*中国共産党政権の極悪非道*医薬保政複合体*シンプルで有効な小学生作文指導法*中国崩壊*反日の原点・鄧小平と朴正煕*

*中国共産党政権の極悪非道*いつ中国は国家崩壊するか*ヤクザ組織・国家への対処法*なぜ日本にテロが無いか*北朝鮮問題*

原爆投下---一般市民を虐殺する戦争犯罪

2019-01-15 04:11:50 | 歴史と政治

  私は武田邦彦氏の「ユーチューブ」での講演をよく視聴している。科学的思考を基盤にして地球環境(地球温暖化説の嘘)や政治、経済、歴史に対する氏の切り込み、見解に賛成する部分が多く(全部ではないが)、氏の話はいつも参考にさせてもらっている(ただし、私のブログの内容には他の外国人や日本人の受け売りではなく私が初めて示す(大げさに聞こえることを恐れるが、世界で初めての)考えが一つないし、複数含まれていると自負している)。 次に示すものは武田氏の「国の印象を考え直しませんか?※※」 というタイトルのユーチューブでの講演の下のコメント欄に掲載されたものである。

 

 

原爆投下

一般市民を虐殺する極悪非道の戦争犯罪

永井津記夫

 

 もう、四十数年前の昭和47年か48年のころ、私が二十代半ばのころですが、産経新聞に次のような趣旨の記事が載りました。

**米国人女性で終戦直後に日本に来てGHQの職員として働き、原爆投下直後の広島の生き地獄さながらの惨状を実見して、「原爆投下を決断し実行させたトルーマン大統領は悪魔だ。墓を掘り返して火あぶりにすべきだ」という内容の本が出版された。** 

  この本に対する書評も産経新聞に載っていました。私はこの記事によって原爆投下が女性子供を含めた日本人非戦闘員の大量虐殺という戦争犯罪であることを瞬時に悟り(元もとある程度そのように考えていたのですが)、米国の“非道・悪行”を常に念頭において日本の政治、国際関係を考えるようにしてきました(注1)(私の中学、高校、大学の中年の男子教員の大多数は私の父と同年代で太平洋戦争に従軍し、日本が戦争に至った経緯も承知していたはずですが、戦争について語った人は一人もいませでした(注2))

  私は産経新聞の記事によって、米国が日本占領政策として実施したWGIP(戦争犯罪意識埋め込み操作)による洗脳から瞬時に脱したと言えます(中国と韓国が行なっている日本を悪役に仕立てる捏造の反日洗脳歴史教育も一瞬で消し去る方法があるはずで、日本政府と日本人はそれを見つけて彼らに投げつけるべきです)。

  米国は今でも日本を巧みにコントロールしていると言えます。おそらく、自民党から共産党まで米国によって操られている部分があると考えています(私のブログ『反民マスコミ』永井津記夫を参照して下さい)。

  上記の本の名前も著者の名前も当時覚えていたのですが、残念なことに忘れてしまいました。インターネットで検索しても出てこないので、産経新聞に直に問合わせましたが、昔の新聞はデジタル化されておらず、掲載年月日が分からないと検索できないと言われました。

  ソ連が1991年に崩壊した後の1994年ころだったと思いますが、読売新聞に勤める友人(私より数歳年上)と米国の核ミサイルについて論争になったことがあります。

*******

*(私):米国のミサイルの大半はソ連や中国に照準を合わせているでしょうが、その一部は日本に向けていたはずだし、今も向けているでしょう。

 **(友):同盟国の日本にアメリカがミサイルの照準を合わせているはずがない。

(私):ソ連や中国が日本にミサイルの照準を合わせているのと同様に米国も日本に照準を合わせているはずです。なぜなら、もし、日本がソ連や中国の手に落ちて、その優れた技術力を米国を滅ぼすのに利用されてはかなわないから、普通の頭のある大統領や軍部なら日本にミサイルの照準を合わせておくのではないですか。

**(友):アメリカが日本にミサイルを向けるはずがない。(私のブログ「北朝鮮問題(米国の恐ろしさと北朝鮮)」より)

*******

というような話になりました。その後、2001年ころだったと思いますが、米国の機密文書が公開され、米国の数発の核ミサイルの照準は日本に向けられていることが判明しました。これは日本のマスメディアにも取り上げられ、ネット検索ができたのですが、今はまったくできません。おそらく、朝日の慰安婦記事が誤報であったとする英文が、noindex, nofollow, noarchiveというメタタグによって検索できないように朝日がしたのと同様になんらかの圧力によって同じタグが埋め込まれたか削除されたのでしょう。米国女性の「トルーマン悪魔説」も一切検索にかからないのは同じ理由かもしれません。

  とにかく、米国は武田先生の言われるようにとんでもない悪辣・非道な国です。米国は中南米において政権破壊工作(要人暗殺、反対勢力のテロ支援など)を平気で行なっており、それは、機密文書の公開によって一部は明らかになっています。

  が、中国や北朝鮮の悪業、非道は米国を上回るものだと思います。大躍進政策や文化大革命によって数千万ともいわれる人民を死に追いやった中国共産党政権、チベット人やウイグル人やモンゴル人を大量に虐殺した中国共産党政権は米国を上回る悪徳・非道の政権です。現在、100万人を超えるウイグル人を強制収容所に入れています。また、北朝鮮は従順でない人民を強制収容所に入れ、虐待、処刑を重ねていると言われています。これら両国の政権中枢にいるものは私に言わせれば犯罪者集団です。中国人民や北朝鮮人民を非難する必要はありません(彼らは被害者です)が、政権中枢にいる者たちは非難されて当然の犯罪者集団です。

  ***********************************************

  以上が、私がユーチューブに載せたコメントである。武田氏は“米国の悪辣さ、非道さ”を強調し、中国や北朝鮮に対しては「嘘つきでひどい国である」ことは認めながらも、中国や北朝鮮の姿勢には比較的寛容である。私は、中国の毛沢東・周恩来がとった手法と同じで、政権と人民は分けて、政権(中国共産党政権と北朝鮮政権)は悪徳・非道の政権として強く非難するようにしている。人民はその政権に操られた被害者として考えるようにしている。

 

(注1) 1960年の日米安全保障条約改定をめぐっての全学連による反安保闘争、1960年代半ばから1970年代初頭にかけての全共闘による反安保闘争は、日本政府の政治姿勢と米国の好戦姿勢を“日米反動勢力”として糾弾し、米国も強く非難していたが、一つ不思議なことに、米国の広島と長崎への原爆投下とその極悪非道な戦争犯罪を糾弾することは皆無であった。これは米国による隠然とした新聞などへの睨みがきいていたことと、日本の周辺国(中国、北朝鮮、韓国)が日本への原爆投下は当然と公言していたことと無関係ではないだろう(中国の核実験への抗議を駐中・日本大使が行なったとき中国側は“日本は原爆を落とされて当然の国だ”というような非常識きわまる反論にあったことがある)。

(注2) 「だれ一人戦争について語った人はいない」というのは正確ではない。昭和42年に、当時、定年退官し非常勤講師で大阪外大に来ていた本多平八郎氏(ハーバード大で万葉集の講義をした経験あり)が授業の中で戦時中上官から殴られてひどい目にあったことに何回か言及された(それ以外のことには言及はなかった)。

 

  また、私の父はインパール作戦に参加し、一緒にいた数十名の兵士の半数以上の兵士がチンドウィン川で溺れ死んだと何回も語った。父は増水して濁流となっているチンドウィン川を無事泳ぎ切りビルマからタイまで撤退し、終戦を迎え、英軍の捕虜になったあと、昭和21年6月に帰国した。その翌年、私が生まれた。父は夕食後よく戦争の話を私たち男三人兄弟の前でした。「お前達はしっかり泳げるようになれ。戦友の半分以上がチンドウィン川を渡るときに(英軍戦闘機の機銃掃射を受けあわてて川に飛び込んだこともあって)溺れ死んだ。泳ぎができれば助かったんだ」と何度も繰り返して言った(チンドウィン川は日本軍が敗走した時期は雨期で増水し映像で見たが非常な急流である。父は大柄で泳ぎが達者な強健な男だった)。「ビルマでは男はすわって小便をするが、女は立ってする」と常に言い、母はまたそんな嘘を言うと苦笑していたが、母と同年齢の京大教授の会田雄次氏の書いた『アーロン収容所再訪』に同様のことが書かれていて父が嘘を言っていなかったことが、後年わかった(※同書と元の『アーロン収容所』も再読したがビルマ人の小用については書かれておらず、他の書物で読んだのを私が会田氏の書と誤解していたようである)。会田氏は昭和22年5月の帰還船で帰国したから父は最初の帰還船でいち早く日本に帰ってきたことが分かる。父は私が16歳の時に心臓麻痺で突然死んだ。後年、教師となり、色々戦争や戦争前の状況など聞きたいときに父はもういなかった。

 

  インパール作戦に参加した兵士十数万名のうち7割以上が死んだとされているが、これもいくつかの記録に混乱があり正確なところは分からない。しかし、死亡者の大半は退却途中での病死(マラリア、コレラなど)であった(日本軍の退却路は白骨街道と呼ばれ、病死した日本兵の遺体が道ばたに無数にあった)父によると退却の行軍の途中で倒れ込んでしまい、肩を貸すから歩けと言っても「ほっておいてくれ」と言われてどうしようもなかったという状態であった。ただ、同じ村の同窓の友人は肩を貸して歩かせなんとかタイまで逃げのびたということであった。この友人は死ぬまで自分が生きて日本に帰れたのは永井のお陰だと言い続けた。途中のビルマのジャングルの中では一緒に連れているサルが食べるもの(毒がないので)を食べて飢えをしのぎ、途中のビルマ人の村では薬(父は衛生兵で薬を革のカバンに入れて行軍していた)と交換に食料を(大量に)調達してタイまで逃げのびたということであった。交換で手に入れた象牙のパイプを父は戦後も使っていた。

 

  私は大阪平野を流れる大和川の近くで育ったので、大和川 堀池 という農業用の溜め池で夏は泳いだ(当時、まだ、小中学校にプールはなかった)。中学一年の夏に横幅80メートルほどの堀池を泳いで渡れるようになり (このとき、12歳の私は死を覚悟して横断を決行した。30メートルくらいは自由に泳げるようになっていたが、池の中央の深さは恐らく7メートルはあり、私の横を伴走するボートもなく一緒に泳いでいる連中も池の真ん中で溺れた者を助ける泳力は持っていなかった)、高校1年の夏には海で3キロぐらいの遠泳ができるようになった。父の言によると「急流を泳いで渡ろうとしてはいけない。流れに任せて浮かんで流されて行き岸に近づいたときに泳ぎ出せば大丈夫だ」ということであった。よく、川遊びをしていて上流で大雨が降り、増水して、泳ぎが比較的出来る人が溺死した、というニュースに出会うことがあるが、急いで泳いで岸にたどり着こうとして失敗するのであろう。こんな場合は息ができるように頭を出し、流されるままにして蛇行部等で岸に近づいたときに一気に泳ぎ出せばよい。

  ※※WGIP(=War Guilt Information Program)は「戦争犯罪意識埋め込み計略」と意訳するのが最適と今は考えている。「原爆投下」という人類史上最も残忍で非道な行為をやっておきながら、(おそらく日本人の復讐を怖れたためだろうが)自分の極悪非道の罪は棚上げにして、日本人に罪の意識を植えこむやり方は、あきれて物が言えないが、そのお先棒を担いで米国の走狗(犬)となったのが朝日、NHKを筆頭とする日本のマスコミであり、戦後日本の政治を任された与野党を含めた多数の政治家である(全てではない)。

  WGIP「戦争犯罪意識埋め込み計略」による洗脳はその意図とそれが「計略」であることがわかれば、そして「米国の原爆投下が人類史上類を見ない残虐非道な戦争犯罪である」ことがわかれば簡単に解けて消滅するはずである。 

  「極悪非道の米国」と私は非難しているが、これは米国の一部支配層に対して言っているのであって、一般の米国民に対して言っているのではないので誤解のないようにしていただきたい。米国の非道を煽って米国と米国人に対する憎しみを日本人に起こさせる意図はない。日本人の中にあるWGIPの呪縛洗脳を解きたいだけである。私には米国人の友人もごく少数であるがいる。米国民も今は大きな被害者である。米国では武田邦彦氏が言われるように、1%の富裕層が90%の所得を独占する〈※訂正:10%の富裕層が80%所得を独占する〉という極端な格差社会となっている。銃乱射などの個人テロが横行し、それを防止するために米国は中国に劣らず個人情報を窃取し、監視カメラをはりめぐらせている。この点で米国は中国によく似ている。「中国(政権)は辛亥年(2031年)の数年前から国家崩壊を始める」というのが“辛亥革命説”にもとづく私の推定であるが、同時期に米国にも分裂の危機が訪れるのではないかとも考えている。(1月15日記) (1月17日一部追記) (2月25日一部修正)

※※「国の印象を考え直しませんか?」というタイトルの武田邦彦氏のユーチューブでの講演の動画を3月4日に再生しようとすると「この動画は再生できません」となっていた。その2日前の3月2日に同動画をチェックすると私のコメントが消去されていることを発見した。武田邦彦氏は数少ない“与民評論家・学者”の一人である。国際政治でも、歴史でも、経済でも、地球温暖化問題や地震・火山噴火予知についても自身の見解を歯に衣を着せぬ形で評論し社会に警鐘を鳴らし社会を啓蒙しようと努力されている学者である。したがって、今回の件は武田氏の意向ではなく、何らかの組織の圧力によって動画が削除されたものと思う。もちろん、私の原爆投下に対する米国非難とその関連情報が絡んでいるものと考えられる。残念なことである。(2019年3月5日追加修正)




小学生のための国語作文指導法 ①

2019-01-04 20:12:14 | 国語問題・作文指導

国語の作文指導をどのようにしたらよいのか

 

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

  先日、小学2年生の子供を持つ30代半ばの(美人の)お母さんと話をする機会があり、国語の「作文」の話になった。その子は作文が上手だということで実際に書いた文章をみせてもらうと、確かに(小学2年の基準からからすると)なかなか上手に書けていた。字もきちんと綺麗に書いているし大したものだと思ったのである。が、よくそのお母さんと話してみると、「この子は作文が得意のようなので、もっと作文の書き方を教えてあげたいがどのように教えたらよいのかよく分からない」ということだった。

  そのお母さんに小中高、大学でどのような作文指導を受けたのかと聞くと「そのようなものを受けた記憶がない」という返事が返ってきた。我が家の20代後半の娘に聞いても同様な返事が返ってきた。私も記憶をたどって自分の受けた“作文指導”を思い起こしたのであるが、私のブログ『英語教育は破綻するか(英語教育の問題点)』の中で言及しているように皆無であった。ただ、小学2年生のときにハガキを一枚教室に持って来るように言われ、

  皆さんのお母さんの方のおじいさん、おばあさんにハガキを書きなさい。自分の思っていることをなんでもいいから書きなさい。宛名と住所はお母さんに書いてもらいなさい。

というような先生の指示があり、私は、拙い字で

  せんせいにいわれたのでかきました。・・・(この後の一文は覚えていない)

と書き、母にそのハガキを渡して母方の祖父母に出してもらった。この後、祖父母の家に行くと、小父(母の弟で当時26歳)に「先生に言われたので書きました、なんてハガキが来たぞ?!もう少し別のことを書けよ!」と言われて何回もからかわれたことを記憶している。

  私が小学校から大学まで具体的で明確な国語の作文の指導は、率直に言って“小学2年のハガキ作文(ハガキという具体的な用紙に鉛筆で具体的な対象・母方の祖父母に“なんでもいいから思っていること”を書くこと)”だけだったと思う。そして、書き方の具体的な指導はなく、小学校の高学年ともなると、夏休みの宿題などに読書感想文が入ってきて、中学、高校と、読書感想文の書き方の指導は一切無く、その提出を求められた(注1)

  国語(日本語)の運用にあたって日本語を母語とする者にとって一番むずかしいのが“書くこと”である。これはどの言語でも同じである。英語の場合でも、speaking (話すこと)、 reading (読むこと)、writing (書くこと)の中で一番むずかしいのが writing (書くこと)である。米国では小学校4年頃からしっかりと本格的な指導法(三部構成のessay writing と構成法に基づくcreative writing[創作文]の書き方などがある(*注2))に基づいて(英語で)書くこと(writing=composition)を教えている。米国の場合、書き方はその指導法が確立されており教師もそれに従って自信をもって生徒の指導にあたっているようである。

  日本では作文の指導法は確立されておらず、率直に言えば、教師も(ごく少数の例外を除けば)どのように教えていいのか戸惑い、いまだ「思うように書きなさい」というしかない状態であろう。これは教師個々の問題ではなく、文科省レベルの問題(つまり、カリキュラムの問題)であろう。教員になっているものでも自分が小学校から大学まで学ばなかったものを自信を持って生徒に教えることはできない。もし、問題解決能力のある(=頭の良い)文部官僚がいれば有能な大学教員などをメンバーにして(得意の)プロジェクトチームを立ち上げて何らかの解決法を出してくると思うのだが、いったい、どうなっているのか。

  前置きが長くなったが、小学校2年生程度 (平仮名が書けるようなら四、五歳くらいからでもかまわない) の具体的な作文指導法を下に示したい。

  用意するのはハガキ(往復ハガキの方がよい)である。三部構成にする。

 おじいちゃんへ(おばあちゃんへ、おじいちゃん、おばあちゃんへ)…「拝啓」に相当

 本文(お年玉のお礼、入学祝いのお礼、遊園地で遊んでくれたお礼など、何でも思ったことを書く。…「本文」に相当

 これで終わります。さようなら。…「敬具」に相当

④ 最後に「名前」を書く。

 

[小学1、2年生用(4,5歳児からでも可能な場合あり)]

 

おじいちゃんへ、

 

こうえんのぶらんこであそんでとてもたのしかったよ。ありがとう。

 

 

 

これでおわります。さようなら。

   

          名前 ◇◇◇△△△ 

 

 

   手紙や葉書などの定型の書式はそれなりの意味がある。「拝啓・本文・敬具」という型は、文章をかくときの「出だし」「終り」の難しさをいっきに解消させてくれる。 小説や随筆となると、「出だし」が勝負となり、興味を惹きつけるものでないと人は読んでくれない。これが小説などの創作文の一番むずかしいところである。が、定型はこの難しさを消し去ってくれる。「本文」の部分は「思っていることをそのまま書きなさい」という指導で良いが、ヒント (お祝いのお礼、プレゼントのお礼、遊んでもらったことのお礼など) は与えるのである。

  柔道でも空手でもバレーでも日本舞踊でも最初は型から始める。柔道などでもいきなり実戦をすることはない。受け身を習得してから攻めワザを習う。武術でもスポーツでもダンスなどでも最初は型の練習から始める。「作文」も基本的には同じである。まず、型の練習をしなければならない。「思うように書きなさい」という指導は、いちばん難しい指導法であり、まだ何も知らない初心者にいきなり空手の実戦をやらせるようなものに近い。多数の人たちが「思うように書けない」からこまっているのだ。

  さて、孫から自筆のハガキをもらったおじいちゃん(おばあちゃん)は、電話で孫をほめることになるだろうが、ここで「往復ハガキ」になっていたら、孫にハガキで返事を書くことになる。祖父母と孫の往復書簡ということになる。日本郵便はこの私の“アイデア”を採用し「おじいちゃんおばあちゃんと孫の往復書簡」 キャンペーンをすれば日本人の文章力(writing力)のアップにつながり、会社の利益アップにもつながるのではなかろうか。

  それでは、小学生高学年の作文指導法の提案をしたい。

 基本は三部構成である。

  ① 出だし…序論→問題(問題提起)

  ② 本文…本論→討論

  ③ 結び…結論→決定(解決) (注3)

 

  出だし(問題提起)が一番むずかしいが、ここは作文指導なので具体的なものを示したい。それは、

  *私は「大阪」が大好きです。(なぜでしょうか)

次に、その理由をいろいろ書いてゆく。

  *大阪は◇◇です。大阪には△△があります。大阪の人たちは□□です。

というようにその理由を列挙していく。ここは思うように書けばよい。

最後に、

  *上のような理由で私は大阪が大好きです。

とまとめる。もちろん、「大阪」の部分は住んでいる地域によって「埼玉」「北海道」「広島」「東京」と変えるのである。都道府県名よりも「◇◇市」「△△町」の方が書きやすければそのようにした方がよい。もちろん、この部分は「阪神タイガース」でも「巨人」でもかまわないし、「テニス」や「サッカー」などのスポーツでもよいし、「お父さん」「お母さん」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「□□先生」、あるいは飼っているペットなど、何でもかまわない(他に害悪を及ぼすものはダメ)。子どもが最も興味をいだき好きなものを選べばよい。ただし、小さな心に深く残ることとなるので、「◇◇は嫌いだ」というようなマイナスのイメージを与えるものは小学生には避けた方がよい。

  小学校5年、6年ということになれば、かなり高度な(ませた)表現を使いこなせるものもいると思われる。どんな、表現を使ってもよいので、最後に、きちんと締めくくりの言葉を使わせるように指導するということである。初めと、終りがしっかりしていれば、真ん中は多少不十分でもいちおう形がととのっているように見えるし、最初のうちはそれでよいのである。これも、(祖父母に評価を求める)往復書簡にして、返信用の封筒に孫の自筆の宛名書きをさせておけば祖父母はいやでも返信しなければならないだろう。ただし、返信に難しい漢字を使ってもかまわないが必ずフリガナを付けるように頼んでおくべきだ(低学年の場合も同じ)。難しい漢字があり意味が分からなければ親に聞くか、辞書を調べることになる。フリガナがあれば辞書が引けることになる(注4)。小学生高学年の子どもには辞書を引く習慣をつけるようにすべきだ。祖父母からの返信はそのよい機会になる。

  さて、図示すると下記のようになる。文章の中身は「問題 (問題提起)」、「討論」、「解決 (決定)」という三部構成となるが、その上に「題」と「作者名」を書いて形式をととのえることを教える。また、文の出だしは1文字下げる(インデントする)ことも指導しておく。

  私が「討論」という用語を使うのは、提起されている問題に対して、賛成意見もあれば反対意見もあることを考えているからである。この“反対意見”の部分を入れ、その反論を入れれば、文章構成でよく取り上げられる「起・承・転・結」「転」の要素を取り込んだことになり、より高度な文章構成法となる。「討論」は「転」も含んでいるが、小学生高学年の段階で「転」を入れるのは少し早いかもしれない。場合による。

 

       [小学校高学年用]

 

  題:ぼくが大阪を好きな理由

              

                        名前 ◇◇ △△

 

 ぼくは大阪が大好きです。なぜだと思いますか。 (問題提起)

 

 大阪には□□があります。

 大阪は・・・                   (討論)

 大阪は・・・

 大阪は嫌いだと言う人もいます。でも、・・・

 

 

  上のような理由でぼくは大阪が大好きです。      (解決)

 

 

 

 

 以上である。最後の「解決」部分は本文の一部を繰り返して強調するような形でふくらませてもよいが、それは生徒次第である。最初はできるだけ単純な型を徹底して教えるのがよいと思う。上記の私の作文指導法は普通のレベルの生徒の作文力を向上させるためのものであるが、非常に優秀な生徒も文章の型を意識することによってさらに文章力は高まるだろう。

 

**引用することや私のアイデアを利用して別の文章の書き方を誘導するのも自由であるが、いちおう私(永井津記夫)のブログか、名前を出していただきたい。

  私は日本語を学び漢字で苦労している外国人(日本語を学ぶ初心者)のために『Nine-House Kanji Quiz』という本を1999年にアスク出版から出した。

(『Nine-House Kanji Quiz』はタイで翻訳版が出版され、近々モンゴルでも翻訳版が出される予定)

これは1992年から1999年まで読売新聞の出している英字新聞「Daily Yomiuriデイリーヨミウリ」に“Kanji Class”というコラムを持ち連載していたものをまとめて出版した本である(私の“考案”した漢字熟語を覚える書式と方式がある) 。漢字を含む日本文は出てくるが説明はすべて英語で書いたもので「英語の本」である。この本を出したとき、日本語の初心者である“日本人の小学生”のために日本語作文の指導をすることなど露にも思わなかったが、むしろ、この方を先に何らかの形で出すべきだったと今は考えている(評価されるかどうかはともかく)。「国語教育の中に日本語の作文(writing)の指導法がない」と文句を言っていても始まらない。今回、このような形で私の考える“作文の指導法”の実際の形を示せてほっとしている。

   ※一つ付け加えておかなければならない。私は小学校2年生の時に“葉書”を用いた“作文指導”を受けたわけであるが、その中身は「思っていることをそのまま書きなさい」という指導で小学2年生には難しすぎる指導であったが、ただ、葉書を使い“孫と母方の祖父母”と文通するアイデアは(当時だれが考え出したのか不明であるが)素晴らしかったと思う。私はここではそのアイデアをそのまま使わせてもらって、さらに一歩すすめて具体的にどのように書くのかを示した。もちろん、“具体的にどう書くか”が最も大切な部分である。 私のブログの中で現在このブログ「小学生のための国語作文指導法」がかなり読まれているようである。少しでも参考になれば「役立った」を押すか「コメント」を残していただければ今後も同様のことを書く上での励みになります。(この部分2020年5月26日追記)

 

(注1) 私は大学で、Creative Writing という英語のショートショートの書き方の指導を米人教授(ギルキーGilkey教授)から1年間学んだ。その間に5(?)編ほどのショートショートを創作し提出しなければならなかった。また、英語の卒論の書き方の指導を日本人の羽田教授から10時間ほど具体的に受けた(論文全体としての体裁の整え方、英文の引用の仕方、パンクチュエーションの打ち方、資料のまとめ方など)。卒論は指導教官との話し合いでテーマを決め、タイプライターで英文を打って提出することになっており(日本語は一切使わない)、昭和44年当時はまだワープロはなくブラザーの英文タイプライターを自分で購入して卒論を書き上げて提出した。従って、私は文章の書き方を[英語ではあるが]大学では具体的に学んだ。   ※※Creative Writing は4回生のときに受講した。最後の回のショートショートを書いているときにひどい風邪を引いて書けなくなり、2月10日ころの提出日に間に合わず、ギルキー先生に電話をかけ提出を2日延長してもらった。この講座の単位は必修で、落とせば卒業できなかったのだ。本格的に彼と話したのはこの時が初めてだった。翌年か翌々年、彼がアメリカに帰りMITで教えることになったので、お別れパーティーに参加して欲しいとAクラスの同窓生から連絡が入った(当時、大阪外大の英語科は60名だったがAとBの二つのクラスに分かれていて、私はBだった)。卒業生はすでに全国に散らばっており、海外にいる者もいてなかなか人数が集まらず、大阪で教員をしていて参加しやすい私に幹事が声をかけたようだった。集まった5名(男ばかり)はギルキー先生を囲んで談笑した。最後に、ちょっとしたお土産を渡すことになったが、「これはちょとしたものですがお受け取りください」という英語をどう言えばよいのか詰まっていると「This is a small memory for you.」と言えばよいとギルキー先生から“最後の講義”を受けた。今ではなつかしい思い出である。

(注2) Essay Writingは日本語の“小論文”と同じと考えてよくいわゆる「序論・本論・結論」の三部構成が書き方の基本でありこの型を米国では生徒に教え込む。私自身は英語や日本語の文章の分類から「問題・解答」型と、「問題・討論・決定」型があることを私のブログ「英語の話④日本語の文章型と英語の五文型の関係」の中で論じ、この型で文章も書けばよいことを示している。 

 

(注3) Creative Writingは創作文であり、ショートショートや物語をつくるのであるが、これも型を中心に内容として盛り込む要素を教える。

(注4) 日本語は小さな子どもにとっては外国語に等しい。私が小学校5年の時に文章を読んでいて一番こまったことは知らない漢字をうまく調べられないということだった。それで、(大人の)本を途中で読むのを諦めざるを得なかったということがあった。もし、フリガナが付いていたら何とか対処できたのではないかと思う。英米人の子どもの場合、大人が読むような本でもすこしませた子なら辞書を使って簡単に意味を把握できるのだ。わからない漢字を漢和辞典で小学生(低学年)が調べるのは困難だが、英語の辞書はabcが分かっていれば子どもでも引けるし、小さな子ども用に開発されたわかりやすく言葉を説明する辞書もある。したがって、英米人のよく国語(英語)のできる子どもは、小学生の低学年から辞書に親しんで文章に秀でている子ということになる。日本人でこのような子どもをつくるためにはすべての漢字に戦前のようにフリガナを付ければよいと思う。そうすれば、小さな子どもの時から比較的むずかしい本を読む習慣ができて、読解力とおそらく作文力にもすぐれた作家の卵ができるように思う(フリガナは外国人にとっても便利であろう)。  (2019年1月4日記)

すぐれた詩人や作家が育たないような国には優秀な科学者も育たないと私は思う。どこかの政府のように大学の文学部などは軽視し、理工学系に重点をおき、しかも、基礎研究を無視し、鼻先に金(研究費)をぶらさげ、今すぐ実用的成果を出せというような政策はノーベル賞受賞者を生み出すような環境ではない。すぐれた詩人や作家は国民(国家)としての余裕であり、余裕のない環境は立派な成果につながらない。大学などの研究機関において余裕のある環境の中で2割の“働き蜂”が成果を生み出すのだ(残りの8割のハチはさぼっているように見えるかもしれないが、頑張る2割の側面援助をしていると考えればよい)。  (1月5日追記)      (1月13日追記)