「まだねむいのに~」
「鏡の効用」を書きながら、思い出したことがあります。
もう、十年経ちましたが昨日のことのような記憶です。
メトロノーム体験を、報告するため病院へ行きました。
診察前には毎回、歩行速度と握力の計測がありますが、その日は、メトロノームを聴きながら歩いて測っていただきました。
すると、、「今までの一番速い記録よりも、速い」とのこと。思いがけない結果でした。
この時の記録を手元に残しておかなかったのは残念でした。
3月末のその日は、あらましを書いたメモとメトロノームを先生にお渡しして帰りました。
先生は4月に転勤され、私も病院をかわり、その後お目にかかる機会はありませんでした。
ここからは先生の患者さんから聞いた話です。
先生は、転勤前、メトロノームの効用を、入院患者さんに試してみられたそうなのです。
しかし、、誰一人歩けなかった、とのこと。。
そりゃそうでしょう!
患者さんにすれば、突然,キンコンと鳴らされて、歩けと言われても。。。面食らって緊張し、ますます歩けなかったのではないでしょうか。
私が初めてメトロノームを使った時は、おもしろい実験をしているような、不安と期待のまじった高揚感がありました。
一方、先生には「聞くと見るでは大違い」の結果で,私の説明不足、申し訳ないことでした。
この一件には、PDリハビリの特徴がよく表れていると妙に納得させられました。
自分が脳と身体、心身一体としてのリハを求めていることがはっきりしました。
そして、主治医とリハの現場が分離していること、すばらしく優秀なお医者さまもリハに関しては専門外であること、PDに特化したリハ自体、途上のものであること、通院中で介護保険適用でなければ病院でのリハは受けられない、などなどから、リハを病院に期待しても難しいのではないか。と、思い至りました。
私の命は、与えられた私が大切にしなければ「命がもったいない」と、今まで自分をお医者様任せにして来たことを、痛烈に反省。
それから、患者自身が発信するPDリハがあってもいいのでは?と模索を始めました。
10年前に比べると、PDのリハビりは一般的になりましたが、ちょっと油断すると逆戻り、すぐ廃用症候群が待っています。
自分の体験を顧みて、PDリハは病気のごく初期から重要だと確信しています。
そのだいじな初期に病院でリハを受けられないなあんてとんでもないことであります。
PD診断から18年、介護保険適用になり、やっとリハビリを受けられています。
現在の 、とんでもないリハビリ制度下では、セルフケアが初期に自覚すべきことでありました。自分の病気に対し、あまりにも無知な私でした。
遊び心を忘れないように だよね。