じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

中山成彬・・・GJ!!!

2013-03-13 21:35:19 | 日々の雑感
良い事言うなぁ・・・日銀は円を守って国民を守らなかった・・・そう言う言い方が正しいんだね。
納得しますねぇ・・・ホントに残り少ない「良い国会議員」ですね。

2013年3月8日衆議院予算委員会 質疑

いや、従軍慰安婦の所が脚光を浴びている訳です・・・辻元清美との比較なんてのもヨーツベには出ているんで御用とお急ぎでない方は見るとためになる訳ですが・・・しかし、この人の質問は言葉が大人しいと言いますか、おっさんら下々の馬鹿にもわかる言葉で陳べているんでおとなしめに聞こえる訳ですが、中身は濃い訳です・・・ホント、ぽっと出の政治家では無いと思う訳です。

まっ、聞く方にも多少の知識と言いますか、下地が無い事にはなんぼ平易な言葉とは言えアレなんですけれども、しかし、馬鹿は莫迦なりに気分的な物でも触れてみるのは無駄では無いと思うんで、おっさんは馬鹿な頭で覗いてみた訳です。

それにしても、NHKの中の人はドーなんでありましょうか?
やっぱし、東電の社員といっしょで真面目に働いているにもかかわらず、一部の心ない幹部・経営陣のお陰で肩身が狭いんじゃないんですか?

ホント・・・中山成彬先生・・・質問の中身が良いなぁ~バカオヤジにも意味が分かるもの。

安倍晋三が朝鮮工作員の辻元清美を完全論破、慰安婦全面否定

中山成彬先生とは真逆の、朝鮮工作員の辻元清美の腹の底から胸くそ悪い質疑であります。

それにしても、ドーしてこのような国賊が当選するんでしょうか? 日本人、しっかりしろよなぁ。
まっ、宮城県には岡崎トミ子が居るんでアレなんだけれども。

そう言えば・・・我が郷土の東北放送では、こんだけこじれた関係の韓国を持ち上げる「アンニョン韓国」なんて番組を未だやってんだね・・・間違って聞いちまうと耳が腐るんで止めてくれよな。


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ビール飲みたいなぁ~

2013-03-13 17:42:52 | 日々の雑感
只今店番中・・・本日はお客は少なくて売り上げも無く暇だったんですけれども、機会のメンテナンスと言いますか、保守点検などやったもんですからそっちの方で草臥れちまいました・・・いや、おっさんは業者の人が作業している傍らでヤンヤヤンヤと間の手を入れる係なんで実質的には何もしていないんですけれどもね・・・一時間7000円だか8000円の作業賃をふんだくられるのにのんびりやられたんじゃかなわないと言う事で監視している訳ですね。

まず・・・店も旧くなり、店主も機械もくたびれて参りまして・・・いつ迄コンナ商売を続ければ良いモノか? いやホントに、客の来ない店での店番って殆どバツゲームと言いますか、静かな拷問ですぜ。

参っちまうよなぁ~本日の売り上げなんて2650円でスゼェ? 

代引き着払いでトイレで使う小さなストーブが届いたんですけれども、全部で3350円だった訳です・・・売上金の全部を吐き出して支払いしようとしたんでありますが足りなかった訳で、仕方が無いんでバイトの兄ちゃんから強引に借りた次第であります。
いや、馬鹿な事をおっしゃいますなょ・・・おっさんの財布には500円しか入れて来ないんで、それで500円の配達弁当を買って喰うのが一日で最大の楽しみなんですから、余分な銭など在りませぬ。

突然ですが・・・人生は作るもんだ、と坂口安吾は宣っている訳です。
必然の姿などと言うものは無い、とも宣っている訳です。
そして、歴史と言うお手本などは生きるためにはオソマツなお手本にすぎないもので、自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである・・・と、宣っている訳です。

如何でありましょうか?
自分の心に尋ねて応えてくれるならばこんな楽な事は無い訳ですが・・・答えが無いから迷うし、悩んじまうのだと思う訳で、坂口安吾先生は自分の心に訊くまでもなくこたえを持っていたのでこのような事を宣っちまうのではないかと思う訳です。

で、また生齧りの仏様の方のアレなんですけれども、仏様は悩むな、とおっしゃっちまう訳です。
悩んでなんとかなるんなら悩んでも良いけれども、悩んだ所で事態がドーなるものでもない時には悩むな、考えるな、と言う訳です。

例えば・・・借金をしちまって、明日が起源で借金取りが回収に来る・・・しかし支払いの銭は無い・・・どーしようか? と。

仏様が言うのはこんな時には心配するな、思い悩んで銭が湧いて来るなら悩んでも良いが、夜も寝ないで考えた所で事態に変化は無いのだから、だったら気にしないで寝ちまえ、と言うのが仏様の教えだとおっさんは思う訳です。

いや、借金が返せるかドーかとか、返せないと道義的にドーとか、返してもらえなかった方の迷惑と言うのも、仏様はナニも気にしなくて宜しい、と宣っておりまして、ナンであれ、気に病んで何とかなるならそれも良かろうが、ドイツもコイツも、考えたって何も変わらない事を思い悩んでドーするのよ? 止めちまえよ、といろんな喩えを引き合いに出して教えている訳なんであります。

仏様の教えの底に在るのは・・・事実しか無い、と言う事なんでありましょうけれども、実は、事実と言うのがこれまた怪しいものでして、有ると思えば在るし、無いと思えば無いモノで、それを「空」と言うのだがなぁ~・・・わかるかなぁ? わかんねぇだろうなぁ? と、いつも説いておられる訳であります。

で、この辺で坂口安吾先生のさっきの言葉に戻るんでありますが・・・自分の心にきいてみるのが何よりのお手本なのである・・・と、宣っているのは、実は仏様と同じ事を言っているのだなと・・・と、言うよりもたぶん安吾も受け売りなんですゼ、きっと。

それは・・・自灯明・・・安吾もこれを言っているのだと思う訳です。
自灯明と言うのは、仏様が入滅に際してアーナンダと言う弟子に、こーなんだ、と説いた話しでありまして、お釈迦様が入滅した後には自分自身を拠り所とし、他のものに頼ったり左右されては行けない・・・法を灯明として生きよ、と宣ったのを安吾先生も下敷きにしているんじゃないかと思う訳です。

ちなみに法と言うのは真理でありまして、それは釈迦の教えの事であります。
と、言う事で、釈迦の教えの他は信じるなよ、と言う事で良いと思う訳ですが・・・これがまた、お釈迦様と言うのは罪な人でありまして、断定的な事と言うのは言わない訳で、ああしろとか、コーしろと言うのは勿論・・・大抵の場合は、ドーだっていいじゃネェかそんな事は、と言う落ちになっちまうんで、凡夫には悩ましい訳であります。

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こころの支えに宗教を!!!

2013-03-13 16:41:59 | 日々の雑感
心の支えに宗教を・・・それは無理だとおっさんは思うな。
いや、宗教を交えて心の支えをと言うのであれば、それは宗教がその役目をするのではなく、たぶん宗教的なモノを信じる心とでも申しましょうか・・・いわゆる「信心」と言う奴なんじゃないかと思う訳です。

ところで、Macのキーボード度言うのはどう言う訳で、何個使っても同じ不具合が発生するのでありましょうか?

いや、平仮名の「や」「ゆ」「よ」をshiftキーを押しながら打ち込む「ゃ」「ゅ」「ょ」が普通の早さで打ち込むと反応しないと言いますか、小さな字にならない訳です。
いや、ゆっくり打ち込めば大丈夫なんですけれども、おっさん程度の一本指打法の早さでも調子付いている時にはダメで、大きな字になっちまって変換した瞬間にバカヤローな事になっちまう訳であります・・・いや、只今も宗教と言う文字を打ち込むのに何度イラついた事か。

アレでしょ? ローマ字で打ち込んでいる人は使わない範囲なんで無問題でしょうし、たぶんそっちの方の人が大勢を占めるんであんまし騒ぎになっていないんでしょうね。

いや、おっさんがMacを使い始めた当初・・・そーですねぇ、漢字Talk7か? ナンでアレ、ボンダインブルーのiMac迄はそんな事も無かったと記憶している訳です。
で、ついでに申し述べれば、MacブックやiBookのキーボードではこの不具合は無いのであります。
そーなんです・・・Appleの起死回生の一発となったあのブルーのiMacのキーボードからおかしくなりやがったとおっさんは思う訳です。

で、試しにMacのキーボードの不具合ってどんなのが在るのか調べてみたら・・・いやいや出るわ出るわ・・・いろんな不具合が在る訳です。
で、やっぱしなぁ~と感心したのは、OS10.5対応のキーボードさえ新品の入手は出来ないと言う事で在ります。
で、ンじゃぁ10.6~対応ので間に合わせようとするとそれなりの不具合が在るようで、そんな事が涙まじりに書かれているブログなども見つけた訳であります。

で、一つのキーを押しただけなのに特定の文字が乱打的に羅列されちまう不具合と言うのはおっさんは前のiMacで経験し、死に物狂いで対処しようとした結果戦いに破れ新しい中古のiMacを買う羽目になっている訳で、同じ症状の人のブログを読んで腹を抱えて笑いました・・・嘘、同情しました。

で、あんまし酷いんでアマゾンで980円で送料無料と言うのがあったんで買ってみたんですけれども・・・さて、届いたらドーなりますかね? おっさんの骨董品のOS10.4でちゃんと動きますかねぇ?・・・いや、980円ですからね、ダメなら捨てますけど・・・嘘・・・アマゾンに返品する。

宗教の話しを使用としていたんだっけ?

うん・・・宗教と言いますか、仏教と言うのはあんまし道徳的な事には構っていないと言いますか、どちらかと言うと娑婆の常識を否定する様な所が在るんで、仏教で社会の秩序を、とか、子供の教育をなんてのはダメなんですけれどもね、と言う話しに行こうとしたんですけれども、脱線が長くなっちまったんで止めます。

まず、高僧として誉れの高い一休禅師なんですけれども、彼は自分の弟子の女房を口説いたと言いますか、ちょっとやらせろ的に迫ったと言う逸話が在る訳です。
で、女房が、一寸それは、と道徳的判断でお断り申し上げ家に帰って亭主にそれを話した訳です。
すると旦那は、一休さんに抱かれるなんてこんな名誉な事は無い、ナンで辞退なんてしたんだ・・・とっとと行ってやられて来い、と宣った訳です。
で、女房が一休さんの家に再度出向くと、もうやる気が無くなったから用はない、と宣っちまったとか・・・いや、ホントかドーか、この手の逸話と言うのは後付けも多いですから分りませんけど・・・しかし、禅宗と言えば仏の道へ通じるアレでナニな訳なんですけれども、そう言う事で、あんまし娑婆の常識や道徳とは相容れない道であるなと言うのが伺える訳であります。

いや、キーボードは使えると思いますか? おっさんはダメな方に100点。

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冬枯れ・・・?

2013-03-13 15:35:11 | 日々の雑感
もう春だからこそ「冬枯れ」なのでる・・・わかるかなぁ? わかんねぇだろうなぁ!!!

夏バテと言うのがあるように、やっぱし冬バテと言うのがあって、夏バテが初秋に現れるように、冬バテも初春に現れる物なのだ。

そして、冬バテが終わる頃には初夏になっていて、その時期にはきっと春バテになっているし、その後には皆も知っている通り、バテの正統な主である夏バテに見舞われ、そして秋バテへと続く・・・そう言う事で、人は一年中バテている物なのである。

おっさん・・・冬バテです・・・特に脳味噌と財布が。

春先の、未だ花も咲かない野に立つと、荒涼とした景色なのだが陽光が数日前迄とは確かに違うと感じる時、目の前の広がりは冬枯れであるなと思うのだ。

いや、本日はどう言う訳か詩的な思いが全身から溢れ出て止まらない・・・才能が怖い。

なにっ? 昼間っから呑んでいるのかと? バカ言っちゃぁいけない、昼間から酒などと、教養が自制してやれるはずも無い。

いや、暇です・・・要するに暇で、何もする事が無いし・・・さりとて特別書くべきネタも無い訳で、無駄に字数を走らせたのでありますが・・・生きるって、暇なもんです。

宗教の話しでもしましょうか? おっさんの得意分野は「仏教関係」・・・いや、正統派の仏教ではなく、あくまで自分流の解釈で宣う「のようなもの」な訳ですが。

まっ、宗教は本日は止めときましょう・・・脳味噌が未だ半回転し化していないんでたぶん支離滅裂になりますから。

で、暇なんで傍らの本置き場・・・けして本棚とか本箱ではなく、本置き場です。
ヒョイと手を伸ばすと届く所に、昨年から読んでおきっぱなしの本が100冊以上は在る訳ですが、一度しか読まない者から、二度三度と読んだ物迄・・・ああ、10年来の愛読書で一年に一度は読み返すのでここに置いてあると言う本なども在る訳です。

そこに「日本語のこころ」と言う文庫本が在りまして、手に取った訳です。
大概の本はタイトルを見ると中身が適当に思い出されるんでありますが、これを見てもおっさんの脳味噌は無反応でありました・・・読んでないのか? と。

しかし、中身を開けてみますと・・・おっさんがこれはと思った言葉が在るページに付ける角折りが施されている訳です。

本の中身は、63編ものエッセイが詰め込まれている訳で、成る程なぁ~一つ一つの影は薄くて覚えていないと言う事なのか、と、思う訳です。

で、パラパラと眺めてみますと、ああ、読んだ気もするわ、と言うエッセイから、こんなモノ読んだっけ?迄様々でありました。

おっさんがバカだからなのだろうけれども、やっぱし記憶に残る文章と言うのはそれなりの重さと言うか量が有って始めてそうなるモノなのかなぁ?などとも思った訳で、二三ページのエッセイの固まりを一気に読んでも片っ端から忘れちまうのであるな、などと勝手に納得してみた次第であります。

が、しかし、パラパラと捲って行くうちに、金田一晴彦の章に当って「日本語のこころ」と言う題名を見た途端に中身を思い出した訳です。
なんとぉ~・・・これは中身を殆どすっかり覚えていたわ、と。

で、本のタイトルが「日本語のこころ」で、それは金田一晴彦のエッセイのタイトルでもあった訳で、やっぱしこれが主役と言いますか、主賓と言いますか・・・まっ、その他のアレコレは脇役であると思って良いのであるな、と、これも納得した訳であります。

まっ、文章の事なんで好き嫌いが有ると思うんですけれども・・・しかし、主役に慣れる文章と言うのは短くても忘れないんだなぁ・・・で、これは、アレ・・・美人とすれ違った時なんかと似ているのかなぁ? なんて事も思ったりする訳です・・・意味不明になって来たので 止めぃ。

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