じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

田んぼから裏山へ

2021-04-11 17:07:48 | 日々の雑感
あれです、田んぼのついでに我が家の裏山方面にある大國神社の「杜の小径」の「カタクリの里」ってところへ足を伸ばしたわけであります。

いや、自転車だと田んぼから836回くらい漕いだら大國神社なんでワンセットでして、桜がキレイなので行って見た次第であります。

あれです、野山ならコロナも大丈夫って思うのか、それとも霊験あらたかな神社なので安心しているのかは分かりませんが、そこそこの人出でありました。
とは申しましても敷地が広いので密かと問われると完全に疎でして掟破りではないのであります。

で、自分の狙いは盛りを過ぎたカタクリでは無く新芽であります。
自分は山野草的花の類よりも木々の新芽と若葉が大好きなのであります。
いや、梅雨時の若葉もキレイですがそれよりは未だか弱さの残る新芽が好きなんであります。

鳥が桜の花を啄んでいました

さくら です

で、神社の脇からカタクリの里へ登って行く間が桜並木でしてほとんどの人はこの辺りをウロウロして帰るわけです。

過去と現在と未来 なんちゃって

折角だからカタクリもパチリ

とにかく若いのが好き なんちゃって

二本咲いてても ヒトリシズカ


新芽の勢いが好きです なんちゃって

あれです、裏山の散歩で気分が晴れたのかぐずついていた体調も復活した感じであります。

いや、不調の元は花粉かと思っていたんですがドーパミン不足だったのかもしれませんね、なんちゃって。





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春の小川は

2021-04-11 16:53:56 | 日々の雑感
体調良く無いし金も無いしコロナだし、ってことで家の近所の田んぼに春を求めて出かけてみました。

いや、桜が咲いて春爛漫ってのは一部地域の話でして我が家地方の田んぼはなんと無く早春って感じでありました。

春の小川というよりも田んぼの用水路ですが

枯れ野にやっと草が生えた感じであります

色気のある花はタンポポだけでした

春の小川はサラサラいくよ

春の水のぬるっとした感じを撮りたくて

春の小川の力強さを なんちゃって

春の小川はキラキラ行くよ

と、いうことで取り留めのない小川の散歩写真でありました。

いや、ホントは久しぶりに大きなカメラを持って行こうと思ったんですが100マクロと200ミリの二本を持ったら自転車の前カゴに入らなかったんであります。
なので毎度のコンデジでありまして、まっ、ドーでも良い話でありました、と。



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引き篭もっても青空

2021-04-11 13:13:26 | 日々の雑感
いや、少し具合が悪いんで・・・いやいや、それ違う、懐具合が悪いのでは無く頭の具合が悪いので外出は控えているわけです。

しかし、昨日と今日は良い天気ですなぁ〜 日本列島くまなく晴れとNHKの人が仰ってましたが多分ホントーでありましょう。

で、こんな天気なんですが金が無い事も手伝って家に引き籠もっているわけですが青空を見るとどーしても勿体無いって気になって仕方が無いわけであります。

と、言う事で、冴えない体調はひとまず置いといて畑の手入れなどした次第であります。

まっ、草搔きをしたり畝を整えたり肥料をやったりと、言って見れば不要不急の作業なんですが暇つぶしにやってみました。

で、インゲンの種を蒔いて半月以上になるのに全然起きてこないので心配して掘ってみたら、種の豆が消えているんであります。
これじゃいくら待っても発芽するはずはないわけでして、土鳩に食われちまったんですね。

それにしてもアレ、種まきの時に土鳩に見られていたとは思えないんですが、奴はドーやって豆が埋めてあるのが判るのか不思議であります。

で、ツグミが畑でミミズを掘り出す時などもほぼピンポイントで嘴を差し込み掘り当てるわけですが、ドー見てもミミズの姿が見えているとしか思えない動きであります。

あれです、土鳩もツグミもソナーとかレーダー様の装備が備わっていて地中の豆やらミミズを探知できるんですぜ、きっと。

いや、インゲンの種をまた買ってこなくちゃなりませんけど、次は土鳩の野郎に痛い目を見せてやる所存であります。

ミャンマー、大変な状況ですね。
で、ふと思うんですが、ミャンマー市民は誰と戦っているのか、なんてね。

これ、自分に置き換えた時、日本国政府のやり方がどんだけクソッタレでも自分は命を賭して戦うなんてことはしないわけです。

いや、理由は簡単でして、一般市民が命掛けで蜂起して仮に政権を倒したとすると、一般市民の後ろには反政府のスポンサーがいるわけでして、倒した後はどーせ一般市民とは無縁な政治になると確信するからであります。

ミャンマーの不幸は隣が中国でこの国の港からはマラッカ海峡を通らないってことですね、なんちゃって。

由らしむべし知らしむべからず・・・巧い言葉であります。

北朝鮮のこれは英断でありましょう、なんちゃって。

いや、現実的には金が無いんで選手の派遣はできないってことだと思いますけどね。
コロナが言い訳になって将軍様も顔が潰れず助かったと思っているはず、なんちゃって。

1945年第二次世界大戦終戦から2001年までに、世界153ヵ所の地区では、248回の武力衝突が起きた。そのうち、米国が参与したものが201回で、全体の81%を占めている。また、米国が引き起こしたこうした大多数の侵略戦争は一国主義によるものである。こうした戦争は多くの兵士たちの命を奪っただけではなく、数多くの平民の死傷および財産の損失をもたらしており、驚愕的な人道主義の禍を招いた」としました。

と、中国人権研究会は宣いましたが、これは弩正論でありましょうぞ!!!

しかし反面、どの口がそれを言うかでもありまして、目くそと鼻くその言い合いと憲法9条に守られた日本国民の私は思います、なんちゃって。

いや、アメリカの戦争は正しい戦争で、中国の侵略は諸悪の根源というのが西側諸国の一貫した認識なので今は何を言っても詮無いことであります。

あれです、北朝鮮やミャンマーや中国にしても市民の声としてジェンダーがどーのってのはあまり聞きませんね。

それってドーなんですかね、食うや食わずだったり自分らが普通に持っている自由なんてのが無いと出てこない発想なのか、なんてことを思うんですが、まっ、いいでしょう。

そっかぁ、仙台市民は皆さんとてもおりこうさんにしているんですね。

コリアンタウンとして知られる新大久保(新宿区)には、飲食店や雑貨店の前に若者の行列が。幅の狭い歩道に店が並び、行き交う人たちが密になりやすい。埼玉県狭山市のパート女性(48)は東京にまん延防止措置が適用されると知り「今日しかない」と決断。家族と初めて訪れ、あまりの人出に驚いた。「この街ではみんなコロナを忘れているよう。早く帰ります」

それに引き換え東京の人のなんと不埒な悪行三昧、天に代わって成敗したくなりますよ、なんちゃって。

しかし、上記の貼り付けの人のご意見、バカじゃねと思ったのは私だけでありましようか?
まん防が適用される前の駆け込みを狙ったのもアレですが出かけて見たらあまりの人の多さに驚きさっさと帰る、とは笑止千万!!!

要するに貴方と同じ考えの人が集まったわけでして、そういうの同類項って言うんですぜ、なんちゃって。

いゃ、ミャンマーの騒動の裏側はホントーのところネットの記事など拾い集めても分かりません。
まっ、いつだって一般市民に真実なんて知らされていず、なのでアラブの春が思い出されてならないんですけれども、まっ、いいでしょう。






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不調だ な

2021-04-11 08:45:20 | 日々の雑感
久しぶりに布団から出るのが億劫な朝を迎えました。

自分の人生で一番布団から出たくなかった朝というのは、やっぱしあの日、ですね。

あれも寒い朝でありました。
目が覚めるまではとても気持ち良かったのも鮮明に覚えております。

なんと申しましょうか、あれは恥ずかしい歳になってからの寝小便ゆえ60年経った今も心の傷として残っていると思うのですが、まっ、いいでしょう。

が、さすがに今朝は寝小便が原因ではありません。

まず、寝覚めの感覚がじんわりと寒いのでありました。
いやいや、布団は冬のままですのでそれは無いと思います。

で、いつもの時刻を過ぎても目が開かず、タイマーで鳴ったラジオを耳の遠くで聞いたまま頭まで布団に潜っていたわけであります。

いや、そのまま眠っていたい気持ちは山々だったんですがトイレへの欲求も強く仕方なく起きた次第であります。

そしてトイレに入った途端、下の方の放水に伍して鼻水が流れ出たわけで、止まることの無い、言って見れば滝のような鼻水と寒気に不調を確信したわけであります。

で、起きてしまったので朝飯の席に着いたわけですが、質素な朝飯をいつもと変わらずに食べられ、コーヒーも飲んで、一服したら庭の野菜の育苗箱の見回りもして、と活動してしまうと大して不調でも無い感じなのですがふと気がつくと鼻水が垂れ頭が重いのであります。

と、いうことで、これはコロナか風邪か、と疑ったんですが、もしやと思い調べてみたら、我が家地方の花粉は「多い」でありまして、症状のある人はとてもツライ・ツライ・ややツライを含めると6割を超えているわけであります。
そーすると自分の原因もこれかな、と思った次第でありますが、コロナだったら笑っちゃいます、なんちゃって。

で、朝から取り留めのない話でアレなんですが、ここ暫く死生観と言いますか、仏様の教えを元に老いと死を考え、何度かブログにまとめようとしているんですが頓挫しているわけであります。

何度も書きかけては途中で行き詰まり下書きに仕舞い込み完成しないわけです。
で、下書きを読み返し手直しでなんとかならないかとやってみるんですが矛盾点を乗り越えられず前に進まないのであります。
それはどの下書きも書きたいことは同じなのに角度を変えているだけ、と言うことで壁も同じところだから、と思うわけであります。

なんと申しましょうか、この行き詰まりを考えて薄々わかったことがあるんですが、自分ごときの盆暗が明確な筋を立てられる命題では無いと言うことでありまして相手が悪かったのであります。

で、自分の感じる壁は、社会を支配するのは現実であり理屈は無力である、と言うところから始まるわけです。
釈迦もキリストも素晴らしい言葉を残し、それが真理というのは疑い無いわけであります。
が、しかし、真理で腹はくちくならないし、政治も変わらないのが現実でありまして、過去にこれを乗り越えた歴史を自分は知らないわけであります。

で、釈迦もキリストも意識(無意識か?)でそこを乗り越えろ、それこそが安寧の世界なのだと説くわけです。

ここなんであります。
痛いの痛いの飛んでけぇ〜で騙される年頃は別としても、現実社会には納税の義務やらと生まれただけで背負わされる荷物があるわけで天上天下唯我独尊が揺らいでいると思うのであります。

さて、話が怪しくなってきたのでオチに向かいたいんですが、現代社会は釈迦やキリストの想像を超えてしまったのかと自分は思うのであります。

なので真っ当な真理が霞んでしまい矛盾を生じているのだと思うに至ったわけです。

で、オチは真理と相対する社会に矛盾が生じる、でありますが、矛盾は当然相容れないわけです。
と、言うことで、真理はいつだって真理ということは、間違っているのは社会なわけであります。

なので、間違った社会に生きる人は真っ当な感覚を持つ者ほど苦しくなるのが道理なのであります。

と、言うことで、生き死にが面倒な話になっているのも社会が歪んでいるからってことでオチにしたいと思うんですが、はい、そこの貴方の異議を認めます。

うーん、結局老と死には至れませんでした。

練り直そう、なんちゃって。






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