じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

鬱病なんだなぁ~

2013-03-23 16:26:24 | 日々の雑感
おっさんはたぶん、かなりの確率で鬱病であると思います。

鬱病の特徴ってしってますか? まず、どういう人が掛かりやすいのか?
特徴の最たるものは・・・無類のスケベはなりやすい、です。

いや、生真面目で正直で、と言う、その手の医者が言う典型的な良い人が鬱になると言うのは、はっきり言って甘い。
実は、無類のスケベは、真面目な人よりも何倍も鬱になりやすいのです。
無類のと言う所が味噌でありまして、ちょっとやそっとのスケベは逆に鬱とは一番縁遠い所に居ます。

鬱で無類のスケベで有名人を捜してみようとWikiなど当ったんですけど、おっさんが認める程のスケベは居なかったようでしてもWikiも大した事はないですな。

アレ・・・池田満寿夫が鬱だったと言うのはおっさんの勘違いかなぁ? どこにも出ていないんですよね。
宮沢賢治や川端康成・・・自殺した作家は見なしてそうだと思って間違いないと言いますか、鬱じゃなきゃ名作は出ない・・・これは間違いないと思うんですけど。

鬱に関しては他にも巷で密かに囁かれる神話はありますね・・・草加学界には鬱が多い!!!
いや、これはアレか?・・・草加に入ると撃つになる、がホントか?

と、言う事で・・・おっさんは無類のスケベが災いして鬱になっちまったと言う、誠に持って可哀想な人な訳です。
いや、鬱の人に対しては頑張れ、とか、しっかりしろ、とか、励ましちゃダメなんですからね・・・怠け者とか言うのは禁句ですぜ・・・死ねって言うのに匹敵する訳です~。

ンじゃぁドーすれば良いのか? 優しく見守ってあげるのが一番と言いますか、生暖かく見守ってやるとつけあがると言いますか・・・まっ、面倒臭い奴なんで放っておくのが一番のようです。

しかし、無類のスケベをこじらせて鬱になったおっさんの様なタイプは、これまた無類の寂しがりやでありますから、常に誰かが傍に居てくれないと心が折れちまう訳であります。

で、この手の鬱の隠れた特徴として、自分の好むタイプの異性と接していると心が穏やかになり、下手をすると一気に「噪」の法まで触れちまう事も侭あると言いますか・・・それが最良の治療法であったりする訳です。

しかし、皆様もご存知とは思いますが、今でからこそ「鬱病」ナンてのが認知されてそれなりに理解されても居るのですけれども、その昔は怠け病とか言われまして随分と肩身が狭かった訳です。

で、只今現在でありますが、普通に認知されている鬱の場合はアレなんですけれども、無類のスケベが落ち込む鬱に対する認識と言うのはまだまだ低いものがある訳です。
世間ノメは冷たいと言う事であります。

先に申しましたように、無類のスケベが陥る鬱に対する最良の治療は、好みの異性と濃密な接触を図る事、な訳なんですけれども・・・コレが鬱の治療に役立つものである、と言う観点が抜けてしまった場合、それは単なるドスケベ、とか、淫乱とか、スケベ親父の病気がまた始まっちまったぃ、と、そう言う呼ばれ方さえしてしまうかもしれないと言う危険をはらんでいる訳です。

いや、鬱との戦いは筆舌に尽くし難いものである事は様々な所で語り尽くされている訳ですけれども、おっさんのような、無類のスケベが陥る鬱と言うものにも世の中の理解が早く及ぶ事を期待したいと切に望む訳であります。

アレっ? ナニを宣っていたのでありましたかな? おっさんが鬱であると言う事でありましたね・・・いや、ホントに、冗談は抜きにして、おっさんは鬱であります・・・それが証拠に、午後の四時頃から絶好調になっちまう訳です・・・いや、それで夜中も目が冴えちまって・・・悪循環の始まりですわ。

ヤベ・・・画像処理の急ぎの仕事が入っちまった・・・仏壇用の着せ替えです。

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夢と希望と・・・志

2013-03-23 15:33:58 | 日々の雑感
しばらく運動から遠ざかっているので、本日は土曜日・・・今日こそはジムに行って筋トレとストレッチと、それにトレッドミルでウォーキングなんかもして・・・体力増強に勤めなくちゃ・・・と、思っていたにも拘らず、手元不如意に付き、本日はジムには行けなくなっちまいました。

いや、手元不如意と言うのはアレなんですけれども、ホントの事ですけど、ジムは前払いの会費制なんで、行っても行かなくても銭は毟られる訳で、行った方が得な訳です。

と、言う訳で、行けない理由は・・・体調であります。
ダメなんですわぁ~昼飯を食ってからがドーにもコーにも眠いと言いますか、怠いと言いますか・・・オマケに子供のころから神童と呼ばれて明晰なはずの頭脳もダメでして、嫌韓ニュースとかを読んでも反応できない状態な訳です。

まっ、そんな状態ですからパソコンの前に座っても画面を見ている事よりも居眠りをしていたりする訳で、時折、来るはずもないと思って油断していると客が店に居たりして・・・誰もイネェのかぁ? お~ぃおっさん、寝てんじゃネェゾぉ~とか、呼ばれる訳であります。

ドーなんですかねぇ? もうこの歳ですからねぇ・・・放っておいたら簡単に衰えて終わっちまう訳なんですけれども。
で在りますから、身体を鍛えて体力と気力を充実させ続けたいと願っている訳なんですけれども・・・しかし、運動を続ける気力も湧かない程に参っちまった身体では・・・明日は暗いなぁ、と、思っちまう訳です。

ヒマラヤに行くのが夢と言いますか・・・計画していた訳なんですけれども、この状態が続くと体力的に無理になっちまいます。
いや、ヒマラヤどころか裏山を歩き回る体力さえ有るのか無いのか? 寂しい限りであります。

と、言う事で、夢は見られなくなっちまいました・・・暗い人生であります・・・夢も希望もない人生かぁ。

歳を取ると言う事は・・・老いると言う事は、戦列から離脱すると言いますか、まっ、上に向かってのアレコレと言うのから外れる、と言う事なんだろうと思うんですけれども、これを素直に受け入れないのが、自分の気持ち的な訳で、この落差が厄介であるなと思う訳です。

身体的にはかなりガタが来ていると実感している・・・と、言いますか、本日のおっさんはジムに行く気力が萎えちまう程に身体的にダメな訳です・・・が、ここでおっさんは気持ちの切り替えが素直に出来無い訳であります。

ジムには行けない→ 身体を鍛える事は適わない→ 衰える→ 山に行けない→ 楽しめない→ 夢も希望無い→ 人生終わった・・・と、ここまで行っちまう訳であります。

しかし、ホントは・・・もしもおっさんがホントーに仏様の言葉を理解しているのならば、ジムに行けない、と思った瞬間に、PCで遊ぶ事に楽しみを見出さなければならないと言いますか、目の前の現実を素直に受け入れ、静かに過ごせよと言う事なのであるな、と思わなくてはならない訳です。

ここなんですねぇ~・・・おっさんが凡夫である所以はこんな所に如実に出る訳であります。

無いモノを求め、あるモノに不満を募らす・・・「欲」で在ります。

とある仏教者に言わせると、向上心と言いますか、明日はもっと、いずれはあの人のようになる、とか言う向上心は不幸であると言う事なんだそうであります。

サラッと説明しますと・・・向上したいと言う事は、現在の自分に満足していないと言う事で、それは取りも直さず「自分を否定する」事なのだそうであります。

今の自分に満足できなくてはどこまで行っても追い続けるしか無い訳で・・・追いは老いに通じて終わる・・・ここはおっさんの作り言葉ですけど、とどの詰まりは、満足ではなく「妥協」になっちまう訳であります。

いや、仏様は努力するな、ナンて事を宣っている訳ではない訳です・・・風が吹いている時には自然とそんな方向に行くもんで、その時には意識もせずに自然とそうしているもんだ、と宣っておられる訳です。

勢い込んで、こうしなくちゃ、とか、こうあらねばならぬ、と言う姿勢で無理をして向上するのは、現状に対する不満が土台なので上に行ってもまた上が有って満足は出来まいよ、と言う事な訳です。

そう言う事で本日のおっさんの事を考えますと・・・ジムに行けない→ ラッキー→ パソコンで遊ぼう→ パソコンで遊べる身で良かった→ 今日は良い日だわ・・・と、なれば仏様も、やっと分ったのかよおっさん、と、一声ありそうな事になる訳であります。

向上心がなかったら人間は成長しない・・・そんな事はない訳です。
世間が成功していると思う人の多くは、楽しくてやっていたらそこまで来ていたと言う人が多い訳です。
楽しくてやっていて伸びる人は人生楽しい訳です・・・俗な言葉で言えば、才能がある訳ですが、凡夫が、鵜の真似をする鴉よろしくやってみたとしても、それは辛いばかりで楽しく無い訳であります。

楽しく無い・・・ここにすべてのヒントがあるのじゃないかぃ?
楽しく無い事はやっても無駄だから止めちまって良い・・・そう言う事じゃ無いかと思う訳です。

いや、人生とは苦しむ為に生きている訳じゃない・・・楽しむ為だったら楽して生きて行く方が良いに決まっていますよ。
なのに人々は、今日を否定し、自分を否定し、より良い明日とより良い自分を求めちまう訳です。

まっ、この話しは延々と続いちまうんで適当な所で終わらなければならないんですけれども・・・欲を刺激しないと続かないのが資本主義の社会な訳で、悪魔の独リンゴとは資本主義社会の事であったのかもなぁ~・・・と、仏様は言ってませんけど、おっさんは思う訳です。



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これを旅と言うかなぁ?

2013-03-23 12:40:58 | 旅と感想
一泊二日で茨城県に行って来た・・・仙台から筑波山まで、走行時間は3時間半、で、年寄り同行のためにトイレ休憩が多く、ナンダカンダで都合5時間程掛かって筑波山に登るケーブルカー乗り場にたどり着いた。

いや、この道はアレです・・・ナビがなければとても行けなかったと思います。
トンでも無い狭い山道を登って行くんですけれども、対向車が木たらドーすれば良いのか?
いや、結構運転には自信のあるおっさんですけれどもすれ違いは原付以外は無理・・・バックして広い所まで下るったってカーブなんで難しいし、そもそも下がって行くったって広い所なんてないし・・・まっ、結果から申し述べれば誰も来なかったんでモーマンタイなんですけれどもね。

茨城県は成田空港へ行くのに通過するだけの所でして、地名や故事来歴を知っているにも拘らず、深い所での馴染みは薄い県でありました・・・いや、故事来歴と申しましても、テレビで水戸黄門を見た程度の事なんですけれどもね。
あと、名物と言えば「納豆」と「乾燥芋」と、筑波山と偕楽園・・・他にナニか有りますか?

この度は、家の年寄りが水戸黄門に会いたいと言った訳ではなく、偕楽園の梅を見たいと宣っていたので、冥土の土産に見せてやろうかと連れて行った訳です。



いや、筑波山と言えばやっぱし「ガマの油」だと思うんですけれども如何でありましょうか?
出来れば浪人風の侍がお決まりの向上などを述べ、いよいよと言う所で刀を抜き、己が二の腕に刃を当て血の一筋も流して見せ、そこへガマの油をタラァーリと垂らして刷り込み、血の止まった腕を掲げて、ほぉーらお立ち会い、コレこの通り血は止まり申したぁ~・・・さぁ~ガマの油の効能はこのとぉりぃ~・・・ナァーンて言うのを聞きたかったんでありますが、今時はそう言うのやっていないんだそうです。
しかし、ガマはいました・・・向上売りの浪人ものの絵も有ったんですけど・・・絵じゃなぁ、と。



ガマは鏡を見せられると己が醜さに脂汗をたらぁーりと流すんだそうで、それを集めてガマの油となるのだそうであります。
しかも、それは筑波山のガマに限る訳でありまして、写真で見る限りでは、流石に大きなガマでありまして、上下二段に居りました。



ケーブルカーに乗りまして筑波山の二つの峰の中の「女体山」に登った訳であります。
おっさんは栃木県の男体山やら女峰山に登った事はありますけれども、筑波山にも男体山やら女体山があるのは知りませんでした。
で、ケーブルカーからは遠く東京都心から埼玉のビル群まで見えた次第でありまして・・・今を時めく「東京スカイツリー」も目に鮮やかにクッキリと、霞の奥に何となく見えたのであります。
いや、おっさんの写真でも左の方にクッキリと微かに認められますよ。

で、年寄りは展望台からの眺めだけで十分と言うんで下りのケーブルカーが出るまでの30分間で日本百名山の一つ筑波山の山頂を極めて来ようと言うんで行ってみました。

いや、歩いて登って来ている人の装備と言いますか身支度と言いますか・・・おっ、正統派ですなぁ・・・無雪期なら北アルプスもOKですな、と言う感じの人達ばかりでして・・・コレが東北なら長靴とスニーカだわなぁ~・・・やっぱし関東者は違うなぁ、と。



開けて翌日・・・こじんまりして落ち着くお宿を後にしまして、お車は一路水戸の偕楽園を目指した訳であります。
いや、筑波と水戸ってこんなに遠かったっけ? と言う感じで暫く国道を走って土浦辺りから高速に乗った訳です。

いや、高速に乗らないと年寄りのトイレに困っちまう訳です。

で、水戸で高速を居りてナビが言う通りに偕楽園まで・・・24日まで有料と言う絶妙な駐車場に車を入れ、いざ・・・梅見に・・・いや、梅が見当たらないんだけど・・・ナニっ?護国神社? 偕楽園は何処ですかぁ?

いや、車を降りたらだだっ広い公園風の所に放り出された感じなんですけれども、何処が梅見の本拠地なのか・・・ネットで下調べしてある「ミス梅祭り」みたいなのは何処に居るのだ?と。

適当に歩き回ってコレは違うだろうと言うのは護国神社に登って行って気が付いた訳です。
おお、遥か線路の向こうの丘の上に人が沢山居そうだし、ナニやら建物も見えるし・・・アッチじゃねぇ?と、案内板を見れば、おっさんらは偕楽園とは無関係な方向を散策していた訳です。



いやぁ~こっちは人の多い事・・・平日だと言うのに流石に梅祭りだわねぇ~と言う感じなんでありますが、しかし、梅の花の作今だけの書き入れ時・・・土産物屋も必死の呼び声でありまして、のし梅から水戸納豆まで、今売らなくていつ売りますかぁ~・・・今でしょ?とばかりに声を出している訳であります・・・まっ、祭りらしい活気と言うのとも違って微妙な雰囲気を醸し出しているなと思いました・・・いや、売店の売り子さん達は皆女子大生のバイトでありましょうか? 皆して梅の花のように若くて瑞々しくて、良い感じでありました。



いや、梅ははっきり言って終わってまして、コレからの盛りは桜ですぜぇ~と言う感じで既に桜が咲いていまして、日当りの良い木は今が見頃とも言う満開寸前・・・はっきり言って梅林は黄昏を感じる雰囲気で歩く気がしませんでした。

それにしても、下の方の公園も含めて・・・銭の掛かった公園だわぁ~手入れにナンボ銭使ってんのかなぁ?と感心させられる、万全の手入れでありました。



梅だけで何十種類もあるのだそうで、早咲きが多い紅梅はもう見られないかと思いきや、どっこいコリャコリャと咲いていたりする訳です。



で、70歳以上は無料だと言うナントか邸・・・まっ、水戸のお殿様の別宅なんですか?
由緒正しそうな木造の建物が有ったんで、190円を支払って入ってみた訳であります。

あいやぁ~この家の雰囲気は、おっさんの生家と殆ど一緒であるなぁ~ふすま絵の感じも、金をふんだんに使った豪華な絵も同じであるなぁ・・・懐かしいなぁ、と感じた次第であります・・・いや、これホント。



ありやぁ~俺んちの、昔の家の縁側とそっくりだわ・・・でも長さで言ったらおっさん家の法が長かったかなぁ?・・・うん三十三間堂って言われてたからなぁ・・・これは嘘。

しかし、この建物と言いますか家には面白い仕掛けが随所に施されていまして、それは主にアレです・・・人が走れないようにとか、迷子になるようにとか、万が一の脱出口とか、常に殿様の身を守るのに工夫が為されているなぁ~・・・ナンて事を見ながら歩いた訳ですが・・・いや、その手の解説は何処にもなかった訳ですが、おっさんは殿様屋敷には詳しいので見れば分っちまう訳です。



いや、メンコイ梅娘が数人、血用度良い塩梅の所に佇んでいて写真など一緒に撮ったりできる訳です・・・当然おっさんも一緒に写真に収めて頂きましたよ・・・無料ですからね。

で、梅娘のそばに寄るとほのかに梅の香りなどしておっさんは思わず頬がぽーっとなっちまったりして・・・いや、写真は鼻の下が伸び切っているので出すわけにはいかないのでありますが・・・おっさんの好みは向かって右でした。

そんな訳で、思いの外人の多い水戸の偕楽園でありましたが・・・冥途の土産に見たいと宣っていた年寄りは、一遍見ればあとは要らねなっ、と宣う程に満足と言う事で・・・めでたしめでたし、と。

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