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ブログ仙岩

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大石邦子「母を恋う」から

2017-11-06 09:07:24 | エッセイ
兵庫県篠山市本来寺住職廣澤成照氏の手紙に、大石さんの講演のCDを「折に触れ幾度聞いたことでしょう。言葉にならないほど、云々」ともったいないなくも信じがたいお言葉が続いていた。

CDはラジオ深夜便「私の捨てた赤い薔薇」のオスカー・ワイルド「ナイチンゲールとバラの花」という、大人のための童話のような短編で後味の悪い物語で、なぜこれが名作なのか長い間心のすみに棘のように刺さっていた。

あらすじは、真っ赤な薔薇の花があれば夢がかなうと嘆く孤独な青年に夢をかなえてあげるべく、小鳥のナイチンゲールが懇願した薔薇の木の棘に自分の胸を押し当て血を流し込んだ。翌朝青年は窓のバラの花に狂喜し、その下に転がる小鳥の骸などに気にも止めず、駆け出してゆくが夢はかなわず、腹いせに花を路上に叩き捨て、その花を馬車が引き裂いてゆく。昨夜の「おんな城主直虎」「井伊谷のばら」はそのもである。

この物語の真意を後悔と絶望の悲しみの中で理解したのは母が亡くなった時だった。命を懸けてバラを咲かせたあの小鳥こそ母ではなかったのか。その青年が私でどれほど、思い通りにならない苛立ちの中でバラを打ち捨ててきただろう。

私のために人知れず流されてきた母の涙を、父の涙を、私はどれだけ知っていただろう。人間の愚かさと崇高なる無償の愛の書だったのだ。廣澤様のお手紙で、私は改めて父母の愛を思って唇をかんだ。

アランは、鋭い言葉の矢は、すべて自分一人が放ったもの。しかもそれは全部また自分に降りかかってくる。最大の敵は自分自身なのだ。