100万パワーズ日記

100万パワーズがあなたに幸せをお届けする

6日目

2005年08月31日 | RYOTA
今日はみきわめというものがあった。修了検定の 前にするものだ。S字カーブやクランクはもうミスる気がしない。運転テクニシャンともいうべきだろうな。ちゃんとバイトして金貯めて車を買おうと思った。


3日目

2005年08月28日 | RYOTA
教習日記みたいなノリになってきているが、こんな缶詰状態やからしゃあなしや。
今日は後ろから相方の運転を見たがあまりうまくなかった。俺の担当の人も若干駄目だししていた。
今効果測定と呼ばれるものに四苦八苦している。仮免のテストの前に3回うからなあかんみたいなノリである。通いのやつだったら家で勉強できるが、俺らは夜だらだら喋ったり、横の部屋でマリオカートしたりとグダグダに勉強できない。なんとか勉強して受かろうとおもう。


ハードスケジュール

2005年08月27日 | RYOTA
朝6時半のバスで相方のアパートを出発した。そこから明石駅、姫路駅と行き、そこから新幹線で広島駅に行った。ゼロ睡眠だっただけに車内で少し寝た。広島駅から教習所のバスで一路島根県へ向かった。教習所に着いたのは昼の1時をまわったくらいだった。本当にど田舎で教習所周辺は自然に溢れていた。
早速長旅の疲れを癒すことなく事務的な説明がはじまった。挨拶をちゃんとやろうみたいなノリがだるいなぁと相方としゃべっていた。一通り説明が終わると休む間もなく学科の1時間目が始まった。眠い目をこすりながらなんとか50分耐えた。そしてシミュレーションの車に乗った。
そのあとに夕食があった。夕食はいきなりステーキだった。熱いやんと思いながらもやはり肉のクオリティは低かった。
夕食後若干だらけてから早くも本物の車に乗った。運転は思ったより簡単だった。そしてびっくりするくらい楽しいものだった。
そうしてその日の教習が終わった。時間は夜の9時前だった。かなりハードスケジュールだったことはいうまでもない。また明日から頑張りたいと思う。


覚のおもしろ日記

2005年08月24日 | SATORU
日記を書くのは実に10日ぶりである。ダイゴと相方と遊ぶと日記に書いた次の日からである。10日前はダイゴと八角と言うラーメン屋に行った。
自分は墓参りを終えた足で八角へ向かった。ダイゴはすでに八角におり店先に立てられている旗を振りながら自分を迎えてくれた。ダイゴは自分に見た目はチャラチャラしているが笑顔でおばあちゃんの手を引いているギャルを見たと言う暖かい話を自分に何度もしてくれた。相方には今日集まる事が上手く伝わっておらずまだ来ていなかったが先に店へ入り2人で昼食を摂る事にした。いつも自分は誰かと2人になったりした時はあまりボケたりしないがこの時はやたら喋った。ダイゴもこの日は調子が良く店員に「この麺中にチーズ入ってませんか」とかダルい事を聞いたり、おもしろいクシャミをしたりとスベリ知らずで自分を楽しませてくれた。オカワリもいい具合にして腹が膨れ店の外に出た時に相方がやってきた。自分とダイゴと相方と後自分が知らない八千代のメガネの子で店に入った。食事をいそいそと食べ終わるとスグに外へ出た。レジに並んだ時に高校の時店で撮ってもらった写真がまだ飾ってあったのが嬉しかった。写真の相方はまだちょっと太かった。3人で歩いてキャデンと言う家電屋さんへ行き新しい相方の携帯を取りに行き、それからスグそばのジョイフルへ行った。ジョイフルでシーサーを呼んだ。久しぶりに出会ったシーサーは髪が以前よりサラサラしているようであったがやはりシーサーであった。シーサーの車でダラダラドライブへ出かけた。車内で自分は常にボケていたがダイゴしか笑っていなかった。都会へ行く事になったが途中で止め三木の古着屋で背中にダイナマイトデーとプリントされたポロシャツを4人とも購入した。早速ポロシャツへ着替えた。西脇へ帰の帰り道隣を通った車の女の人が自分達の格好を見てめっちゃ笑っていた。それをみたダイゴがテンションを上げていたが自分はスベっていると思っていた。西脇へ帰るとカナートへ向かった。特にする事もなく帰る事にした。時間はまだ7時であった。
9日前は相方が急に家にやって来た。自分は起きたばかりで昼食を摂ったばかりでパジャマであったが相方と近くの中華料理屋へと向かった。相方はいつもの様にホルモンを注文しご飯とスープを何杯もおかわりしていた。2人共足がなく近くのローソンでバイトをしている幼なじみのバイトが終わるのを待った。幼なじみのバイトが終わるのは6時であり自分達は暇でローソンに無料で置いてあった教習所の案内を見ながら赤岩と言う川へ向かった。赤岩へ向かう途中の川沿いの細い道を上半身裸に短パン、サンダルとラフな格好で練り歩いた。やっと赤岩へついた。赤岩に入る為にはコンクリートで固められた2メートル程の斜面を下りないといけない。自分はいつもの様に飛び降りたつもりであったが足に植物のつたが絡まっており自分は下の岩に叩きつけられた。上から相方が笑う声が聞こえた。自分は骨折れた骨折れたと言いながら手首をブラブラさせていた。未だに手首は痛いままである。相方と2人で赤岩へ入った。いつもの様に川の水は冷たくそしてちょっと臭かった。ダラダラ飛び込みのできる岩まで泳ぎいつもの様にダラダラ岩の上で話をした。また泳いで服がある所まで戻った。パンツを絞ってからまた履きいつもみたいに岩に腰掛てパンツが乾くのを待った。又ダラダラと歩き幼なじみがいるローソンへ向かった。相方はハニーと呼んでいるらしい女性の話をしていたが自分はスベっていると言っていた。ローソンに着くとちょうど6時頃であり幼なじみの車に乗り3人で加美町の祭りへ行った。相方と2人でダラダラと祭り会場を練り歩いた。中学校の時の友達や高校の時の友達と出会った。祭りが終わるとまた幼なじみの車に乗り西脇へ帰り相方の提案でカラオケに行く事になった。カラオケから家が近いテルくんを誘い4人でカラオケをした。幼馴染が恥ずかしがり歌を歌っていなかった。4人で少しだけ歌を歌いそれから相方を送り届けに八千代へ向かった。いつもの様に鹿探しになり幼馴染のテクニックがあらわになった。沢山の鹿を見る事ができた。本当に小さな小鹿もおり可愛かった。
その次の日からなんやらかんやらテル君や相方、シーサーともう1回遊んだり色々あったが忘れた。
3日前に西脇で祭りがあり相方と行った。先に会場へ着いた自分はテルくんとインド人と合流して西脇出身のネオスカバンドのドーベルマンのライブを聞いていた。自分は昔スカばかり聞いていたのでテンションが上がった。普段の彼等のライブなら本当に盛り上がっていたであろうが祭りと言う事もありおっちゃんやおばちゃんもたくさんおりイマイチ盛り上がりに欠けていた。ライブが終わると同時に相方はやってきた。4人でダラダラ歩いた。自分のホームである西脇、本当に沢山の懐かしい顔と出会う事が出来た。片手にビールを握り締めた幼馴染の友達が本当にファンキーであった。相方と元相方も顔を合わせていたが初対面であり相方には気まずい思いをしたであろう。ちょっと申し訳なかった。
その次の日は幼馴染とライオンキングを見に名古屋まで行って来た。幼馴染が朝10分遅刻したが為に予約していたバスに乗れず新幹線で名古屋へ向かった。新幹線の速さに本当に驚いた。なんやかんやで10分の遅刻のせいで2人で2万円くらい損した。自分は感性が貧しいせいかライオンキングは幼馴染の言う程の感動はなく舞台や衣装の作りがすごいと思ったぐらいであった。ライオンキングが終わると帰りのバスまで2時間程の時間があり幼馴染はなんやらかんやらお土産を買っていた。自分は座っていた。帰りのバスは3時間もあり本当にダレた。西脇へ帰るのが面倒になり自分はアパートへ1人で泊まる事にした。
次の朝起きると体調がすこぶる悪かった。冷蔵庫には何もなく近くのローソンで牛乳を買うとアパートで1人ナルトを見ながらシリアルを食べた。キテレツを見逃した事にガッカリしながらまた眠りについた。目覚めた時は夕方でそれかバスに乗り電車に乗り換え家に帰った。ダラダラと本を読んでいると朝になり朝食を摂り今日記を書くに至っている。本当にダラダラである。今日は楽しみにしていたキャッツのキャンプである。台風が来ているのが少し心配である。

ゆるりと過ごす田舎暮らし

2005年08月22日 | RYOTA
家族がベトナムに行ってしまったので、朝早くから犬の散歩をやらなければならない。朝7時にアラームをセットし、パッと起きて犬の散歩をした。田舎の朝は空気が冷たくて澄んでいてすがすがしい。今日は一日中だらだらしていた。大阪にいる時はいつもエアコンをつけていた。しかしここにいる時はエアコンをつけていない。一日の中で最も暑い2時でも窓を開けて風を通せばそれなりに涼しい。田舎って素晴らしい。

カルチャーの祭

2005年08月22日 | RYOTA
意外や意外、カルチャーの祭に行ったのは初めてだった。そもそも祭は好きではない。祭自体にはなんらおもしろいことはないからだ。しかし大学に行って、皆バラバラになることによって久しぶりに会った友達とかがいる。そいつらと喋るのは楽しい。つまり祭は帰郷している時に行く、といことが重要なのである。

やはり西脇の祭ということもあって知り合いが無限にいる。高校のやつもいれば八千代っ子も大勢いた。相方の元相方とも喋れたしおもしろかった。

そっからジョイフルに行って八千代っ子達とだらだらしていた。帰ってきたら12時をまわったところだった。思ったよりはやかった。

深夜にだらだら

2005年08月20日 | RYOTA
昨夜ジョイフルに集合しだらだらした。テルくんとシーサーと相方の四人である。
ジョイフルからシーサーカーでへそ公園に行った。月の光に照らされた公園内の遊具には不思議な雰囲気があった。本当に月は明るいくらいで午前2時ごろだとはとても思えなかった。滑り台で左ひじを痛めたが楽しかった。

そっからまたジョイフルでだらだらした。外が明るくなってきたので帰ることにした。サークルKに行きテルくんにエロ本をおさいふケータイで買ってあげると外は完全に明るくなっていた。そこからすっと帰ってすっと寝た。家に着いたのは朝6時半くらいだった。

敗戦

2005年08月19日 | RYOTA
昨日の夜、司馬遼太郎の燃えよ剣を読んでいたので一睡もしなかった。
朝食を摂ってから少し寝たものの、寝足りぬまま高校野球が始まった。眠い目をこすりながらなんとか1回戦は見た。逆転に次ぐ逆転で非常に見ごたえのある試合だった。
楽しみにしていたのは当然2回戦の大阪桐蔭対、昨年優勝の駒大苫小牧であった。しかしあまりに眠すぎて1回表に寝てしまった。ハッと気づくと辻内が泣いていた。ということは負けたということなのだろうかと思った。見逃した悔しさに俺も泣きそうになった。

試合後平田が土を持って帰らなかったと聞いた。めっさカッコええと思った。

今日なくなっていた原付のカギを作ってもらった。9千円かかった。久しぶりに乗ったのでテンション上がって適当にいろんなところへ行った。白い煙がモクモク上がっていた。若干潰れる予感がした。

こんなんしたいだけ

2005年08月18日 | RYOTA
今日も甲子園はよく晴れて、球児達の汗が眩しく光っていた。そんな中ひときわ輝きを魅せるのが大阪桐蔭の4番、平田である。高校生にしては独特のスイングを持つ彼が今日、灼熱の甲子園で爆発した。まず満員のスタンドをだまらせたのが二回、左翼に向かって高々と打ち上がった打球はあわやフライアウトかと思われた。しかし彼の打球はそのままスタンドイン。東北サイド傾きかけていた流れを、彼の一発で一気に引き戻した。すると四回、今度は左中間へ打った瞬間それとわかるライナー性の一発。湿りがちの打線の中、彼のバットだけが火を吹きこれで2-0。
しかし怪物・辻内がピリっとしない。五回、二死満塁のピンチに迎えるバッターは東北の四番・成田。カウント0-1から甘く入ったストレートを見逃さなかった。完璧に捉えた打球は走者一掃のスリーベース。これで3-2。頼れる四番の一打で一気に逆転を許す。さらに得点を許し、4-2と二点ビハインドで迎えた五回の裏、またまた彼がやってくれた。今度は右中間への大きな当たり。入るかと思われたが、浜風に戻され結局フェンス直撃のタイムリーツーベースとなった。三打席連続のHRとはいかなかったものの、観客を沸かせるには十分の当たりだった。ゲームは東北リードのまま七回へ。

誰もが息を呑んだ瞬間だった。彼の放った打球はもはや奇跡ではなく、彼の高校生離れしたスイングがその必然性を物語っていた。
二塁にランナーを置いて迎えるバッターは四番・平田。東北の二番手・三浦の投げた初球が甘く入った。当然平田がそれを見逃すはずがない。センター方向に振り抜いた打球はぐんぐん伸びて行き、そのままバックスクリーンに吸い込まれた。その日三本目のアーチに満員のスタンドは一瞬、静まり返った。すると次の瞬間、怒号のような歓喜の声が甲子園を包み込んだ。逆転ツーランホームラン。この瞬間彼は、高校最強の名を欲しいままにした。
八回にも一点入り結局そのまま大阪桐蔭は6-4で東北を下した。終わってみると平田の成績は4打数3HR1タイムリーの5打点と大活躍。もはや平田なしでは大阪桐蔭の勝利は難しいと言えるだろう。一試合3ホーマーはあの清原以来史上二人目の快挙である。清原の持つスター性が平田にはある。将来が「楽しみ」という言葉以外に何も思いつかないのは私だけだろうか。

墓参り

2005年08月17日 | RYOTA
今日は予定もなかったのでダラダラ高校野球を観るつもりだったのだが、加古川に墓参りに行くことになった。
母の実家で小休止してから墓に行った。俺は墓前で手を合わせながら「原付のカギが見つかりますように」と祈った。

帰りに雨が降ったりやんだりした。自分がいるところの地面は濡れていないのに、ちょっと向こうでは雨が降っているのが見えていた。母はワイパーをつけたり消したりしていた。少し車が欲しくなった。