今朝の福島民報に、天台宗天海大僧正が370年前の今日満107才でなくなった命日という。
1536年陸奥国会津郡高田(会津美里町)で生を受け、幼名は平太郎といい大変聡明であった。55才で天海となり、1610年徳川家康の前で論講してから、1613年に78才で日光山の住職になった。家康、秀忠、家光の三代将軍の絶対的な信頼を得て、江戸幕府の政策に深くかかわった。長命の秘訣はと聞かれ「気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細うして心ひろかれ」と答えたという。
しかし、八重の大河ドラマの次にまた会津のドラマではと思う。それで、同じ住職浄土宗祐天上人は5代綱吉、6代家宣に仕えた江戸時代を代表する呪術師が怨霊を念仏で成仏させたというドラマは現代の世相に大変マッチしていると思う。
大僧正祐天上人は寛永14(1637)年陸奥国磐城国新妻村(いわき市四倉町上仁井田に新妻家がある)に生まれた。幼名は三之助といい、12才で増上寺池徳院の檀通上人に弟子入りしたが暗愚で破門、放浪修行で成田山新勝寺で智慧を授かり、以後念仏力量を発揮し63才で5代綱吉将軍時大厳寺の住職に、6代将軍家宣の時浄土宗大本山増上寺三十六世になった。
祐天は暗愚から始まり、修行で強力な怨霊に襲われた人を念仏で救う本当の僧正であった。
祐天上人の生家やお墓の画像は マイホームページ http://sky.geocities.jp/x46803q/を参考にしてください。
1536年陸奥国会津郡高田(会津美里町)で生を受け、幼名は平太郎といい大変聡明であった。55才で天海となり、1610年徳川家康の前で論講してから、1613年に78才で日光山の住職になった。家康、秀忠、家光の三代将軍の絶対的な信頼を得て、江戸幕府の政策に深くかかわった。長命の秘訣はと聞かれ「気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細うして心ひろかれ」と答えたという。
しかし、八重の大河ドラマの次にまた会津のドラマではと思う。それで、同じ住職浄土宗祐天上人は5代綱吉、6代家宣に仕えた江戸時代を代表する呪術師が怨霊を念仏で成仏させたというドラマは現代の世相に大変マッチしていると思う。
大僧正祐天上人は寛永14(1637)年陸奥国磐城国新妻村(いわき市四倉町上仁井田に新妻家がある)に生まれた。幼名は三之助といい、12才で増上寺池徳院の檀通上人に弟子入りしたが暗愚で破門、放浪修行で成田山新勝寺で智慧を授かり、以後念仏力量を発揮し63才で5代綱吉将軍時大厳寺の住職に、6代将軍家宣の時浄土宗大本山増上寺三十六世になった。
祐天は暗愚から始まり、修行で強力な怨霊に襲われた人を念仏で救う本当の僧正であった。
祐天上人の生家やお墓の画像は マイホームページ http://sky.geocities.jp/x46803q/を参考にしてください。