東寺から徒歩で京都駅に行きバイクを駐輪場から引き出し向かうは「銀閣寺」であります。
紙の地図で確認すると本日回る予定の寺で銀閣寺だけが左京区で離れているのであります。
ならば最初にやっつけておこうという魂胆で向かったんですが、同じ道を何度も通っている感じがしたのは私の錯覚では無く昨日建仁寺に行くのに通っている道なのでありました。
閑散としていた銀閣寺への参道
一説によると観光客の入らない銀閣寺を撮るなど至難の技、と聞いていたわけですが参道に人の気配がないわけで、これもコロナかと思いつつ登って行きました。
大きくは無いが端正な総門
恐らくコロナでなければ外国人も含め大勢の観光客で混雑するであろう銀閣・慈照寺は山門まで来ても静かでありました。
入りと出の仕切りが平時の混雑を思わせる
総門と呼ばれる門をくぐった自分はまずは石積みの上の竹垣に目を見張りました。
なんと、石垣の上に丈の短い建仁寺垣が組まれているではありませんか。
これは・・・これが銀閣寺垣か、と美しさに見入るとともに、一切中を伺え無い仕掛けに驚いた次第であります。
この松不思議に見えませんか
で、中門で木戸銭を支払い一歩足を踏み入れた途端、左手に見えた松に私ゃ腰を抜かしました。
私とても植木屋の端くれ・・・いや、見習いの端くれではありますがこんな不思議な松は有り得ないと思ったわけであります。
しかし、後ろから人が来たのでどー考えても分からないまま先へ進んだ次第であります。
教科書通りの庭
いや、参りました。
自分のような半端者にはとても手の出せない緻密で精密な仕立ての庭で有ります。
全てが計算され繊細の極みとばかりに調和している様は過去のどの庭にも無いものでありました。
あれです、桜の盛りや紅葉では色に惑わされかえって見え難いかも知れない繊細さなのかと思いましたが他の時期を知らないのでなんとも、であります。
銀沙灘と向月台と銀閣
銀閣寺を訪れる前の自分は写真の向月台を見て、なんだこりゃ、と思っていたわけです。
しかし、銀沙灘の向こうに向月代を置かずには銀閣の姿が浮かばないことを知り只々唸るばかりでありました。
なんという美意識で有りましょうか、銀閣だけを見に来るのも有りとしみじみ思った眺めであります。
足利義政のセンスに脱帽
この寺の樹木で手の入っていないものは恐らく皆無と自分は思いました。
さりげなく透かされた樹は幹や枝を自然に見せるんですがそれが絶妙なのでありまして、ここを日がな一日眺めていようかと真剣に思ったほどで有りました。
いや、回遊式になった庭園を歩くとそこかしこに手の入った跡が見られるわけで、苔や樹の根元などにも目を奪われるのであります。
さて、中門を入ってすぐ左手の五葉松ですが、どう見ても幹がひねってあるのです。
私ゃ自然木でこんなものは見たことが無くどーにも不思議で中門で入場券を売っている係りの人に尋ねてしまいました。
するとやっぱり、であります。
五葉松の元は義政公が盆栽で育てたものを地植えにしたのだそうで有ります。
いやぁ〜尋ねて良かった、であります。
次は 仁和寺・瀧安寺・金閣寺・延暦寺
つづく