兵庫県庁に全国の地域SNSの仲間が約500人集まった。この集まりのボスはコタツネコこと和崎さんだ。私とは地域情報化をすすめるCANフォーラムで馴染みの人だが、兵庫で「ひょこむ」という名の地域SNSを立ち上げたという話は前から聞いていた。私は初めてこの手の集会に出た。さすがに500人いると熱気がある。兵庫県の知事が挨拶に立たったが招いた側のあいさつにしては相当辛口だった。地域SNSの可能性をいうよ . . . 本文を読む
写真は築城400年を迎えた熊本城を背にして熊本市内を見守る加藤清正像だ。烏城(からすじょう)と呼ばれる熊本城は明治の西南の役でその圧倒的な堅固さを証明し、西郷隆盛をして「清正どんに敗れた」と言わしめた。清正は治山治水、まちづくりに抜群の才能を発揮した人で、熊本市は約400年立った今もその恩恵に浴している。記者時代清正の人物を調べれば調べるほど間違ったイメージが流布されていると知った。有名な虎退治 . . . 本文を読む
何ヶ月ぶりだっただろうか?住民ディレクター発祥の地、熊襲の地は熊本県山江村に行ってきた。住民ディレクター1号の松本佳久さんと0号の内山村長の二人と夜を明かすまで談義に興じた。村長曰く、今は「九州山江村」というらしく「熊本県」も「球磨郡」もすっ飛ばしているらしい。朝まで球磨焼酎を飲みながら話していたので貴重な村長と松本さんの2ショットを撮るのさえ忘れるほどに熱中していた。この写真は4年ほど前、役場 . . . 本文を読む
本州と九州を結ぶ関門橋です。今回は深夜の移動で第二の故里、山口は通過しました。山口市は私が学生時代を過ごした頃は県庁所在地では日本一小さな市でしたが
おそらく今も変わらないでしょう。思えばここから田畑や山、川の光景が当たり前となる生活が始まりました。神戸市のベッドタウンで駅前と中心商店街の間の街中に生まれ育った私には魅力的な空間でした。夜中に突如友人を訪ねたり、下駄履きに一升瓶ぶら下げて紅葉が美し . . . 本文を読む
久しぶりにみっちり合宿をしたような1週間だった。そうそう関西だけでなく岡山もあった。現在移動中で携帯なのでショートな夜にするが、30年前の自分と今の自分では長い旅烏(たびがらす)の生活で随分変わった、と思う。加古川が変わり(さびしくなっただけでなく)、知り合いも変わったのは自分が変わったからだと思う。住民ディレクターは究極ひと・と・ひとの深い付き合いの手法だから撮ったビデオが自分を映し出すように他 . . . 本文を読む
これが私の故里〈ふるさと〉だ
さやかに風も吹いてゐる
心置なく泣かれよと
年増婦〈としま〉の低い声もする
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
山口生まれの詩人、中原中也の帰郷という詩の一節だ。
学生時代を山口で過ごしたこともあるが、批評の神様といわれる小林秀雄さんの著書を読み漁る中で出会った詩人だ。たまたまそこにいる山口の人だった。
しかも、いつも布団 . . . 本文を読む
但馬の久しぶりの講座が終わった。昨日から二日間だったが、但馬は第2幕に入った感じだ。リーダーの木村尚子さんはしばらく番組作りと地域づくりのつながりを見失っていた(もしくは、模索していた)が今回の講座でしっかりとつかんでもらえたようだ。その辺は参加受講生の皆さんのノリが見事に示していた。住民ディレクター講座は最初はうまく説明できないので意外と受講生集めに苦労する。但馬も例外ではなかった。しかし今回 . . . 本文を読む
久しぶりに兵庫県但馬に来た。なんて言ったらいいのだろう?一言でいったら山江村だ。もう少し詳しく言ったら山江村の空気、風土、人柄もろもろが但馬にあるといえるかもしれない。19の春まで兵庫に生まれ育ったが、縁あって25歳から九州に入り、29歳から熊本の人になった。そのまま熊襲の地、球磨郡に入り、特に山江村で過ごすことが増えた。住民ディレクターの発想も山江村で生まれた。その山江村が実は但馬といろんな面 . . . 本文を読む
漫画で知られるようになった平安時代の陰陽師、安倍清明のライバルに芦屋道満という人物がいるのをご存知だろうか?昨日、今日とこの二人をゆかりの地とする兵庫県佐用町にお邪魔した。合併して人口約3万人の町だが、昨日書いた宮本武蔵と共にこの芦屋道満は加古川市の出身、安倍清明に呪術対決で破れ、加古川に戻ったといわれているが、ここ佐用町を訪れているらしい・・・、町の人たちの話では(真偽のほどは)かなりあやしい . . . 本文を読む