昨日の早朝二女の純に長女が生まれて一日経ちました。じじ、じーじ、じぃじとか言ったり書いたりするもののやはり正直言って昨日も列島の北のてっぺんの方から真ん中まで移動して来て今日には一番南に移動する我が身にはピンとこないものです。
子どもができて「さあさらに頑張ってみるかあー」、って感じは少しはあります。と考えると末っ子ができたという感じですね。花、純、そして優花と3人姉妹。そしておやじは遠洋漁 . . . 本文を読む
昨夜、岩手県住田町に入りました。思ったよりは暖かいです。が、今日は外で動きますのでどうでしょう?昨日は列島の空を眺めながら東京まで動き、その後は新幹線でした。うつらうつらしていてはっと感じて窓の外を見たら愛知辺りでしょうか?とてもやさしい光景が広がっていました。雲が羽衣のように空を舞ってる感じでした。今朝の住田町は昨夜雨が降ったようでもやがかかって神秘的でした。今日は下界から天空を見上げます。 . . . 本文を読む
藤本義一さんの追悼文を書いたばかりのところに放送評論家志賀信夫さんの訃報が入りました。志賀さんにはテレビ局時代から大変可愛がってもらいました。平成5年に熊襲復権をテーマに熊本県免田町で住民手作りドラマを制作したとき一番に各誌で紹介いただきました。熊本での放送として作ったドラマでしたが全国で地域活性化に取り組む自治体にも紹介して全国放送も目指そうと東京の銀座熊本館で試写会を催した時も一番に挨拶に立 . . . 本文を読む
藤本義一さんが亡くなったことを昨夜遅く知りました。藤本さんとは11PMで何度かご一緒しましたが相手を生かす司会ぶりを最も学んだ人です。お会いしたら作家でありながらテレビという日常の出来事が詰まったびっくり箱に新しい生活文化を開拓していった代表選手だと感じました。
藤本さんの11PMでは映画人を熊本に集めて素顔を紹介したくまもと映画祭の交流会場からの中継もダイナミックな展開でしたが、短小軽薄ぶ . . . 本文を読む
岸本チャンネル(2008年02月10日~2008年02月16日)
平成5年に制作した住民手づくりの熊襲復権ドラマ「テレビドラマを作ろう!」女子高生は当時免田町のはるなちゃんでした。 . . . 本文を読む
昨日は朝からわたしにとっては熊本の象徴的な方々との仕事や飲み会が続きました。今、東峰村でやらせていただいている仕事や、仕事を超えての地域づくりの原点がやっぱり熊本だったと感慨深いです。
「初心忘るるべからず」、いつも肝に銘じていますがついついスタート時の謙虚な気持ちを忘れがちです。たまたまですが昨日はわたしが「はじめることになった新局面」でのスタートを共にしてくれた方々ばかりとの一日でした。 . . . 本文を読む
八郎の壷は今見ても小道具とは思えない程しっかりとした焼き物でした。あらためて本物志向の住民手作りドラマだったと感じます。
このドラマは2作目でわたしはプロデューサーとして玉三郎さんで有名になった八千代座での試写会や日テレのドラマ「池中玄太」のプロデューサーを呼んで来てドラマ制作の舞台裏を伺ったり地域づくりに関連する動きを展開しはじめました。シナリオは地元の女医さん、監督 . . . 本文を読む
朝からみっちり熊本だった昨日は意外な出会いが続きました。夜は久しぶりに熊本県民テレビ時代の園田さんと会ったのですが珍しいものを持参してくれました。八郎の壷です。
八郎というのは宮崎八郎のことで弟に宮崎滔天がいます。自由民権運動家で西郷隆盛が西南戦争を起こすと熊本協同隊を結成し共に戦い八代堤で戦死しました。植木学校も創った人です。その宮崎八郎と出会う謎の男、・・・、八郎の時代に生き、現代も若々 . . . 本文を読む
最近NPOくまもと未来の動きが活発なので熊本に帰る日が増えています。そんな中で15年ぶりに会うことになった経済誌の社長徳永さん。いまだに社長と呼ぶことも社長と呼ばれることも似つかわしくない人柄は一貫しています。
現場肌社長の今も現場記者に負けぬ程記事を書いているようです。その徳永さんはわたしがテレビ局をやめることにした時、幹事を買って出てくれて「岸本晃の門出を祝う会」というシャレた集まりを企 . . . 本文を読む
こんな朝方に荷物整理していたらかつてプロデュースした11PMの台本が出てきた。
11PMをやっていたというとほぼ全員があの軟派のイメージを持たれているみたいですが実は11PM史上最も硬派の番組(当時は大阪のスタッフから相当言われた)をやってしまったんです。天草の荒れ果てた元みかん山20ヘクタールを開墾して共同農場を作りはじめた青年たちに密着して1年。全国各地からやってきた若者たちと地元農協や . . . 本文を読む