100万パワーズ日記

100万パワーズがあなたに幸せをお届けする

今日も

2005年03月31日 | RYOTA
最近出掛けない日はない。必ずどこかへ行く。今日総合エンタテイメントの横のでかいスーパーとそれと合体している100均に行ってきた。そのスーパーは雑な感じで市場のような感じだった。磯の香りもしていた。牛乳とパンと卵と野菜を買った。超熟が105円だった。105円で一斤は安い。他にもいろいろ安いものがあった。そういうのは見るだけでも楽しい。100均でもいいものを見つけた。ナタデココのシロップ漬けである。結構大きい瓶で早速ヨーグルトにいれて食べるとうまかった。これが105円というのもおおきい。

俺は主婦かね

覚のおもしろ日記

2005年03月31日 | SATORU
明日自分は学校がありテストに行く。そして荷物やら何やらかんやらを運んで行って住む事になる。道具も全く揃っていないし全然楽しみはない。インターネットも勿論繋がっていない。なのでこれから少しの間は日記を書けないのである。
あー明日ダルいなー。

覚のおもしろ日記

2005年03月31日 | SATORU
口とは違いピアスを隠す事ができないので父と母に「ピアス開けるで」と言った。自分の親は昔の人でありもちろん自分がピアスを開ける事に反対していた。「せっかくキレイに生まれたのにワザワザ自分に傷付けんでいい」とか言われた。それでも自分は開けたいと言った。おじいちゃんやおばあちゃんが悲しむと言われた。ちょっと悲しくなった。自分は本当におじいちゃんとおばあちゃんが大好きだからである。おじいちゃんやおばあちゃんにすれば髪を染める=不良の発想である。ましてや孫がピアスを開けるなどおじいちゃんやおばあちゃんにとっては天地がひっくり返る程ありえない事なのである。
おじいちゃんやおばあちゃんは本当に優しい。自分は1度も怒られた事がない。おじいちゃんやおばあちゃんには今7人の孫がいるがみんな対等に扱ってくれる。未だ2歳や生まれたばかりの孫もいる。当然自分みたいなハゲや兄の様なもう大人より確実に可愛いのにだ。いつもニコニコして自分に優しく話しかけてくれる。自分や兄にとっておじいちゃんやおばあちゃんは神様に近いと言っていい。神様と言うのは少し大げさであるが、キリストやガンディーのような徳の高い人のような存在である。自分や兄がおばあちゃんの家に行くと決まっておじいちゃんやおばあちゃんは自分達に1万円をくれる。自分達が田畑を汗水たらし育てた米や野菜を売りやっと儲けたお金なのにである。自分と兄はいつも「いらない」と言うがおじいちゃんやおばあちゃんは「もろときもろとき」と言いお金を渡してくる。自分と兄はその場ではお金をもらうが、ドアの間に挟んだりしてお金を置いてくる。もちろんもらう事もあるが。本当におじいちゃんとおばあちゃんには頭が上がらない。そんなおじいちゃんやおばあちゃんを悲しませたくはない。しかし兄はもうすでにピアスを開けている。いつもおじいちゃんやおばあちゃんの前では外しているが。だからおじいちゃんやおばあちゃんには何か悪い気もするがピアスを開ける事にした。
ピアッサーを使ったからか痛みが全く無かったのに驚いたがピアスが開いたが嬉しさはない。親とおじいちゃんやおばあちゃんに悪い気がした。ピアスもやっぱり自分には似合っていない気がする。右にも同じピアスを開けようと考えていたが周りの反応を見てからにしようと思った。やっぱり外そうかとも考えている。

覚のおもしろ日記

2005年03月30日 | SATORU
今日は鍋とか1人暮らしの道具を買いに行った。別に鍋と洗濯物乾しくらいしか買ってない。向こうで買えばいいみたいなノリである。買い物をしている間1人暮らしの想像をしていた。バルコニーで何か食べれる植物を育てようと思った。車を買う為にお金を貯めたいので自分は当分自転車で移動しようと思いBMXや24インチのMTBとかかっこいい自転車に乗ろうとか考えた。あと今からピアスを開けようと思う。今日ピアッサーを買ったからである。男がピアッサーで穴を開けるのは負けだと思うがどうしてもキレイに開けたかったので買ったのである。やっぱり負けであると思う。自分は高校1年の時に口にピアスを開けていた。その時は家にあった焼き鳥用の竹串で開けた。学校や家でもバレない様に常に着けたり外したりしていた。そのせいかばい菌が入り膿がいっぱい出て来てイボみたいに腫れ上がっていた。今でも微妙に後が残っている。自分はそれが嫌なので耳はキレイに開けたいと思いピアッサーと言う負けの手段に出たのである。何か自分は耳のピアスが似合わない気がする。

なんか

2005年03月30日 | RYOTA
いろいろ野菜とか買ってつくるよりも5時くらいに半額になるお惣菜のほうが安いんちゃうかと思った。今日も唐揚げが8個で110円、エビカツ巻きっていう巻き寿司が1本150円とかを買った。
なんだかなぁー

覚のおもしろ日記

2005年03月29日 | SATORU
シーサーはカラオケに行っても歌を歌わない。
冬の寒い日、相方と落とし穴を掘った。シーサーは見事に落とし穴にはまりパリーンと弾けた。自分と相方は上から土をかぶせ水をまいた。やがてシーサ-が埋まった所からは豆科の植物が芽を出した。相方と自分は豆科の植物にシーサーと名前をつけた。次の日に学校へ行くと豆科の植物は寒さのあまり割れていた。自分は「やっぱアカンな」と言った。相方は「だってシーサーやもん」と言った。ちゃんと育っていればどんな実がなったのか自分は気になっていた。多分豆だと思った。今度は外国産のシーサーにしようと2人で話し合った。外国産のシーサーは非常に割れやすいらしい。来年の冬は忙しくなりそうである。

日本人であること

2005年03月29日 | RYOTA
朝、足立さんとトーストを食べ彼を駅まで送った。いいともが終わるくらいに昼飯を食べた。ホルモンに火を通し、水菜、もやしを軽くいため、うどんとキムチを加え、ホルモンについてたタレ、塩こしょう、コチュジャン等で味付けすると、。辛口ホルモンうどんの完成である。食べるときにレモン汁をかけてさっぱりと食べた。中々美味だった。夜はしそ餃子と味噌汁とごはん。味噌汁を作るのは小学校の時の調理実習以来だった。ダシに水菜ともやしとワカメを入れ、味噌を適当な量溶いて入れた。これまた適当に作ったが普通にうまかったでしかし

遊びすぎ

2005年03月29日 | RYOTA
朝はパンにキュウリ、トマト、目玉焼きを挟み、マヨネーズのノリを食べ、昼は小さな土鍋で鍋焼きうどんを食べた。夜にしーさーが来て、その足で牛角に行った。何故か俺のおごりだった。帰ってからスーパーで買い物をして、また総合エンタテイメントの建物に行った。卓球、ビリヤード、ストラックアウと、バッティングマシン、ボーリングをした。何をやっても定額制でオトクだ。少し出費を押さえんとあかんわけやでしかし。

明日はまた天王寺まで行って、家具を買うつもりだ。

覚のおもしろ日記

2005年03月28日 | SATORU
今日は高校のクラス会があったが、幼なじみが持っていくや持って来ないやらでグダグダになり、結局持って来ないで自分は1日中何もできないで時間もグダグダになり結局行かなかった。めっちゃ楽しみにしていたので本当にシケた。久しぶりに親とケンカした。今日は何かついてない。雨やし。今からコンビニに行こうと思う。

覚のおもしろ日記

2005年03月28日 | SATORU
一昨日から昨日にかけて相方の家に泊まりに行ってきた。最初自分は大阪へ買い物をしに行くだけの予定であった。アピカと言う西脇で1番高いであろうビルの下からバスが出ていて1時くらいのバスに乗った。土曜と言う事もありバスには結構人が乗っていた。しかしいつもの事ながら自分の隣の席は開いていた。心地良いバスの揺れと温度にウトウトしているとスグに大阪に着いた。千里中央から心斎橋までは電車で移動した。何人か立っている人もいたのにやはり自分の横の席は開いていた。心斎橋ではピアスを買った。相方とメールをしていると「暇やから泊まりに来たらいい」みたいな事を言われたので昨日は徹夜をし疲れていたし本当はスグに帰ろうと思っていたが泊まりに行く事にした。ナゼなら自分は人の誘いは本当に用事がある時以外絶対断らない10割りバッターだからである。相方は天王寺で家具などの買い物をしているとの事であるので相方の言う店に向かうことにした。電車での移動中自分の横に若い女の人が座った。自分は恥ずかしく下を向いていた。自分のシャイボーイ加減に嫌気がした。相方と合流すると相方はスグに会計を済ませた。2人で相方の家へと向かった。電車に2人で乗ったが、やはり自分の横には人が座らなかった。相方とその事について話をしていた。途中変な家族がいて相方が立った少しの間に荷物を置いていたにも関わらず相方の席を取ると言うモラルハザードをしていた。その家族は自分の横にも座ると言うファインプレーもやってのけた。自分の横に座ったのはその家族で1番幼い男の子で2歳か3歳ぐらいの子であった。途中自分の親指を小さな手で握り締めていたのが可愛いかった。相方の住む富田林に着くと前回とは違いスグに2人で相方の家へ向かった。テレビを点けるとヒーローズと言う新しい格闘技のイベントがやっていて宇野薫が画面に映っていた。めっちゃ強そうなロシア人が弱くがっかりした。プライド程の盛り上がりは自分にはなかった。相方がまた手料理を自分に振舞ってけれた。今回はホルモンを味噌ベースの何かやコチュジャンで炒めたモノとゴマ油のいい香りがするスープであった。やはり相方の料理は美味しかった。愛のエプロン出たら確実に優勝するなと思った。
愛のエプロンに優勝と言う概念はないが。
相方の家にはテレビ以外なく自分は外で何かしようと何度も誘った。相方は面倒臭そうにではあるが一緒に行ってくれる事になった。相方は首に服を巻いたり、ズボンを2枚履いたりズルリとしてみたりしてみたりとワケの分からない服の着こなしていた。相方はウケると思っていたようであるが自分はスベっていると思っていた。24時間開いているエンターテイメントな建物に入った。建物は館員制でカードを作らないといけなかったので自分は適当に田中辰也と言う名前を書いて住所もデタラメに書いた。相方が自分の服装が滑った事にようやく気が付いていた。建物内ではビリヤードやお風呂、ロッククライミング、テニス、ボーリング、釣堀などなど他にも沢山できる事があり時間内なら何をしてもいいシステムなのであるが相方と自分は最初から最後まで4時間半カラオケをだけをした。2時半に家に帰るとテレビを見た。テレビではお笑い番組がしていて中山こうたが出ていた。相方は風呂に入っていた。続いて自分も風呂に入った。自分が風呂に入っている間に相方はチュウハイを飲んでいたらしく相方は布団で眠りにつこうとしていた。勿論起こした。今日買ったピアスの袋を開けると上から踏みつけられたのか金具がぐしゃりと折れ曲がっていた。真っ直ぐに直そうとしたがキレイには直らなかった。相方とダラダラ話しをしながら5時まで起きていた。相方の声がゴロゴロになり本当に眠そうだったので寝る事にした。自分は7時に起きたが相方は寝ていた。帰る用意をした。横では相方がクチャクチャと気持ちの悪い寝息をたてていた。起こすのも悪いと思ったので、そっと家を出る事にした。置手紙か何かしようと思ったが合えて何もしなかった。窓を開けて何か窓から出て行ったみたいなボケをしようと思ったがやめた。外に出ると風は思ったほど冷たくなく自分はがっかりした。駅に行くまでの道のりに野良犬のコーギーがいて何かうれしかった。なぜかそこに都会を感じた。途中コンビニに寄りお茶と焼きそばパンを2個買った。駅に着いたが電車がなかなかこなく駅でパンを食べた。だいぶしてから電車が来た。やはり自分の横には誰も座らなかった。相方に「今帰りよります」ってメールを送った。バスが来るまで1時間程時間があったので漫☆画太郎の漫画を2冊買った。バスにはほとんど人が乗っていなかった。何か特をした気分になった。バス停には兄が車で迎えにきてくれた。自分は帰ったらスグに寝ようと考えていたが昨日おばあちゃんが足の骨を折ったらしく、自分と兄でおばあちゃんちに片付けなどをしにいった。畑を耕したり、最近リフォームしたおばあちゃんちにあるいらないものを運んだりした。本当に疲れた。取り合えずグダグダの日記を書くと泥の様に眠りについた。この日は本当に疲れた。

いろいろ

2005年03月27日 | RYOTA
正午くらいに目が覚め、駅前のダイエーに買い物に行った。3000円の包丁とまな板、ケトル、ホルモン等を買った。昼は王将に行った。焼きそばとライスと餃子を食べた。夜はあまり腹が減っていなかったので、昨日の残りのひやご飯とコチュジャン、ラー油を駆使して卵でとじ、韓国風雑炊を作った。ちゃんと洗い物もした。大学やバイトが始まったら面倒くさくてできないだろうなと思うでしかし

無限

2005年03月27日 | RYOTA
また相方が来た!またバンメシ作って食ってから近くの総合エンタテイメントの建物で4時間半カラオケをした。んで今帰ってきて風呂はいったわけだ。また寝ずに暴れることになるだろう。今相方は風呂に入っている。今日いてもたってもいられず天王寺まで出てHOOPの無印で枕やトイレカバーなどをかった。明日はゆっくりして月曜にはベッド買いにいこうと思う。今ならなんと送料無料なのだ

覚のおもしろ日記

2005年03月26日 | SATORU
今日はパソコンの調子が悪く日記が書けなかった。昨日徹夜していたので今日は朝8時ごろに朝食を摂ると9時半ぐらいに寝た。起きたのは3時ごろであった。起きてもやることは無くダラダラしていた。ピンポンピンポンピンポンピンポンと忙しく呼び鈴が鳴った。この呼び鈴の鳴らし方はいつも決まって「けんしん」である。けんしんは自分の家の裏の家に住んでいた今年から小学校に通う男の子である。今はもう自分の家の裏には住んでいなく、そこは彼の父親が働く会社になっている。彼の父親はメガネと細身のジーパンと坊主が似合う方で雰囲気がありすごくカッコイイ。自分もこんなおとなになりたいと思う程である。また彼の母親もキレイな方である。そんな美男子美女の間から生まれたけんしんもやはり男前である。けんしんには今年中2と小6になる年の離れたお姉ちゃんがいるがやはり彼女達もそうとう可愛らしいのである。今でこそたまにしか遊びに来なくなったが最近までしょっちゅう自分の家に遊びに来ていた。いつも呼び鈴を忙しく鳴らし玄関のドアをドンドンと叩き「兄ちゃ~ん」と3歳のころから遊びに来ていた。自分は子供が好きなので自分を誘いに来てくれた彼とはいつも遊んでいた。自分の家から徒歩10秒で公民館があるのであるが彼とはいつもそこで遊んでいた。最初はかけっこだったり自分が抱え上げてアクロバティックな動きをしたら喜んでいたが、そのうち落とし穴を掘ったり一緒にする遊びに変わり、そのうちルールのある遊びや会話、足し算や引き算などのクイズになっていった。本当に月日が経つのは速いと思う。彼は最近野球にハマっているようであるが今日はグローブを家に忘れてきたと言う事であったので公民館の階段を使いジャンケンで階段を上り下りする遊びをやった。久しぶりに遊ぶので張り切り過ぎデジカメを落としカメラに傷が付いた。彼の頭は以前のサラサラヘアーではなく坊主頭になっていた。「おとうちゃんにやられた」と彼は言っていた。彼は自分の分はないのにも関わらず自分に1つのチョコレートをくれた。成長していると思った。自分はお返しにアメをあげた。彼はありがとうと言いアメの包み紙を捨てないで自分のポケットにしまっていた。彼に可能性を感じた。彼は頭やおでこから血が出る程のケガをしても泣かないで我慢するほど元々手のかからない子であったが更に手のかからない子になっていた。「兄ちゃん大学で大人になってもずっとけんしんと仲良しやったらいいのになー」と言ってくれた。嬉しかった。彼の両親が仕事を終え彼を向かいに来た。彼の母親は自分に「いっつもありがとう」と言い。けんしんは大きな声で「また遊ぼなー」と言って帰っていった。彼は将来何になるだろうと考えた。彼は運動神経もいいし、未だ小学校にも行ってないのに足し算や引き算もできるし、平仮名やカタカナ、英語も読めるのである。彼の将来が本当に楽しみである。芸能人になって自分も小さい時に遊んでもらった兄ちゃんみたいな感じでテレビに出たいと思った。

イラン戦

2005年03月26日 | RYOTA
始まる前に2-1で負けるっていう予想をした。香取しんごが1-0で勝つと言った後に「あほか2-1で負けんねん 髪型ころころ変わりすぎやねん」と俺は言った。予想は当たって日本はイランに2-1で負けた。予想なんて虚しいものだと思う。点数を予想して当たったところで何があるというのだろう?そこには本当に何もなかった。

明日はついに実家に別れを告げ、大阪に移り住む日である。なんか楽しみ。ネットはまだ繋がってないのでしばらくは携帯からの更新になる。