忘備録

温泉の記録とか日記とか、何を考えていたのか思い出すための記録。

星リゾ 界 熱海(旧 蓬莱)に泊まってみた

2013-12-08 10:44:50 | 源泉掛け流しの温泉

なんで「界」という名前を付けたかと言うと外国人に発音しやすいためだそうです。

だけど「この間、kai atami]へ行って来た・・って、ん~、日本人にはどうかな。

口のすべりがちょっとな。


帰りに「滞在のご感想をお聞かせください」っていうカードを貰った。そこに書かれているp/wでサイトにログインしてラジオボタンを選択したり、コメントを書いたりするシステム。

ログインしてみたら質問が結構な数あったのでいったん閉じて、改めてログインしなおしコメントも熱心に書いてみたんだけれど、またその途中、家にお客さんがきて時間が空いた。

そのせいか、またはp/wの大文字小文字を間違えたせいか、全部終えて登録しようしたら「登録できませんでした。時間を空けて再度云々」だって。

「戻る」もできないし、書いたコメントも消えちゃった。

2回は書かないよね。


さて、この旅館ですけども、皆さんご存知の「旧 蓬莱」。ぢつは、自分が知ったのはそんな昔じゃないです。ネットで調べて「しったか」はしてましたけど、どんなところかなぁと興味大有りでした。

ちょくちょくHPをみてたりしてたんですけど、いつの間にか「蓬莱」が無くなって「星野」になってた。

おかげで敷居が低くなった気がしたけど、「アンチ星野」も多い昨今、どうでしょうか。

ただ宿泊したのが平日にもかかわらず満室とのこと。星野の勢いは有りそうです。


快速アクティーで熱海、そして送迎がないから小型タクシー。1,000円でお釣りくる距離。

熱海にはもう一つ星野リゾートで「リゾナーレ熱海」があるので、「界」の方お願いしますって。


宿に着いたのが15:00ちょっと回った時間だった。慌ただしくロビーでチェックイン、すぐ部屋に案内してもらった。東京から近いからここに直行すると早めに着いてしまう。だからチェックインは14:00にしてもらえるとありがたいと思った。

接客をしてくれるのは若い人たちで、中居さんとも番頭さんとも呼びにくい、従業員・・んー、「スタッフ」という感じかな。結構親切、丁寧で、明るいし一生懸命です。

例えば「青山やまと」とか「望水」のスタッフに感じが似てる。そのどちらも決して悪いところはないんだけど、この界熱海のスタッフの方が、より積極的。

だけど、この3つの宿のスタッフを入れ替えても違和感はなさそう。

泊まった旅館で記憶に残る中居さんとか番頭さんは、その宿と一体化してるというか、宿の個性が感じられるのですが、そういう意味でここはチェーン店的なマニュアルタイプかな。

部屋の前まで行くと、入口がシンプルで他の部屋と間違えそうだけど、どっかの口コミに他の客が部屋に入ってきたという苦情が書いてあったけど、案内をしてくれたスタッフがお客様の部屋は手前から何部屋目で、ときちんと説明してくれた。



口コミと言えば、トリップアドバイザーや一休なんかは結構評価が厳しい結果になってますね。

でもどうだろう、それを読んでみると大浴場まで階段がキツイとか、虫が飛んでるとか、そんなことは行く前から分かってることで、むしろそれはこの宿の特徴とか属性みたいなもんだから、評価とはちょっと違うんじゃないの?と思った。

階段は上から走り湯まで、この長さを大体3倍したくらいの距離。



途中、休む椅子とクッキーが置いてある。



その階段よりもダメだと思うのが、大浴場の古々比の瀧(こごいのゆ)。

入った瞬間、スケルトンな脱衣所(もちろん外からは見えないけどね)の奥に細長く湯船があって、その突き当たりにジャバラの屋根から白いシートが垂れ下がってるんだ。

なんか、避難所に作った臨時浴場みたい、と思った。



だれそれの設計とはいうけれど、これから時を経て味がでてくるとは思えないお風呂。

それに、満室だけに、混んでた。

宿は当然、満室にしたい。しかしこういう宿に来る客は、静かに過ごしたい。

双方が満足するための、パラドクス風なこの矛盾をかっての蓬莱はどうしていたんだろうか?

もう一つ、このお風呂とともに、ロケーションはいいのだけれど、「青海テラス」もいま一つだった。



無料ドリンク入りの冷蔵庫が置いてあるけど、自分的には東屋風の造りにして、氷水の入った桶にドリンクが入っている方が宿に馴染むと思うけどね。一緒に野菜とか入れて。



この場所に涼み処を作ろうという着眼は正しいと思うし、宙に浮いたイメージにしたいのは分からなくもないけど、それなら木造を浮かした方が面白いんじゃない?清水寺みたいに。

しかしこれは好みなんだろうね。

でも所謂デザイナーズ系みたいな作りは、直線が多すぎると思うんですよ。飽きるって言うの?

自然・保養・癒しを売るんなら、ランダムな曲線のほうじゃないかな。自然界の中って直線は少ないよね。

大昔、ピンボールのPCゲームが出たとき、日本製のは実物に似せて作ってあったけど、アップルコンピューターのソフトは手書きのようなピンボール台でびっくりした。もちろんアップルの方が飽きないし、面白かったんだけど、これが日本とアメリカの差かなと思った。日本人は上手く曲線が使えないのかもね。

そんなことまで思い出した。

走りの湯のほうはよかったです。文句なし。



源泉かけ流し。

お湯が海の温泉にしては、べた付きがほとんど無い。


ついでに「ヴィラ・デル・ソル」にも寄ってお茶を頂いてきた。たまたま中庭のところにいた女性のスタッフに方向を聞いたら、加湿器を部屋に持っていく途中みたいだったのに、それを持ったまま嫌な顔もせず、長い階段を一緒に降りてヴィラ・デル・ソルの前まで連れて行ってくれた。









申し訳ない。

ヴィラ・デル・ソルでは係りの女性に写真を撮ってもらったんだけど、一枚撮ってくれて、フラッシュの押さえ方を聞かれたみたいだったんだけど、よく聞き取れなくて「あ、一枚でOKです」とカメラを返してもらっちゃった。カメラに詳しい方みたいよ、と妻に言われ、失礼してしまったと思いました。

申し訳ない。

ホントに此処のスタッフは良くやってくれる。「星野リゾート」もこれ以上スタッフに努力を求めるべきではないような気がする。むしろあとは星野のほうでスタッフのこれからの将来のために、彼らの個性やら能力を引き出してあげる努力をすべきだと思うな。

「星野リゾート」はここしか泊まったことがないので、ここに限って言えば、自分はこの宿の「星野リゾート」的な部分が「ちょっとな」と感じた。まあ、そういうのが好きな人もいるんだろうから、それでいいのかもしれないけどね。


かってのサロンらしきところは、一般客にも開放しフリードリンクが置いてあった。



なんか梅酒のサービス(有料?無料?)がどうとか説明された気がするけど、スタッフがいなかったからよく分からなかった。

「星野」らしいところは、滑らないハンガーだったり、グラスも極薄で軽いもの(星野リゾートってこういう小物にこだわるよね)を使っていたり、館内の案内は冊子ではなくて、なんとiPadなんだわ。







「iPad」、これはサービスとしては退化だと思うよ。冊子とiPadとだったら、どちらが情報に早くアクセスできるかっていうと、この情報量ならシーケンシャルで、ビジュアル的にも優れている冊子の方でしょう?

総じて昔からの建物、部屋では至極落ち着くし、食事も選択式で純和食も置いてくれればまた来たいと思う。





蓬莱の名残りもあるし。




そうそう、お食事。

これが難しい。

美味しいですよ、実際。

洋風味の和食っていうの?

料理長は蓬莱時代とは変わって、洋食も和食も共に出来る優秀な方らしいですが、基本は洋食のようです。

事前に配膳のスタッフから「何か食べられないものはございますか?」と聞かれるんだけども、フォアグラなんかは出るかでないかわからないじゃないですか。だから特にありません、とは答えけれど、あまり好きじゃないんですよ、フォアグラ。



噛んだら、ピュッと脂が飛んじゃった。気を付けてね。

金目はブイヤベースになってる。



お造り、つまり刺身は醤油なし。なんでかっていうと、最初から味がつけてあるから。



デザートは5つくらいから選択式。



全体の量は丁度よかったけど、若い人には少ない気がする。

やはり外国人を意識してるんだろうと思うけど、どの国の外人?。

気の利いた食器の下に敷かれた和紙のランチョンマットと言うのかな、女将の手書きの文字が書いてあった。これは良かったなあ。




そして朝食。

例の、というか、口コミなんかを調べると話題にでている、鯵(あじ)の焼き方。



焦げていて普通は「焼きすぎ」だと思うけど、あえてこの焼き方なんでしょう。
頭を残してあとは食べるのかな?説明はなかったけど。

ただ、この「鯵」はいろいろ考えさせてくれましたよ。

旨い不味いばかりが食事じゃないよ、みたいなこととか、利休あたりが好みそうだとか。

でも「星野」で出されてもなぁ、とか。


事前の下調べからチェックアウトは部屋でするものだとばかり思っていたんだけども、フロントでとのこと。

玄関手前のそのフロントで会計を済ませたら、女将が見えてました。


驚いたのは、女将にお見送りの挨拶を受けた瞬間です。

来たときには、ただ入ってきただけの玄関が、柱から畳の目までがはっきりとした輪郭を持って、今まで一晩過ごした宿とは別の「蓬莱」という宿が現れたような気がしました。

何かしら理解できた、と思った。

尊王攘夷の時代、江戸・京都を慌ただしく行き来する志士や、その後の主だった人たちを受け入れてきたであろう宿の歴史を、この質素な玄関から女将の挨拶を通して感じたのかもしれない。


そう言ったら、恰好つけすぎ?




帰りに走り湯の源泉みてきた。