選挙の効果

総選挙の意味

大義  バリケイト伊東

2018-10-21 10:49:49 | 政治
  東京はいい天気だ。気分がいい。静かな朝だ。変わらず芸能人が仕事を急にキャンセルしたとか、浮気した、離婚したとかのくだらない話ばかりだ。一応、今の日本は、東京オリンピック開催の大義、憲法改正の大義はあるが、もうひとつ盛り上がらない。安倍自民党も憲法改正の発議をするには、パワーが欠ける。なにがなんでも改正するぞというパワーにかける。安倍や日本会議の連中の憲法改正論議はどうなってるのだ。ちなみに私は憲法改正には反対だ。一文も変えてはいけないと思ってる。東京オリンピックも盛り上がってない。オリンピック関連施設の建設はラッシュだが、社会全体での盛り上がりには欠ける。日本社会は閉塞と虚構の中で腐ってゆくようだ。何を大義にすべきなのか、日本は迷ってるようだ。大義なんて、ないほうがいいのかもしれない。戦前のファシズム全盛時代のような大義だらけの日本を見れば、大義などないのがいいのだ。大義の元に一致団結だ、1億の国民のまとまりなんていうのは怖い感じだ。大義もなく、方向性もなくさまよってる日本は、ある意味、いいのだ。虚構の平和、虚構の政治、虚構の経済、虚構の文化でも、国民の多くは満足しているのだ。安倍の暴走は続いてるが、民主主義は生きてる。少し、傷つき、弱ってるが健全さを維持している。大袈裟な大義はなくていい。国民が毎日、食事を取れ、国土が戦場にならず、公園の花を見る余裕があればいいのだ。大義をあおるような政治家には、気をつけなければならない。今の日本にはヒットラーのようなカリスマのある政治家はいない。ヒットラーはユダヤ人虐殺の大義を掲げて世界制覇を狙った。日本の政治家はパワーに欠けるが、それでいいのだ。大義のために命をささげよと言う政治家は、今の日本には要らない。今日の平和が続きますように祈ります。