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100万パワーズ日記

100万パワーズがあなたに幸せをお届けする

覚のおもしろ日記

2005年03月19日 | SATORU
昨日から今日にかけてキャッツで遊んでいた。だから昨日は日記が書けなかったのである。昨日は1時にチャリでボーリング場に集合であったのであるが、キャッツのメンバーは結構自己中なので1時ちょうどには誰も来ないであろうと思い自分は20分程送れてボーリング場に着くように家を出た。ボーリング場の駐車場に自転車を停めていると上から手をたたく音が聞こえた。上を見るとキャッツの3人がこちらを見ていた。20分遅れていったもののけいちゃん、インド人、とおるの3人だけであった。4人でボーリング場の前でダラダラ会話をしていた。じゅんじゅんは2時ごろに来るらしいが、テル君はバンドの練習で、まつもは同窓会で来れないようであった。しんまに至ってはキャッツメールがあえて回されておれず、彼は明石にバイクの免許をとりに行っていた。2時まで外で待っているつもりであったが中に入り場所だけとっておくことにした。なかなかじゅんじゅんが来なかったのでじゅんじゅんの番まで投げる事にした。じゅんじゅんはスグに来た。1ゲーム2ゲームと楽しい時間が続いた。とおるの「モラルハザード」と言う言葉が冴えていた。3ゲーム目はグダグダであった。ピンをたおすではなく魅せるプレイスタイルを競ったが、幾らかの笑いはあったもののやはりグダグダで6レーン目からは普通にやったのであるがやはりグダグダであった。4時半であったがお腹が減ったのでジョイフルに向かうことにした。ボーリング場の駐車場でダラダラ話しをした。ボーリング場の駐車場に行くといつも話が長くなってしまう。けいちゃんがクラス会があるらしくジョイフルに向かう途中で帰った。ジョイフルで4人でダラダラ会話をしていた。免許を取得したしんまがやってきた。しんまがやってきた時にはもうみんな飯も食い終えいい感じになっていた。しんまが食事を終えるとすぐに銭湯に向かった。ベストコンディションで銭湯に入る為、銭湯に着くまでTシャツで移動した。銭湯は気持ちがよかった。前にみんなで山に登った時にいたおじさんが自分達に語ってきた「やっぱり1番大切なのは肌と肌の触れ合いやで」が頭に浮かんだ。じゅんじゅんが「やっぱり1番大切なのは肌と肌の触れ合いやで」と真似をしていた。何度も上がったり入ったりを繰り返した。途中小さな女の子や多分アジアの方であろうちょっと色が黒い感じの外国の方が2人入ってきたりした。自分は外国の2人組みの人達がずっと気になっていた。風呂に集団で入る週間があるのは日本人だけであると聞いたことがあるが、それを考えると彼等は日本に長い間住んでいるのであろうか。彼等はお風呂で歯磨きもしていた。しんまがジャイケンに負け話かけることになったのであるが話かけないっまま2人組は上がっていった。みんなでジュースのオゴリをかけて誰が1番長く風呂に浸かっていられるか勝負をした。途中シリトリを交えながら意地の張り合いは続いた。頭がクラクラして血管が切れるんじゃないかと思った。何も考えれなかった。ただただ早く上がりたいとばかり考えていた。みんな口数が減り本当にしんどそうであった。インド人に至っては風邪気味であったのに参加した事もありほんとうにどうにかなるんじゃないかと思った。途中しんまがしりとりで何度か負け、湯の中に何度か頭を漬けたりしていたのに凄まじい粘りを見せた。結局しんまが最初に上がったのであるが、自分は彼の潜在能力に可能性を感じていた。スグにみんな風呂から上がり水をかぶったりしたが、頭痛や気だるさは治まらなかった。脱衣所に上がりパンツを履き脱衣所の椅子に5人で腰掛けた。やはり頭痛や気だるさは残ったままであった。自分達は鉛のように重い体にムチを打ちズボンとTシャツを身にまとうとスグ隣にあるコンビニへ飲みのもを求めた。外に出るとちょうど9時を告げる音楽が鳴っていた。冷たいお茶が体に浸み渡った。みんな結構楽になったみたいであるが自分がまだ頭痛が続いていた。取り合えずどこかにドサッと腰を下ろしたかった。またジョイフルへ向かう事になった。ジョイフルへ向かっている間銭湯でちゃっかりグダグダになった風邪気味のインド人が何度もみんなに尋ねていた。しかしそんな事が許可されることはもちろんなくジョイフルに着いた。しんどかったが軽く食べると腹が減った来た。がっつり食べた。とおるが体がしんどいのは塩分のせいであるとやたらプッシュしていた。みんなで知恵をしぼり特許を取る為の発明を考えたり、最近のニュースの話などをした。とおるの話によると割り箸の結合を変えるとうどんが作れるらしい。後でみんなで何回もネタで使った。とおるのあだ名がニートになった。途中しんまが帰ったのでテルくんに電話をかけ色んなモノマネをインドと2人でしたがテル君は来なかった。取り合えず朝までジョイフルで過ごす事になった。4人であったが会話が途切れる事は1度もなく途中特許を取る為の発明を何度も考え話が脱線したりして本当に楽しい時間を過ごした。懐かしい話も沢山出た。朝5時くらいから外来語の禁止をして会話を楽しんだ。意外と話せるモノであるしやはり楽しかった。とおるのあだ名がアホになった。インド人のあだ名が外国人になった。朝7時半ぐらいになり帰る事になったが、帰るまでずっと楽しかった。外に出るとみんな一斉に外来語を喋りだした。朝の風が肌寒い感じであったが自分には心地よかった。何らかの達成感があった。やっぱり自分はキャッツが大好きである。もっと書きたい事は沢山あるが書ききれないのでおしまい。

昨日1番の笑い→フォーク、フォーク、ナイフ、フォーク、ナイフ、ナイフ、骨
  2番→音でおびき寄せて穴に落とす
昨日は沢山の笑いがあり過ぎた

墓参りstyle

2005年03月19日 | RYOTA
今日は彼岸ということで母の実家に墓参りに行った。自分は小学2年まで加古川にいたので、一応故郷ということなのだろうか。かつて自分がいた街は風景が変わり、真新しいコンクリートは何かを語りかけてきてくれる。しかしそれは「おかえり」という言葉ではなく、「誰やねん」という新参者を嘲笑うかのような冷たいものだった。
亡くなった祖父には本当に世話になった。祖父は賢い人でいろんなことを僕に教えてくれた。よく一緒に野球中継を見た。当時巨人軍には石毛というピッチャーがいた。その日は調子がよく、変化球のキレとコントロールが抜群だった。直球も150キロをゆうに超えていた。「打てるわけがない」幼稚園児である僕が言った。「いや、次の回に連打をあびる」入院前の元気な祖父が静かに言った。石毛は残りの回を完璧に押さえ、その日の勝ち投手になった。祖父はタイガースファンだった。僕も同様、タイガースファンだった。その日彼はいつもより少し多めにビールを飲んだ。

墓自体はただの石にすぎない。そこに祖父の影はない。むしろその旧式のテレビに祖父と自分を繋ぐ何かが映っているように思えた。