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米国人はこわがりか

2019-03-29 23:26:29 | 時事問題

米国人はこわがりか

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

         

  あるテレビ局のインタビューの中で、米国人の映画監督マイケル・ムーア氏が銃乱射事件の多発する状況などの質問に対して「米国人はこわがりなんだ」と答えていた。

  現在、米国では学校や人が集まる場などで毎年のように銃乱射事件が起こり多数の死傷者を出し、また、(白人の)警官が銃器を持っていない(交通違反などをして呼び止めた)黒人に発砲して死亡させる事件などもたびたび発生する。これに対してムーア氏は「米国人はこわがりだ」と答えたのであろう。

  ムーア氏は政治的発言も多く物議を醸すことの多い人物であるが、「米国人はこわがりだ(こわいので銃で武装する)という見解には私も同意したい。なぜかというと、米国映画、とくに、エイリアンものを見てそのように思うのである。

  その理由の第一は、米国映画に出てくるエイリアンは人間の目から見ると(一般的には)醜悪なものがほとんどである。

 映画『エイリアン2』には主演女優としてシガニー・ウィーバーが出ていたが彼女と対決するエイリアンは一応人間型をしていたが、長い尾があり、頭も長く大きな口に金属的な長い鋭い歯が何本も並んでおり、やや人型を感じさせる分、(人間の私には)よけいに醜悪に感じられる姿であった。また、『インデペンデンス・デイ』に出てくるエイリアンも人類を上まわる武器を持つ生命体であるが、エイリアン2の宇宙人と同様に醜悪な容貌である。

  なぜ、米国映画に登場する宇宙人(エイリアン)は我々の目からみて醜悪につくられているのだろうか。なぜ、人類よりはるかに知的で容姿も(人間の目から)美しい宇宙人が登場しないのだろうか、と私は思うことがある。

  地球外生命体→よくわからないもの→恐ろしいもの→醜悪な容貌を持ち、人類を殺そうとして襲いかかるもの

という考えかもしれないが、

  地球外生命体→人類よりはるかに高い知能を持つもの→人類よりはるかに高い倫理観・道徳観を持つもの→容姿も人類よりはるかに優雅で美しいもの

という発想がなぜないのか、と思ってしまう。

 米国人、とくに、白人系米国人にとってエイリアン(宇宙人)は、恐ろしい存在、ぞっとするような醜悪な容姿の生物なのであろう。彼らは恐がり(coward, chicken heart)であるゆえに、エイリアンは醜悪な姿でなければならないのだろう。米映画『インディペンデンス・デイ』に登場する宇宙人も地球人よりは高度な科学技術力を持っているが、姿は人間から見て醜悪である。

  が、日本人はどうだろうか。私は、日本人はそれほどエイリアン(宇宙人)を恐れていないし、米国人が想像する醜悪な容貌、容姿を連想してはいないとも考えている。私自身もとくに宇宙人を醜悪なものと考えないし、人間より知性も容姿も(人間が考えるレベルで)すぐれていてもいっこうにおかしくないと思っている。他の日本人が私と同じ考えとは言えないが、私のように考える日本人も希ではなくいるように思われる。

  日本には平安初期の作とされる『竹取物語(竹取の翁、かぐや姫)』(短編小説)がある。

かぐや姫は月に出自を有する絶世の美人で、地球の日本の竹取の翁のもとで育つ。彼女を連れ戻そうとする月人たち(宇宙人)がやって来る。天皇はかぐや姫を奪われまいとして軍隊で警護さすが、月人は兵士を殺さずに無抵抗の状態にして姫を月へと連れて帰る。

というストーリーである。月人のかぐや姫は“エイリアン(宇宙人)”であるが、人間の美女が足元にも及ばないような“美人”であり、姫を迎えにきた“月人集団(エイリアン、宇宙人)”も当時の日本軍が手出しをできないようにする“無殺人兵器”を持つ“高知性集団”である。つまり、日本人の『かぐや姫(竹取物語)』の作者は、「宇宙人の月人を醜悪な攻撃的生命体」とは考えていないのだ。

  日本人はロボットに対する“恐怖感”が少ないと言われている。外国のロボットものの映画をみるとロボットが人間を襲うようなストーリーが展開されることがよくあるが、日本人は“鉄腕アトム”の印象が強力なためか、“人に逆らうロボット”を意識することは少ない。この点で日本人は(米国人のように)ロボットに対する恐怖感もそれほど持っていない。

  この「日本人の新しいもの、未知のものに対してそれほど大きな恐怖感を持っていないという傾向」は長所でもあるし、短所にもなり得る。

   IOT(「物のインターネット」→「対物インターネット(永井訳)」)が一時さわがれたが、このごろはあまり言わなくなったようである。私は以前のブログで「人間が善意の固まりであればIOTを活用して外出中に家の風呂に給湯したり、暖房で部屋を暖めることもしてもよいが、ウイルスを仕込んでパソコンをダメにしたり、重要な個人情報を盗む連中もいるのに外から家の中の設備を制御することなど危険極まりない」という趣旨のことを書いた。ハッカーが個人の家に侵入し電気やガスを自由に制御すれば家を「火の海」にすることができる。この技術を推進しようとする集団に“安全管理意識”や“国防意識”があるのだろうか。

  日本の周辺には「東京を火の海にする」とか「日本を10年以内に核攻撃する」というような脅しの言葉を吐く国があるのに、政府は国民に知らせようとせず、マスコミもいち早くその情報を手に入れる立場にありながら国民に伝えずおきながら、ITOは騒ぎ立てて(その危険性には言及せず)導入をあおっていたが現在はどのようになっているのか。IOT(対物インターネット)は現在の人間のレベルでは私には危険極まりないものに思われる。

  少し話が脇道にそれたが、私が言いたいことは、日本人は未知なものに恐怖感を示さないことも多いのであるが、“悪意のある人間”や、“悪意のある国”からの日本と日本人に対する攻撃は常に念頭に置いてもの事の善し悪しを決定する必要があるということである。企業が利益のみを第一に追求し、新しい技術を開発、商品化するとき、常に悪意のある個人、集団の悪用を考慮する必要がある。

  話をもとにもどそう。米国人はこわがりである。彼らは、エイリアン(宇宙人)は醜悪で人間を襲い殺そうとする存在と考える。したがって、排除・殲滅しようとする。米国人の白人の中には全てではないが、黒人は“得体の知れない存在”であり、恐ろしい存在であると考えてしまう人間が数多くいて、黒人の少しの動きにも“攻撃と勘違いをし”過剰に反応して(たとえば、交通違反の車の黒人運転手の免許証を取り出そうとする動きなど)拳銃で撃ち殺すようなことが希でなく起こる(ただ、米国の警官は制圧しようとするとき違反者や犯罪者から拳銃で撃たれて死亡することも多発しており、銃社会の中で警官が過剰反応してしまう状況があることは確かである)

  1977年9月にフランスのパリを出発した日航機がバングラデシュのダッカ空港に強制着陸させられる「ダッカ日航機乗っ取り事件」が起こった。この事件の後もいくつかの日本人が巻き込まれるハイジャック事件が起こっているが、私の記憶に誤りがなければ当時の外電(外国人記者による報道)等が事件に巻き込まれた日本人乗客の“冷静さ”を伝えることが多かった。私はこれ見て、外国人はハイジャックなどのとき“泣き叫んだりパニック状態になったりするのか”と思ったことがある。

  日本は世界有数の地震多発国であり、台風も毎年いくつか日本を襲い被害をもたらす。1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災の時も恐ろしい大被害にもかかわらず、震災後にパニックは起こらず、人々は整然と並び搬送された食料や水を受け取る姿が世界の各国でメディアを通じて紹介・放映され、驚きとともに日本人のその態度を称賛していた。これは、私たち日本人には当然のことであるが、外国の被災地においては救援の食料をめぐって被災住民の間で奪い合いが起こったり、乱闘や暴動が起こったりすることがある。

  災害時の日本人の整然とした行動は、日本人が地震等の災害に慣れていることもあるが、政府、自治体等のいわゆる“上”からの支援、救援を信頼していることにも大いに関係があるのではないだろうか。古墳時代とされる仁徳天皇の時代(5世紀前半)に民が疲弊しているのを見て仁徳天皇は三年間税を免除したと記述されている。6世紀末、聖徳太子は四天王寺に四箇院(敬田院、施薬院、療病院、悲田院)を設け、仏教的慈善の救済活動を行なったとされており、8世紀の奈良時代には法律により政府の公的な救済も行われるようになった。奈良の大仏の建立で有名な聖武天皇の皇后の光明皇后は仏教を篤信し730年に施薬院と秘田院を設け、貧しい人々に対して施薬、施浴をし、癩患者の救済も行なった。このように日本は古代から為政者が人民を救済するという姿勢が貫かれていた(もちろん、被災住民同士の横の助け合いは当然行われていたし、火事場泥棒をするような者はいなかったと思われる)。平安、鎌倉から江戸時代に至るまで災害時の為政者の姿勢に変化はなかった。

  日本人は災害時には基本的に古墳時代、大和時代から政府の(上の)救済を信じる気持ちがあり、それが災害時にも争ったりしないことにつながる一つの原因と考えられる。つまり、日本人は災害時、緊急時にもあわてず、恐がらず、対処する能力が高いのだ。

  そして、日本人の怖れない心、未知のものを受け入れる心はDNAの中にも潜んでいるように私は思う。日本人は最近のDNAによる旧人類の調査によってネアンデルタール人のDNAを諸外国人と較べてもっとも多く有していることがわかった。現世人類によって滅ぼされたとされていたネアンデルタール人は現世人類と交わりその遺伝子を残していたのである。

  日本人が世界のどこでネアンデルタール人と交わりその遺伝子を獲得したかは現段階ではよくわかっていない。ユーラシア大陸のどこかで交わり日本列島に来たのか、あるいは、最果ての日本列島で交流したのか。いずれにせよ、戦争(戦い)の形跡を残さない縄文人の遺跡を勘案すると、縄文人の先祖は争うことなくネアンデルタール人を受け入れて交わったように私には思われる。つまり、未知のものを恐怖心から排除しないという縄文人が祖先から受け継いだ性質が現在の日本人の中にもっとも多くネアンデルタール人の遺伝子を残したのだと私には思われるのだ。

  米国人は怖がりである。日本人はそうではない(注1)それは遺伝子的にも言えるのかもしれない。(2019年3月29日記)


(注1) 「こわがり」であることは直接的には「ケンカが弱い」とか「腕力がない」ということを意味しない。この点、誤解のないようにお願いしたい。「未知のものを怖れない」心は“新発見”を怖れないことにつながる。日本人に比較的ノーベル賞の受賞者が多い理由の一つに「日本人の未知のものを怖れない心」があると私は思う。(3月31日追記)


小学生のための国語作文指導法 ②

2019-03-07 22:24:45 | 国語問題・作文指導

国語の作文指導をどのようにしたらよいか ②

永井津記夫(ツイッター:https://twitter.com/eternalitywell)

 

  1月4日に「小学生のための国語作文指導法…国語の作文指導をどのようにしたらよいか」というタイトルでブログを書きました。その続きを書いてみたいと思います。

  前回のブログの中で私は文章を書くときの“型”の重要性を強調しました。日本舞踊やバレーなどの踊りや柔道や空手や剣道でも最初は“型”から教えます。まず型を習得しないとその上の“実戦”にはすすめません。前にも述べたように、手紙の「拝啓:本文:敬具」という形は“頭の中で考えていること”を文章でまとめるときに最もむずかしい出だし(拝啓)”と終わり(敬具)”をなかば強制的に示してくれているので書きやすいのです。あとは、“本文”を書けばよいのです。 

  前回、示したものを再び示します。

**********************************************

  用意するのはハガキ(往復ハガキの方がよい)である。三部構成にする。

①おじいちゃんへ(おばあちゃんへ、おじいちゃん、おばあちゃんへ)「拝啓」に相当

②本文(お年玉のお礼、入学祝いのお礼、遊園地で遊んでくれたお礼など、何でも思ったことを書く。…「本文」に相当

③これで終わります。さようなら。…「敬具」に相当

④最後に「名前」を書く。

 

  [小学1、2年生用(4、5歳からでも可能な場合あり)]

 

おじいちゃんへ、

 

こうえんのぶらんこであそんでとてもたのしかったよ。ありがとう。

 

これでおわります。さようなら。

    名前 ◇◇◇△△△ 

 

******************************************************

  上の囲みの中が小学生低学年のためのものですが、高学年のものも再び示します。詳しい説明は前のブログを読んでください。  

 

******************************************************

  それでは、小学生高学年の作文指導法の提案をしたい。

 基本は三部構成である。

  ①出だし…序論→問題(問題提起)

  ②本文…本論→討論

  ③結び…結論→決定(解決)

  出だし(問題提起)が一番むずかしいが、ここは作文指導なので具体的なものを示したい。それは、

  *私は「大阪」が大好きです。(なぜでしょうか)

次に、その理由をいろいろ書いてゆく。

  *大阪は◇◇です。大阪には△△があります。大阪の人たちは□□です。

というようにその理由を列挙していく。ここは思うように書けばよい。

最後に、

  *上のような理由で私は大阪が大好きです。

とまとめる。

       [小学校高学年用]

 

  題:ぼくが大阪を好きな理由

              

               名前 ◇◇△△

 

 ぼくは大阪が大好きです。なぜだと思いますか。(問題提起)

 

 大阪には□□があります。

大阪は・・・                 (討論)

大阪は・・

大阪は嫌いだと言う人もいます。でも、・・・

 

 上のような理由でぼくは大阪が大好きです。  (解決)

 

 以上である。

****************************************************** 

  さて、今回の指導法、親も教えやすく、子どにも書きやすい指導法を提案したいと思います。対象は小学生高学年で私の前回の「小学生の国語の作文指導法」をすでに終了した生徒です。前回のものを一、二度やってみて簡単にできるようならすぐに今回のものに挑戦してもらってかまいません。

  お父さんやお母さんが子どもに作文指導をするとき、一番ネックとなるのがどのようなテーマ(題)を与えるかということです。上に示した型は簡素な「三部構成」で文章をまとめる形です。今回は「二部構成」の文章の書き方を提案します。もちろん、二部構成といっても、全体として(問題と解答を一つにまとめて)二部構成になるので、実際の「解答部」は三部構成になっているのが見た目もまとまりもよいと考えています。

  テーマ(題)をうまく与えると、子どもは文章が非常に書きやすくなります。その代表的な例が小学6年生の卒業文集などによく使われる「あなたは将来何になりたいですか(あなたの将来の夢)」という「題」の設定です。“題”とは「問題(提起)」、「質問」、「問い」と言い換えることができます。「問い」に対しては「答え」を書けばよいのです。子どもがある程度その「答え」を考えたことがある「題=問い」が一番どの生徒にとっても書きやすいものとなります。

  二部構成の代表的な文章は数学の幾何の証明(問題を含む)の文章です。そして、新聞の「人生相談」の「問い」と「答え」の文章も完全な二部構成の文章です。私のブログ『英語の話④…日本語文法と英文の和訳』の中で、幾何の「中点連結定理」の証明問題を取り上げて、二部構成の文章であることを示しています。ここで、もう一度出してみましょう。

 

 

 【問題】

 三角形の二辺の中点を結ぶ線分は第三辺に平行で、その長さは第三辺の半分であることを証明せよ。

 

 

 【証明】  

  △ABCの辺ABと辺ACの中点をそれぞれM、Nとすると、

   AM:AB=AN:AC=1:2 ・・・①

   ∠MAN=∠BAC ・・・②

 ①と②より、2辺の比とその挟まれている角が等しいので、△AMNと

△ABCは相似である。

 よって、MN:BC=1:2、つまり、MN=1/2 BC

また、∠AMN=∠ABCとなり、同位角が等しいので、MNはBCと平行である。

 以上により、三角形の中点を結ぶ線分は第三辺に平行で、その長さは第三辺の半分であることが証明された。


  この文章は「問題」と「証明」の二つの部分から構成されており、「証明=解答」であるから明らかに私の説く「問題・解答」型の文章になります。「人生相談」の文章も明らかに「問い」と「答え」の二つの部分から構成される“二部構成の文章”となります。

酒乱の父をどうしたらよいのか

 

 [問い] 父は酒乱で一家は崩壊寸前です。・・・・・・

 

           

          

           (大阪A子)

 

 [答え] アルコール中毒は以前は少なかったのですが、今は米国に負けぬほど日本でも増えてきました。・・・・・・

 

       

          (精神神経科医) 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

  上の例文は小学生に示すものではなく教えるお父さんお母さんにとって一目瞭然のものとして挙げました。私たちのまわりにはこの「問題(問い)・解答(答え)」型の文章が意外に多いのです(*注1)もちろん、「解答(部)」は分析すると「問題・討論・解決」型になっている場合が多いのですが、何事も理解を容易にするためには大きくとらえる必要があります。「文章」と「文章」を合わせたものも一つの“題”で統一されれば「文章」となります。文法論的には「文章」以上の単位を設ける必要はありません(*注2)

  それでは、例を示してみよう。

         将来の夢 (問題部と解答部を合わせた題) (*注2)

 [問題]

 あなたは将来どんな人になりたいですか。その理由も示して書いてください。

 [解答]

  ぼくが将来したいこと

6年2組 山田一郎

 

 ぼくは車に乗るのが大好きです。また、いろんな車を見るのも好きです。4,5歳の時からお父さんの座席の横に座って近くの川までドライブに行ってキャッチボールをしたりしています。

 

 お父さんは車の運転がとても上手です。せまい道でもすいすいと運転します。前に一度、川に行く途中で車がエンストしました。お父さんは前のボンネットを開けてなおしました。お父さんはすごいと思いました。

 

 それで、ぼくは将来、車に関係する仕事をしたいと思っています

 

 題

 名前

 

 

 出だし

 (問題)

 

展開

(討論)

 

 まとめ(解決、決定)

 

          将来の夢

 [問題]

 あなたは将来どんな人になりたいですか。その理由も示して書いてください。

 [解答]

 わたしが将来したいこと

6年1組 山田花子

 

 

 「将来どんな人になりたいか」と聞かれても、まだ、わたしにははっきりと答えが見つかっていません。

 ただ一つ考えていることは外国にいってなにか仕事をしてみたいということです。

 それで英語をしっかり勉強して身につけようと思います。父は英語を勉強する前にしっかり日本語の勉強をしなさいと言います。本を読み、作文もしっかりまとめて書けないのに英語ができるようになるはずがないと言います。それでわたしは国語も本気で勉強するつもりです。

 国語と英語をしっかり勉強して世界で活躍できるようになりたいです。

 

 

名前

出だし

(問題)

 

 

展開

 

(討論)

まとめ

(解決)


 上の文章を見て分かることは、問題(題の設定)があると解答は生徒にとってかなり書きやすいものになるということです。それと、解答の部分(=解答部)は、

  *出だし(序論、問題)

  *展開(本論、討論)

  *まとめ(終わり、結び、結論、決定)

というように三部構成にすると形がととのい、よく書けているように見えます。あとは内容(中身)次第ということになります。まず、形(型)をととのえて実戦を積むことによって文章力は向上します。

 ここでは小学生高学年の作文指導に主眼を置いていますが、問題(題の設定)を適切にすれば中学生、高校生(大学生を含む)にも作文指導が可能です。

 では、問題(設定した題)をいくつか示しましょう。さらに、お父さんお母さん方にも適切な題を考え出していただきたいと思います。

*(ア)1年間(4月から翌年の3月まで)の中で、一番たのしい行事は何ですか。その理由も書きなさい。

*(イ)今までで一番うれしかったことは何ですか。なぜうれしかったのかも書きなさい。

*(ウ)学校の授業で一番好きな教科は何ですか。その理由も書きなさい。

*(エ)新学年になったら何がしたいですか。その理由も書きなさい。

*(オ)今の学年で一番苦労したことは何ですか。

*(カ)いちばん好きなスポーツ(見るスポーツ、やるスポーツどちらでもよい)は何ですか。その理由も書きなさい。

  以上です。その他、「好きな動物」、「好きな花」、「好きな友だち」、「好きなゲーム(遊び)」なども題として設定できるでしょう。“理由”を書かせるのはそれで一つのまとまり(まとまった一つの小さな文章)ができて理解しやすい構成になるからです。例えば、

  ぼくはアイススケートが大好きです。 最初は何回もころびましたが、このごろは前進もバックもできるようになりました。スピードを出せるようになり、滑っているととてもうれしいのです。

       アイススケートが好きな理由

 

[問題]

 ぼくはアイススケートが大好きです。

 (なぜか)

 

[解答]

 最初は何回もころびましたが、このごろは前進もバックもできるようになりました。スピードも出せるようになり、滑っているととてもうれしいのです。

※(最初は~バックもできるようになり、スピードも出せて、滑っているととてもうれしいからです・・・一文で「からです」と理由を明確に言い表した表現)


というように、上の文章は「問題・解答」型の文章になり、うまく一つにまとまって理解しやすい文章となります。上の例文の解答部の下の文(~からです)のように「~からです」というように終えれば明確に理由を示したことになりますが、そこまでしなくても理由であることは明白です。

 上の例を参考に小学生高学年の作文指導をしてください。論理的で“頭の良い”生徒になっていくと思います。

 

*************************************

(*注1)日本語は、文章の一つ下の単位である「文」においても「問題(=題)・解答(=述)」型になっています。世界的にも注目されている文法家の三上章氏は日本語のは英語などの西洋語のように「主語()・述語()」の構造ではなく、「題(題目、主題)・述(述部)」の構造になっていると説いています。

   あの男は  走るのが速い。

    主題(問題)   述部(解答)

 私は三上説を援用して日本語の文章は「問題・解答」型と「問題・討論・解決」型があると説いています(これは三上説の援用ですが文章に適用するのは私が初めてですから世界で初めての説です)。日本語は文単位で「主述=問題解答」の形になっているのですから日本人は文章を書くのは(文と同じ形にしたらよいので)容易なはずです。

 英米人(文法家も含めて)主題となっている主語主題ではない主語との区別ができないために誤った文法理論におちいっているところがあります。例えば、

  This cloth feels soft. (この布地は柔らかく感じられる。この布地は手触りが柔らかい)

における“feel”は能動態で受動の意味を持っている動詞(能動受動態の動詞)というような説明を英米の文法家はしますが、『英語の話』で説明しているように、“This cloth”をいわゆる「主語」ととらえるのではなく「主題()」とすれば、“feels”主格語である人称代名詞の“I”が省略されていると考えられ、日本語に類似した構造、表現ということになります。

  This cloth (I) feels soft.  この布地は(ワタシ)柔らかく感じる。この布地は柔らかく感じます。

つまり、“This cloth”は形の上では動詞“feel”を支配して(に呼応して)“feel”“s”をとらせ“feels”としていますが、それは表層的な呼応であり、深層では一人称代名詞の“I”があり、省略されていると考えた方がいいのです。英語は印欧語に属し古くは人称別に動詞の活用が分かれていて一人称代名詞の主語(主格語)など付ける必要はなかったのです。この文でも“I”が省略されているとすると、日本語では主語(=主格語)のワタシは省略するのが普通ですから日本人にはその構造がよく分かります。欧米の英文法家は、日本語の提題の助詞といわれる「は」を本当の意味で理解できず、「主題語」と「主格語」を混同し“subject”という主題と主格を区別できない用語を使うために「能動受動態」というような曲がった理解に落ち込んでいると言えます。※※ “feelなどの動詞を能動受動態だとする考え”を否定するのにはもっと深い考察が必要でありその用意もありますが、これは英文法の論文ではないので簡単に結論だけを述べておきます。 参照『英語の話③』、『英語の話④』(ここではもう少しつっこんで“能動受動態”を説明しています。)

 

*注2)与えられた題(=問題)とそれに対する答え(=解答)を合わせて二部構成と見ます(「文章」の構造はまず大きくとらえます)。解答はこの部分だけを見ると一つの文章ですが、問題と合わせて見ると一部分(この場合は半分)になり、問題と合わせて一つの(大きな)文章となります。人生相談の文章では問い答えもそれぞれ一つの文章と見ることができますが、この二つの文章は合わさって一つの文章になっています。「題(=問題)」を与えて作文させる場合は、解答と合わせて(形式的には)一つの文章と考えることができます。

 「文章」の定義については私のブログ『英語の話④』のコメント欄に書いています。“文章”とは三浦つとむ説を参考にすると、「“題”によって統一される文の集まり」です。夏目漱石の小説『吾輩は猫である』は、“吾輩は猫である”という題によって統一される文の集まりですので「文章」になります。文法論としては「文章」以上の単位を考える必要はありません。英米人のように文章の一つ下の単位である「文」において、「主題(語)」と「主格(語)」を混同し、この両者を「subject(主語)」と呼んでいるようでは“文章の文法”は構築(解明)できないでしょう。

「問題・解答」型、「問題・討論、解決」型などの「文章型」については私のブログ『英語の話 ④日本語文法と英文の和訳』を参照してください。