社会で活躍して過労死するくらいなら貧困専業主婦の方がましか…

2023年02月28日 | 社労士
1専業主婦は減っている。
2共働き世帯が増えている。
3専業主婦は一部の特権階級だけである。

1、2は統計上事実みたいだが、3はちょっと違う気がする。
このことは「なんとなく」「感じていた」が、1,2,3について、労働経済を専門とする周燕飛(しゅうえんび)さんの「貧困専業主婦」を読むと、主婦とか、専業主婦とか、共働きというものの実態を知れば、ずいぶん実相は違うのだなと思った。

共働きを、言葉通り、収入のバランスに関係なく、とにかく夫婦がなんらかの収入を得ていると捉えれば、おそらく9割ぐらいにはなるのではないかと思う。
しかし、内容を見れば、男女がほぼ同額、あるいはほぼ同時間というのは非常に少なく、ほとんどの既婚女性は短時間や非正規である。扶養の範囲というものである。
専業主婦を、まったく働いていない主婦ととらえればほとんどいないに等しく、扶養の範囲で働く女性を共働きとすれば、なるほど世の中共働きばかりである。しかも、それはずいぶん前からである。

周さんの本に出てくる「貧困専業主婦」は、数少ない完璧な専業主婦でありながら、貧困であるところがポイントである。彼女たちの特徴は、夫の収入が十分であるために働かないのではなく、夫の収入が100万~300万なのに、つまり、夫の収入が不十分もしくはかなり少ないのに働かないのである。
病気や障害、こどもの事情などで働けない人も一定数いるが、働かないことをあえて選択している女性のほうがむしろ多いということである。
しかし、それでも選択組の専業主婦たちは「幸せ」を感じているという。

幸せは外から測ることはできないし、主観的なものである。
他人の幸せ感にケチをつけるわけにはいかない。

少なくとも、働いている女性よりは、貧困でも、働いていない女性の方が幸せを感じているようだ。

ここは、最大のポイントではないかと思う。

著者の周さんは、貧困専業主婦の幸せ感を、過去のつらい経験と比べた相対的な幸せではないかと推測しているが、幸せが虚像であれ実像であれ、現在の生活に満足していることに変わりはない。たとえ幸せが虚像であるとしても、その虚像にとらわれている限り、現在の生活を変えようとは思わない。
専業貧困主婦が高い幸福度を有しているという事実は、彼女たちが自ら進んで無職でいることの証拠として捉えることが可能である、としている。

面白い考察だなと思った。

周さんは中国出身なので、母国中国のことが比較対象として出てくる。

中国では、女性がどれくらい稼ぐかは結婚においても重要な要因となるそうだ。
中国の若い世代は、専業主婦という選択肢がある日本女性を羨ましいと感じているとか。

日本では、いかに良妻賢母であるか、いかによい母親となれるかが重要視されているのかもしれない。
女性活躍とか、女性の社会進出とかいわれても二の足を踏むのは、稼いで社会に貢献して、なおかつ、良妻賢母を求められるからかもしれない。いや、絶対求められるし。

社会で活躍して過労死するくらいなら、旦那の稼ぎが100万でも貧困専業主婦で生き延びたほうがいいという判断かもしれない…

労働政策研究・研修機構の労働政策フォーラムが先日ZOOMで開催された。テーマは女性の就労である。残り時間5分のところで、所長の濱口桂一郎さんが、日本企業では男性社員は常にアベイラブルavailable(利用できる、入手可能、手が空いている)を求められているが、これは家庭においては父親はいつもアベイラブルではないということであると、コメントされていたが、このことは女性の就労問題のもっとも本質的な問題をも言い表していると思う。
女性は家庭において常にアベイラブルを求められている。なので、仕事ではまったくアベイラブルではいられず、使えない労働者ということである。
正社員になりたけりゃ、いい給料が欲しけりゃアベイラブルになりやがれ、ということである。

日本人は家庭も仕事も、おもてなしだか何だか知らないが、ひたすらアベイラブルを実現しようとしている。真面目な国民なのか…
だが、アベイラブルが行きわたった世界は、誰もがアベイラブルではないという皮肉な世界である。今現在の世界である。





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