選挙の効果

総選挙の意味

長崎悲惨  バリケイト伊東

2018-08-09 08:57:46 | 政治
  今日も朝からボクシング連盟会長の辞任の話で、日本は盛り上がってる。日本村の集団バッシングの様だ。辞任したのだから幕は降ろされたのだ。いつまでも、ぐちゃぐちゃと女の腐ったように報道合戦をしている。そんな事より、大切な事があるだろう。今日は日本にとって歴史的な記念日なのだ。記念日というより、戦争による悲惨な事件があった日なのだ。1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下され多くの命が奪われたのだ。今の日本人にとって73年前の原爆投下など、過去の事でしだいに忘れ去られようとしている。風化させてはいけない。忘れてはいけないのだ。平和すぎて、今の日本人はあまりにも平和のありがたさをわからないようだ。なぜ、原子爆弾投下は起きたのか、なぜ、日本は戦争を起こしたのか、なぜ、戦争に負けなければならなかったのか、永遠に考え続けなければならないのだ。最近では歴史的事実さえ、間違えって伝えられようとしている。日本はアメリカに勝っただとか、日本の侵略戦争を欧米の植民地支配からの解放だとか、歴史を歪曲し、間違った解釈する人々がいる。太平洋戦争中に兵士ばかりでなく、どれだけか一般市民の命が失われたのだ。しかばねの山だ。虫けらのように殺されたのだ。人の命に対して、尊厳などまったくなしだ。戦争とは悲劇しか生まない。その当時の軍国主義者は、愛国だ、天皇に対しての忠誠だとか、やたらと国家に忠誠を誓わせた。国のやり方に逆らう者は、非国民扱いされ警察につかまり拷問だ。民主主義のかけらも感じられない政治を行って、国民を奴隷のように扱った。今、また戦前を復活させたい連中が活動を活発させている。安部は活動の筆頭幹事だ。ファシズムおたくの代表だ。戦前の大日本国憲法を復活させたいようだ。天皇を政治の中心に置くとは、時代錯誤もいいところだ。国家の主権は国民にあるのだ。天皇でもないし、権力者にあるものでもない。安部達ファシズム同好会の国家観、人間観は民主主義とは真逆だ。民主主義とは人間あっての国家なのだ。国家あっての人間ではない。最近の日本のゆがんだナショナリズムは、民主主義の本質を否定し、国家主義の悪夢を復活させようとしている。今の日本人は、国家主義の悪夢を理解してないようだ。人権もない、言論の自由もない、表現の自由もない、監視社会、宗教の自由もない、なんの自由もないのだ。奴隷だ。国に逆らったら刑務所行き、日本をそんな国に再びしたいのか。原子爆弾投下とは、悪夢の国家主義を終わらせ、多くの命の犠牲の上に民主主義国家への扉を開かせたのだ。原子爆弾投下は悲劇だ。悲劇を繰り返していけない。歴史は繰り返すのだ。国の指導者が間違った道を選択すると、また、日本は原子爆弾の投下を経験するだろう。平和が今後も続く事を祈ります。。長崎で亡くなられた人々のご冥福を祈ります。