江戸時代は朱子学。
今でこそ名を聞く陽明学は、禁じられていた。
だから佐藤一斎は、表向きは朱子学を論じ、裏でこっそり陽明学を伝えていた。陽朱陰王。
その朱子学は、経済、ゼニカネを、軽蔑した。
その意味で、間違っていた。
「この孔子の教旨を世に誤り伝えたものは、宋朝の朱子であった。孔子は貨殖富貴を卑しんだもののように解釈を下し、貨殖の道を志し富貴を得る者をついに不義者にしてしまった」
(『渋沢百訓』角川ソフィア文庫より一部抜粋)。
つまり、徳川幕府が称揚した学問は、「歪んだ」学問だった。
幕府のジコチュウ的な利益のために、経済が活性化すると困ると思ったのだろう、孔子の教えを「枉げた」朱子学を、幕府の公式な学問とした。
しかし、300年経った今、だれも朱子学を奉じる者はいない。
天下に広く信じられていることも、300年経って、おかしい、ということが分かる。
こういう事実を見ると、今の日本の宗教案件でも、「300年の後にどう思われるか」を考えることができる。
渋沢栄一「論語と算盤」が価値を持ったのも、朱子学的な風潮があったから。武士が商売を軽蔑してきた風潮があったから。
その300年の旧弊を打破する、画期的な教えが、「論語と算盤」でした。