川塵録

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西郷の傲世(ごうせい)

2024年07月03日 | 歴史
西郷の傲世。さいごうのごうせい。

シャレみたいですが、いやシャレですが、そんな言葉を思いついた。

西郷がなぜあんなダサい西南戦争を起こしたか。

『南洲残影』を表した江藤淳でさえ、結局、

 「分からない」

とサジを投げている。



一つの答えは、、、

禅。

禅に傾倒した西郷は、傲世(ごうせい)癖・遁世癖があった。傲岸と俗世を見下し、隠遁する癖。逃げる癖。

だから大久保は、西南戦争で死んだ西郷に対して、「西郷どんは、禅に学び、禅に斃れた」と言った。

より具体的には、以下の述懐をした。 

西郷は従来はなはだ感情に敏い、いわゆる多感の丈夫である。そうしてその血性燃ゆるがごとき熱情を制しながら、ものごとに対して古木冷灰(こぼくれいかい)になろうと禅を学んでいた。

思うに、身を処するにも世を処するにも無為恬淡であることは、激情家に益するところがあるにちがいない。それでありながら、西郷の禅は、西郷の期待にそわず、かえって西郷を意外の地に導いてしまった。

つまり禅は、彼に益するどころか害し、妙にも感情を変化し、傲世の気風を生じさせた。傲世と隠逸は随伴する。これは禅を学ぶものが免れがたき病である。

西郷も事実これに陥っていた。彼が袖を払い下野したことも、病の誘因したところである。彼がもし隠逸をよろこばず、あくまで世俗のなかにあって事務をみて国事に専心していれば、どうして官を去る必要があったか。またどうして惨劇を演じて奇禍にかかることがあっただろうか。

予は少しく禅味を解するのみ。しかもこれを愛していないのではない。ただこれを学ぼうとはしないのだ。ややもすればその病に陥るのを恐れるからだ。


本来ならば、「大隠は市に隠れ、小隠は山に隠る」と言うとおり、あくまでも市中の世俗に塗れながら奮闘するのが、大事。それが「大隠」。大きな隠者。

ちょっと嫌なことがあると山に隠れる「小隠」であってはいけない。竹林の七賢であってはいけない。和光同塵。光を和らげて、塵と同じうしないといけない。

塵が嫌だと言って、世俗の塵埃を避けて、駄々を捏ねて山に引き篭もってはいけない。

だから、私も今初めて気がついたのですが、「国に道なければ即ち隠る」という論語は、間違っている。または大きな誤解を招く。孔子が遁世を説いたのだとしたら、孔子は間違っている。

禅に傾倒した西郷は、傲世して、世に傲り昂って、世を下に見て、遁世して、小隠として、山に隠れた。

これが西郷の限界であったのではなかろうか。禅を学んだものが陥りがちの、傲世と隠遁癖・遁世癖から逃れることができなかった、のではなかろうか。

力作『西南戦争』でも、小川原正道さんはこの禅の功罪までは踏み込んではいませんでした。


 
西郷を論じるのであれば、この、禅から来る、傲世、遁世、隠栖癖まで踏み込む必要がある。
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