があるのかを考える材料にしていただければ幸いです。

教育勅語(原文)
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ
博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ
進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日

教育勅語の現代語訳
 **できるだけ原文のニュアンスを残して正確に現代語に私が訳したもの**

(われ)思うに、我が皇国の始祖・先祖が国をはじめられたのははるかなる過去のことであり、積まれてきた徳は深く厚い。我が国の家来の国民(=臣民)は、よく忠義をつくし、よく孝行することができるのであり、全国民が心を一つにして代々このような美しいこと(=善きこと)をなしてきたことは我が国柄のもっとも優れたところであり、教育の根源も実にここに存する。
お前たち臣民(家来の国民)よ、父母に孝行し、兄弟仲良く助け合い、夫婦仲むつまじく、友だち、信じ合い、恭しく慎み深くして、博愛を衆に及ぼし、学問を修得し、技能を習得して、それによって知恵と才能を開発・錬磨し、徳と器量のある人物となり、進んで公共の利益を増進し、世のためになる仕事を起こし、常に国の憲法を重んじ、法律を遵守し、ひとたび、緊急の事態が生じたら正義の勇気をもって国家に奉仕して永遠なる皇国の運命を助けよ。
このようにすることは、単に(わ)が忠良な臣民(=家来の国民)であることになるだけではなく、お前たちの祖先の遺風・伝統をたたえることにもなるのだ。
この道理は、実に我が皇国の始祖・祖先の遺訓であり、その子孫と臣民(家来の国民)がともに遵守すべきものであり、全ての時代を通じてこの道理を誤ることなく、国の内外に示して正しい道を行くのだ。
(われ)とお前たち臣民(=家来の国民)とが皆一緒になって常に心に刻んで忘れずにこの美徳を守って実践していくことを切望する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・             
※明治天皇は、大日本帝国憲法下の天皇であり、主権は天皇にあり、大臣やその周辺の華族や官僚は臣下であり、その他の国民は“天皇に従属する民衆”であり、「臣民」と呼ばれた。天皇が王者としていわゆる「王者ことば」を使うのは当然であり、漢文訓読体の文章は天皇主権下の(今日の基準から見ると尊大に思われるが)「王者の言葉」を示すのに適している。私の訳は主権者として天皇の臣民に対する“王者ことば”を正確に訳すことを念頭においている。教育勅語に対する諸家の現代語訳は「王者ことば」の意味合い、ニュアンスを無視しており、「爾なんじ臣民しんみん」の意味合いを訳出していない。明治帝が王者ことばを帝国憲法下で使うのは王者(=主権者)として当然であり、それを無視するかのような訳をすることは明治帝に対しても失礼なことである。「朕」は古代中国で一人称代名詞としてだれもが使う言葉であったが、秦の始皇帝が皇帝のみが用いる言葉と定め、その後、歴代の皇帝に使われた。そして、日本にも入ってきて、天皇が使う「われ」の用字となった。

【原文の難しい漢字に読みをつけ、濁点にすべきところを濁点ににし、句読点をつけた教育勅語の文章】
朕惟(おも)フニ、我ガ皇祖皇宗、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚ナリ。
我ガ臣民、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世世厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此レ我ガ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦(また)實ニ此ニ存ス。
(なんぢ)臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ、恭儉(きょうけん)(こ)レヲ持シ、博愛衆ニ及ボシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ、進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ。
是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんぢ)祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。
斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラズ。朕爾(なんぢ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺シテ、咸(みな)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こひねが)フ。

*皇祖…皇室の始祖:語義としては天照大神を指すと思われるが、教育勅語の起草者の中心人物の井上毅は初代の神武天皇としていたとされています。 
*皇宗…歴代の天皇   
*皇国…天皇の統治する国
*我が…直訳は「私の」ですが、日本語の単語は基本的に単複同形なので、「私たちの=我らが」の意味にとる方がよいと考えられます。しかも「私たちの国の(=我が国の)」というニュアンスも込めているようです。この文章の起草者は「朕=明治天皇」と「我=日本人全員(天皇も含めて)」を使い分けているように私には思われます。
*朕…古事記が編纂されたころ(八世紀初頭)から、天皇が使う「われ」に対する用字として「朕われ」が用いられるようになりました。それ以前は天皇が使う場合でも用字として「吾われ」や「我われ」が使われていました。ここでは「朕=わたくし」と訳さず、「朕=われ」と訳しておきます。奈良時代の「朕=われ」は現代語の「わたくし」という言葉が有するかしこまった、あらたまった意味合いとは正反対のニュアンスの語であり、現代語のニュアンスで言えば、「おれ」に近い言葉であって、丁寧さを含まない言葉です。757年の養老律令によると、天皇の御前では皇太子、皇后以下、臣下はみな「われ」を用いることはできませんでした。この理由は「われ」には丁寧さがなく天皇の前で使うと無礼なひびきがあったためと思われます。が、当時の天皇は王者でありだれに対しても遠慮する必要はないので「われ」を使っていました。
 例えば、社長と二人の社員のあいだの次のような会話があったとします。
  社長:オレはこの計画に大賛成だ。
  社員A:わたしこの計画はうまく行かないと思います。
  社員B:自分失敗する可能性が高いと思います。
 この会話の中で社長は一番えらいので「オレ」という一人称代名詞を遠慮なく使えますが、社員は「オレ」は使いにくく、「わたし」や「自分」になると考えられます。古代の「ワレ」はこの「オレ」に近いニュアンスがあるのです。
 以上のことを踏まえ、朕のあとに「が」が続くときは「朕=わ」として、天皇が用いる「王者ことば」のニュアンスを出したいと思います。
  …吾許曽居…我許背歯…(吾われこそ居れ…我われこそは) 
    [万葉集巻一・1] (吾=我=雄略天皇…五世紀に在位)
  …我者将御在天皇朕…(我われは御在いまさむ、天皇すめらわれ)
    [万葉集巻六・973])(我=朕=聖武天皇…八世紀に在位)
  …朕裳裾尓…朕(わが)(も)の裾(すそ)(に)…(朕(わ)が裳(も)の裾(すそ)に) 
    [万葉集巻巻一九・4265…752年に作られた歌] (朕=孝謙天皇)
 このように「朕」は奈良時代には「ワレ(ワガ)」と読まれる用字でしたが、鎌倉時代のころに天皇の特別な地位を明確に示すためか「チン」と音読みするようになったようです。その音読みが戦前まで続いていたのです。教育勅語は明治二十三年に作られたものなので朕はワレではなくチンと読むのが原則です(しかし、歴史的経緯を勘案すると、ワレと読んでもまちがいとは言えません)。
*克よく…よく、十分に、耐え抜いて~できる(be able to=can) 
*億兆…万民、全国民  *世世=代々 
*美=善いおこない、美徳  *精華…もっともすぐれたところ、真髄
*爾(なんぢ)…敬意を含まない二人称代名詞、現代語の「おまえ」に近いニュアンスの語。ここでは「なんじら」と同じ意味で複数形の意味を持つ語として使われています。日本語は基本的に名詞も代名詞も単複同形として用いられます。
*臣民…君主に従属する国民、わかりやすく訳すと「天皇の家来の国民」ということになりますが、家来は通常「殿様とその殿に仕える武士」という文脈で使われるので、厳密には「家来」も適切ではありません。「臣民」は一般庶民であり、天皇のまわりの臣下(華族、官僚)とは異なります。
*爾臣民…多数の専門家と見なされる人たちが「国民の皆さん」というような訳をしていますが、これは意図的な誤訳でしょう。米国大統領が米国民に呼びかける時に使う“my fellow citizens”などとは意味合いが大きく異なり、王者が家来に呼びかける言葉です。「爾臣民」は「お前たち家来の民(よ)」という意味合いで使う言葉です。
*学…学問のこと。教科的には修身、国語、算術、歴史、地理など。が、もっと広く、学問一般も指しているでしょう。  
*業…技術、技能のこと。教科としては図画、裁縫など。が、もっと広く、仕事一般に対する技能のことも含めているかもしれません。
*「学」と「業」を合わせて「学業」であり、「修」と「習」を合わせると「修習」となります。教育勅語は基本的に学校の生徒に対する勅語であると考えられますので、この「學ヲ修メ業ヲ習ヒ」の部分は「学業を修習せよ」、ひらたく訳せば「学校での勉強(=学問的教科と技能的教科)をしっかりとやって身につけよ」ということになるでしょう。  
*智能…知恵と能力、智恵のはたらき *徳器…徳と器量、りっぱな人格  
*世務…世の務め、世のためになすべき仕事、世の事業  
*世務を開く…「開」は「ひらく」という意味ですが、「発」も「ひらく」という意味で使われ、「おこす=起こす」という意味にもなります。そうすると、「開」にも「起こす」という意味合いがあると見ることができます。「開店」という熟語は、“朝9時に開店します”というようによく使いますが、“新たに店を開く、店をおこす”という意味で使います。「開国」も古くは「建国(=国をおこす)」の意味で使われました。「開発」という熟語も存在します。これらを考え合わせると「世務を開く」は「世のためになる仕事、事業を起こす」という意味にとることができます。明治時代は人口が爆発的に増加していく時代であり、農業中心ではすべての労働力を吸収することはできず、産業を興し、国民に多くの働く場を提供する必要がありました。1940年の文部省図書局の「聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書」においても「世のためになる仕事をおこし」というように訳されています。いくつかの教育勅語に関する本やインターネット上で教育勅語の現代語訳では「開」を「行なう」としているものがあり、「世務を開く」を「世のためになすべき仕事を行なう」と訳しています。これは「開」の意味を誤解していて誤訳といっていいと思います。 
*天壤…天地  無窮…きわまりないこと、無限  
*皇運…皇国の運命  扶翼…たすける(=扶助、扶も翼も「たすける」の意)
*遺風…昔から伝わっている(良き)風習
*義勇…正義と勇気、正義を愛する心から生じる勇気
*遺訓…残された教え *拳拳…捧げ持つ、固く握って放さない  
*服膺…こころに留めて忘れない。

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文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)より。明治天皇から勅語を賜った文部大臣が管轄する文部省自身による「正式な現代語訳」とされる文章 を以下に示します。

朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む

 

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Know ye, Our subjects:
Our Imperial Ancestors have founded Our Empire on a basis broad and everlasting and have deeply and firmly implanted virtue
Our subjects ever united in loyalty and filial piety have from generation to generation illustrated the beauty thereof. This is the glory of the fundamental character of Our Empire, and herein also lies the source of Our education.
Ye, Our subjects, be filial to your parents, affectionate to your brothers and sisters: as husbands and wives be harmonious, as friends true; bear yourselves in modesty and moderation; extend your benevolence to all; pursue learning and cultivate arts, and thereby develop intellectual faculties and perfect moral powers; furthermore advance public good and promote common interests; always respect the Constitution and observe the laws; should emergency arise, offer yourselves courageously to the State; and thus guard and maintain the prosperity of Our Imperial Throne coeval with heaven and earth.
So shall ye not only be Our good and faithful subjects, but render illustrious the best traditions of your forefathers.
The Way here set forth is indeed the teaching bequeathed by Our Imperial Ancestors, to be observed alike by Their Descendants and the subjects, infallible for all ages and true in all places.
It is Our wish to lay it to heart in all reverence, in common with you, Our subjects, that we may all thus attain to the same virtue.
The 30th day of the 10th month of the 23rd year of Meiji (1890)

英訳は、明治40年の文部省発表のものです。
※この英訳は教育勅語の意味するところをよく押さえてかなりの程度、直訳的に訳していますが、そうでなく、意訳しているところもあります。
  まず、最初の言葉、
  Know ye, Our subjects:
ですが、「なんじら臣民よ、(以下のことを)知れ:」と命令文になっています。これは「朕惟フニ」の部分を訳しているのでしょうが、大胆な意訳です。yeは古語で二人称代名詞複数形主格であり、「なんじら(あなたたち)」の意味です。現在、英語の二人称代名詞複数形主格は、you(あなたたち[は])が使われるが、これはもとは目的格(あなたたちを)でしたが主格yeの代りに使われるようになったのです。Know yeは、聖書にも見られるもので荘重な表現と言えます。
 「世務ヲ開キ」の部分の英訳は「promote common interests」となっています。直訳すると「公衆の利益を促進せよ」ということになり、直前の語句「furthermore advance public good(さらに公共の利益を増進し)」と同じような意味の語句を繰りかえしていて、「世務を開き」の部分を正確に訳出していないことになります。当時の文部省がなぜこの部分にこのような英訳をしたのかはよくわかりませんが(故意にこの訳をしたのか、「世務を開き」の意味をよく理解できずに誤訳したのか、何かほかの意図があるのかよくわかりませんが)、私が英訳するなら、
  produce jobs and businesses useful for society
    (社会にとって役立つ仕事、事業を生み出せ)
としたいと思います。produceはcreate(つくり出す)を使ってもよいと思います。
 この英訳において、原文の「我が」と「朕(が)」はすべてOurで訳していて、英語では所有格を付ける必要のあるところ、または付けたほうがよいところには、日本語に「朕」や「我」がないところであってもOurを付けています。これは英国の国王、女王が自分のことを述べるときに、Iやmyではなくweやourを使うのと同様の使い方です。原文に見られる「朕」と「我」の使い分けは考慮されていないようです。最初の文字が大文字の“O”になっており、これは聖書などで主やキリストに対する人称代名詞は大文字で始めるのと同趣旨の使い方でしょう。天皇は戦前は現人神でした。

 

※ 「世務ヲ開キ」の部分は1940年(昭和15年)の文部省図書局の『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』では「世のためになる仕事をおこし」と正しく解釈しているので、この英文の作成者は解釈を間違ったのであろう。この部分はとくにあやふやにしたり誤魔化したりする必要のない部分である。戦後から現在に至るまで「世務を開き」の部分を正しく解釈していない人が多数いるので、1907年の時点でも解釈を誤ったものと思われる。

「世務ヲ開キ」の部分を英訳を担当した当時の文部官僚が正しく解釈できなかった、という私の上記の考えは間違っているかもしれません。なぜなら、この部分は素直に文字通りに解釈すればいいのであって、当時の文部官僚が解釈に苦しむような難解な部分ではないように思われます。もし、わからなければ周囲にいる漢文(や漢文訓読体)に堪能な人に聞けばすむことです。したがって、この部分は、ひょっとしたら、英訳の助言をする英米人がいて、その助言者が(「世務ヲ開キ」の部分の真意をよく理解できず) 前の語句「furthermore advance public good」との関係性、整合性の点から「promote common interests」を主張したのかもしれません。英米人の助言者を用いる場合、日本語をかなり話せても読み書きまでできる人はごく少数であり、日本語が理解できずに、日本語との整合性をまったく考慮せず自分の意見を主張する場合があります。その主張を容れた場合に日本語の原文と英文が許容の範囲を超えて意味的ずれてしまうことがあり、誤訳になる場合も起こり得ます。

 現在の文科省や他の省も英米人を用いて英文を作成している場合があると思われますが、その英米人の採用には注意する必要があります。英米人で英語が得意で(英語を英米の高校以上で教えることができるくらいの能力のある人で)、日本語がかなり話せて、日本語の読み書きがある程度できる人がよいでしょう。日本政府の公式説明として英文で示す場合には特に注意する必要があります。          (2017年8月14日追記) (2018年1月24日追加修正)