『万葉集 秘密の用字法』の出版
永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)
新たな万葉関係の本を出版することができました。タイトルは『万葉集 秘密の用字法』でキンドル本として出版しました。サブタイトルは、
◇◆人麻呂・家持の秘密用字法◆◇まちがいだらけの万葉集歌の訓みと解釈
としています。
残念ながら万葉集はまだ完全にはよめていません。万葉仮名が正しく訓よめていない場合と、音的には正しくても、その解釈がまちがっている場合があります。また、どちらも間違っている場合もあります。また、まだ、歌の全部ではありませんが、一部において万葉仮名で書かれている文字をどのように訓むのかほとんど手のつけられていない歌も数十もあります。その意味で万葉集は未知の〝宝庫〟です。
以下はキンドル本『万葉集 秘密の用字法』の「まえがき」です。
まえがき
万葉集にはいくつかの未知の用字法(=仮名づかい)があり、その用字法に気づいていないために万葉仮名でかかれている歌の訓よみを誤ったり、解釈を誤っていたりする場合が稀ではなく存在します。
未知といってもその程度はさまざまで研究者の何名かは一つの歌に対してその用字法に先鞭をつけ、言及しているのに残念なことに一般化されず、用字法としての足場をもたず他の歌に応用されることもなくおわっています。
また、今までほぼ気づかれることなく埋もれたままになっている用字法もあります。私は本書でそれらの用字法を示し、埋もれたままで多数の人の共通認識になりそこねている用字法を明らかにしたいと考えています。万葉集の秘密用字法というように「秘密」という言葉を用いていますが、これは万葉歌人たちが故意に秘密にしたものではなく、現在の私たちが気づかないだけだと考えられます。
ただし、一部には本当に(時の権力者側に)秘密にして伝えようとする用字も少数ですが存在すると思われます。
拙書『万葉難訓歌の解読』(一九九二年 和泉書院刊)にこれらの用字法の説明を(一部を除いて)ほぼしていますが、本書では読み誤っている考えられる歌と用字法をセットにするかたちで新用字法の説明をしていきたいと考えています。
副題の中に「まちがいだらけの万葉集歌の訓よみと解釈」としています。少し言い過ぎの表現かもしれませんが、万葉集には部分的にまだ訓よめていない歌が多数ありますし、音的には正しくとらえていても、正しく解釈できていない歌も少なくないと私は考えています。万葉集全体を正しくとらえた場合を百点満点とすると現在は八十点くらいの段階かもしれません。
本書において、用字法の説明をしていく場合には、万葉仮名を示すことが不可欠になりますのでやや読みづらい部分もあると思われますが、その点、ご承知おきいただければと思います。
**************************************************************************
以上が「まえがき」の部分ですが、次に「万葉の副用字法」という名称で、用字法の説明を(列挙するだけになるものが大部分ですが)簡単にしたいと思います。
これらの用字法は万葉歌人たちが故意に隠しているものではなく、私たちの認識がその用字法に到達していないだけだと思われます。私は本書でそれらの用字法をできるだけわかりやすく説明していきたいと考えています。①はすでによく知られている用字法ですが、②から⑦は、私が初めて命名して示す用字法になります。
本書の中で、
◆万葉の副用字法
① 同音借意(仮借)… 是=氏、留=流
② はめ込み熟語(隠れ熟語)… 留別(離れ語)、小豆(アヅキ[なし])、當不←不當=不当(逆語)
③ 重用文字… 朝東風(あさごちのかぜ)、淡海(あふみのうみ)
④ 明頭文字・明尾文字… 散動、為形、斎祈、嘆久、恐見
⑤ 構成要素用字法
⑥ 背景用字法
⑦ 二重用法連用形(連用形二重用法)…同音同義(同一語)の掛詞
などの説明をしています。
⑦に関連して、掛詞(かけことば)は同音異義語を原則とし、同音同意語、つまり、同一語の掛詞を無視してきたため、正しい訓みと解釈ができていない歌がかなり存在します。
その代表の一つが「かひこ」、現代語で「かいこ:蚕」です。
日本では魏志倭人伝に出てくる卑弥呼の時代から、絹織物があり、「蚕(かいこ)」もいたことは確実ですが、万葉集では従来の読み方では、「かひこ(=かひこ:蚕)」という語は出てきません。その代り、「かふこ」という言葉がでてきます。しかし、上代語として「かひこ=蚕」は存在します。『新撰字鏡』や『和名類聚抄』という辞書のなかに「蚕 加比古かひこ」と出てきて、上代語として「かひこ」という言葉は存在しています。が、万葉集では蚕に言及する歌は三首ほどあるのに「かひこ」ではなく「かふこ」という形に今は読んでいるのです。
しかし、同音同一語の掛詞と二重用法連用形を認めれば、「かふこ」と読むのは誤りで「かひこ」と読むのが正しいということになります。「かふこ」は誤りです。今までどの研究者もこの誤りを正しませんでしたが、本書ではじめて正すことができたと考えています。
「かふこ」と諸本が訓んでいる歌を次に示します。
足常 母養子 眉隠 隠在妹 見依鴨 (万葉集巻十一・2495)
この歌の「母養子」を諸家、諸本は「母がかふこの」と訓んでいますが、私は「母がかひこの」と訓みます。
たらちねの 母が飼かひ蚕この 繭まゆ隠こもり 隠こもれる妹いもを 見むよしもがも
(たらちねの)母が飼っている蚕かいこの繭ごもりのように こもりきりのあの娘を見るすべがないものか
※「母がかひこの」の「かひ(飼ひ)」の部分を二重用法連用形とし、同音同語の掛詞と見て、「飼ひ→飼ひ・飼ひ」で、「母が飼ひ・飼ひこ の」と見ます。意味を取りやすくするために「母が飼ふ・飼ひこ の」とするとよく理解できます。つまり、〝母が〟という主格を示す言葉が「飼ひ」という動詞の連用形にかかり、「母が飼ふ」という〝主格語と動詞〟の動作、動的関係を維持しつつ、「飼ひ」は次の名詞の「こ」に結合して、動作性を失い「飼ひこ(かいこ 蚕)」という虫に変身します。つまり、「かひ」は二重に使われている連用形で、言葉をかえれば、同音同義の掛詞となります。この〝二重用法連用形〟と〝同音同義語〟の掛詞を認めることによって歌の解釈や訓みに変更を加えなければならない歌が複数存在します。
※「足常」を「たらちね」の音転として文字に即して「たらつね」と訓む本と、「足常」を「たらちね」と一般的に母の枕詞として使われるかたちに訓む説が対立しています。私は「常」は後の「隠」と結合するはめ込み熟語の中の〝離れ語〟で「常に隠れている」か「母が常に隠している」という意味を表すために故意に「常」を使っていると見ます。したがって、「足常」は「たらちね」と訓みます。
この2495番のほかに、2991番、3258番の歌も「母がかふこの」と諸本訓んでいますが、「母がかひこの」と訂正すべきでしょう。
* 母(はは)我(が)養(かひ)蚕(こ)乃(の)… 母がかひこの (2991)
* 母(はは)之(が)養(かひ)蚕(こ)之(の)… 母がかひこの (3258)
となります。驚いたことに、万葉集の歌の中に、通説による訓みでは「かひこ(蚕)」は存在しません。蚕かいこに関連する言葉が出てくる歌は、ここに示した二四九五番、二九九一番、三二五八番の歌の中だけですが、いずれも「かふこ」と訓んでいるのです。これは前に「母が」という主格に合わせるために、動詞の持つ躍動性を失って静止的な意味が強くなる連用形ではなく(というより、この場合、カイコという虫になってしまう「かひ」ではなく)、より動詞の躍動性を保持する「連体形」を選んだためでしょう。この誤りは同音同義語(つまり、同語)による掛詞の存在を無視していた(知らなかった)ことによる当然の帰結です。
本書ではこのような今までの訓みや解釈の誤りをいくつか指摘し、正しい訓みと解釈を提案しています。