ブログ仙岩

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野口英世の母野口シカ

2018-09-21 05:56:25 | 旅行
福島民報毎週土曜日「ふくしま人」に、今月15日5回目最終回「野口シカ」が載っていた。

シカの住む三城湯村には上手な産婆がいた。シカは何歳ころかは判明しないが、その人について助手をしていた。シカは何事をするにも、その道を究めたいという気丈な性分であったので、人一倍努力をして周りの人たちの評判を上げていた。・・・

明治中期の規制で、産婆学を修めなければ産婆になれなくなった。そこで、明治27年喜多方の慈善家で産婆研究所瓜生イワの講習会に参加、明治31年には上京して産婆修行したいと、野口英世に手紙を出し、翌年上京して2日間で帰り、一通りの機械、薬品を協力で買い、英世から産婆器具をアメリカから送ってもらい、技術を磨き、2千人を超える赤子を取り上げたが、大正7年インフルエンザにかかり、無理して風邪をこじらせ亡くなった。

中でも、明治45年英世に出した手紙が有名で「お前の出世にはたまげました」に始まり、「はやくきてくだされ」を何度も書き、「これの返事をまっております。寝ても眠れません」で終わる。英世は船便で即返事に「親不孝を謝辞、その後のことを小林にお願い・・・」書いていた。

昭和3年に福島刑務所の庭にシカの祈りの像を建設、「西をむいてはおがんでいます。東を向いてはおがんでいます」の手紙の一節が刻まれている。


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